コトバ表現研究所
はなしがい163号
2000.2.1 

 上京以来三度目の引越しをしようとしています。前回の引越しから三年ほどたっています。転居先は今よりも専有面積が二坪ほど狭いので手持ちの書籍類を半分ほどに減量しようと思っています。

 わたしの本は四畳半にスチールの七段の本棚三つ、ダンボールに詰めたままの本が十箱くらい、さらに押入にも入っています。以前から減らすことを考えていましたが、捨てることは全く考えていません。本というものは、どんなに古くなっても、文字が読める限り再利用が可能ですから、できるかぎり古書店に売却しようと思います。

 処分する本の基準はいくつかあります。第一は、今後おそらく読まないだろうし、読み返さないだろうと思う本です。読もうと思って買ったまま読んでいない本もありますが、それはそのときに興味をもって買ったことだけで価値があったと思います。

 第二は、いつか読みたくなったときに、再び買えるか、図書館で読める本です。それは古典となった本であるか、文庫本の定番となったような本です。しかし、近ごろの文庫本には、引き続き出版されるのかどうか不安もあります。

●身軽な生活と必要な知識

 学生時代に読書に関心をもってから、わたしは、哲学、経済、政治、歴史、文学など、どんな分野の本も読んでやろうというつもりで本を買ってきました。大学卒業後も、読書の習慣は失いませんでしたが、しだいに自分の関心の範囲が限られてくるとともに、自分の好みもわかってきました。近ごろは、専門的な分野の本を読んでいると、ものごとの根本について自分が本当のところをわかっていないのではないかと思うこともしばしばあります。

 何か疑問があると、つい本に頼りたくなりますが、世の中には二つの問題があるようです。一つは本や情報からわかること、もう一つは、自分で考えることで分かることです。本の所有も情報獲得の一つですが、ものごとを考えようとするときには、情報に頼る気持ちがジャマをすることもあります。

 わたしは近ごろ近代文学の朗読の研究をしているのですが、文学のよさを味わうためには、たくさんの文学作品を読まなくてもいいと思うようになりました。たくさんの作家や作品に手を出すよりも、いい作品をじっくり読むことによって、文学というものをとらえることが可能なようです。

 近ごろ、教育の分野でも、やたらと情報の価値が持ち上げられて、情報過多の傾向がすすんでいます。そこには、パソコンとインターネットに代表される情報産業を教育の分野でも商売にしようという思惑がありそうです。

 しかし、教育において重要なのは、知識の量ではなく、一人ひとりの人間が、ものごとを深く考えられるような能力をつけることです。情報の処理とは、それぞれの人が、ものを考えたり、行動するために必要な情報を選択して取り入れることです。わたしの書籍の処分も、あらためて自分の関心と好みとを検討するいい機会だと思っています。

●気功整体治療院の先生

 つい最近、教育の根本を考えさせられるような人と出会うことになりました。わたしの家の近所で見つけた気功整体の先生です。腰痛の治療のために月に二度ほど通っているのですが、指圧に気功を組み合わて、じつに丁寧な治療をしてくれます。しかも個人経営なので料金が安いのも魅力です。開院して間もないのに急速にお客が増えています。

 あるとき、わたしが専門学校の講師をしていると話すと、先生が自分は高校の通信教育を受けているといって、奥から教材をとって来て見せてくれました。そんなことがきっかけで、治療が終わるとお茶を飲みながらいろいろと話すようになりました。

 「若い人を相手に教えるのはたいへんでしょう。私は定時制高校に通ったこともあるのでよくわかります。若い人たちの授業態度にはがっかりしましたね。先生が話をしている最中に缶ジュースは飲むし、ポケベルは鳴らすし、せっかくのいい話を聞いていないんです。本当にもったいないと思いますよ」

 先生はもう五〇を越えています。若い人たちの中に混じって勉強することは、正直いって照れくさいといいます。しかし、何よりも学ぶことが楽しくてしかたがないのだと言います。その喜びをまるで子どものように目を輝かせて語るのです。

 「理科の授業でピラミッドの製作方法について話してくれたことがありました。あのときは感動しましたよ。あんな巨大なものを人間がどうやって作ったのかよくわかりました。それなのに、若い人たちは話を聞かずに漫画を見たりしてるんですからね」

 先生は九州の出身です。中学校を卒業後、骨接ぎの治療院に修業に出たそうです。はじめの数年間は、うどん粉を練って湿布の薬を作るだけの仕事をさせられました。

 それから、いろいろな治療院をめぐり歩き、四〇をすぎたときには東京の大きな指圧治療院に勤めて、大ぜいの人たちの指名を受けるようになりました。そして、昨年の暮れに治療院を開いたのだそうです。

●基礎的な勉強とは何か

 先生はいつもどうしたらいい治療ができるかについて考え続けてきたと言います。そのために、骨接ぎの仕事からも指圧の治療からも学ぶことがあったし、針治療の考えも応用しているそうです。

 気功も治療のための一つの技として、独学で始めたものでした。しかし、まだまだわからないことがあるので、「気功」ということばを見ると、どんな本でも買い込んで目を通しているといいます。

 わたしが治療に行くたびに「今度はこんな本を取り寄せました」といって新聞の小さな切り抜きや、気功の理論や実践について書かれた本を何冊も見せてくれます。その一方で、かつて学ぶことのできなかった高校の教育過程を学び直しているのです。

 わたしは治療に行って先生と話をするたびに、五〇歳を過ぎても学び続けようとする態度に励まされる思いがします。そして、学ぶということの基本とは一体なんだろうかと考えさせられます。

 わたしたちに必要な情報とはなんでしょうか。情報とは無限にあるわけではありません。その人にとって必要なのは限られた情報です。現代は情報過多で混迷を深めている時代です。わたしは、自分にとってどのような情報が必要なのか、その情報を生かすためにはどんな能力が必要なのか、あらためて考えてみようと思っています。


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