コトバ表現研究所
はなしがい161号
1999.12.1 

 つい最近、ある一冊の本と出会って、当たり前のように通りすぎてきた一つのことばがこんなに意味の深いものであるか思い知らされています。

 その本は、こんな「はしがき」から始まります。

《今の世の中には、民主主義ということばがはんらんしている。民主主義ということばならば、だれもが知っている。しかし、民主主義のほんとうの意味を知っている人がどれだけあるだろうか。その点になると、はなはだ心もとないといわなければならない。》

 民主主義というと、わたしはまず多数決、少数意見の尊重といった政治の原理を連想します。しかし、そこに限られず、次のような精神であるといいます。

《民主主義の根本は、もっと深いところにある。それは、みんなの心の中にある。すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、それが民主主義の根本精神である。》

 そして、「人間の尊重」を基本として「自由」と「平等」を軸に民主主義の思想展開しています。わたしはあらためて目を開かれるような思いです。

●文部省教科書『民主主義』

 その本の名は、『文部省著作教科書 民主主義』(1995/径書房)、原本は上下二巻、上巻は昭和23年、下巻は昭和24年に刊行され、中学・高校の社会科教科書として昭和28年まで使われました。わずか四、五年で使用が打ち切りになった背景には「逆コース」といわれる日本の反動化の動きがあったのでしょう。

 この本が出たとき、わたしは書店で見て中味に引かれたものの、「文部省」という著者名にこだわって買いませんでした。今回の本は最近、古書店で見かけて買って、感動のあまり、専門学校のすべてのクラスで生徒に回覧して紹介しました。  文部省執筆の社会科の教科書などというと、いかにも味気ないものを想像されるかもしれません。たしかに、戦前の歴史のとらえ方や未来社会の考え方には偏見がありますが、基礎的な知識がわかりやすく書かれています。しかも、執筆者の声や人格まで感じとれるおもしろい読み物になっています。

 この本は、戦後日本が民主主義国家として出発するときの思想の原点を示すものです。全巻につらぬかれているのは、戦争への深い反省と新しい日本を建設しようという情熱です。民主主義の思想は政治に限られず、経済の分野へと拡大されています。労働者や婦人の権利の保障についても考慮されています。また、アメリカ、イギリス、フランスなどの歴史の解説も簡潔でありながら要を得たものです。

●教師と生徒との民主主義

 「第十四章 民主主義の学び方」には、学校教育での民主主義が取り上げられています。全文を引きたいほどですが、いくつかの部分に限定して引用します。まずは、戦前戦中の教育への反省です。

《これまでの日本の教育は、一口でいえば、「上から教えこむ教育」であり、「詰めこみ教育」であった。先生が教壇から生徒に授業をする。生徒はそれを一生けんめいで暗記して試験を受ける。生徒の立場は概して受身であって、自分で真理を学びとるという態度にならない。》

 戦前・戦中に政府の果たした役割についても、次のように反省されてます。

《がんらい、そのときどきの政策が教育を支配することは、大きなまちがいのもとである。政府は教育の発達をできるだけ援助すべきではあるが、教育の方針を政策によって動かすようなことをしてはならない。教育の目的は、真理と正義を愛し、自己の法的、社会的および政治的の任務を責任を持って実行していくような、りっぱな社会人を作るにある。》

 教育の基礎になる道徳については次のように書かれています。これが学校教育の基本でした。

《公民道徳の根本は、人間がお互に人間として信頼しあうことであり、自分自身が世の中の信頼に値するように人格をみがくことである。それは自分の受け持っている立場から、いうべきことは堂々と主張すると同時に、自分のしなければならないことを、常に誠実に実行する心構えである。社会共同の生活を営むべくすべての個人は、それぞれその受け持つ仕事を誠意をもってやりとげていく責任がある。人々が、おのおのその責任を重んじ、そのうえでお互に信頼しあい、協力し合うのでなければ、民主主義の理想はとうてい実現できない。》

 学校教育における教師と生徒とのかかわりについても次のように書かれています。

《民主主義の根本原理は、人間の尊重である。この精神に従って、まず要求されるのは、生徒の個性を重んじ、それを正しく伸ばしていくことでなければならない。今までのように、政府が教育の方針を細かく定め、それをそのとおりに教えることを学校に強要していたのでは、学校教育はどうしても画一的となり、型にはまった人間だけが作られる結果になる。だから、新しい教育の方針では、この点をすっかり改めて、生徒の勉強に自主性と自発性とを与えるように努めることとなった。/すなわち、先生は生徒に対して理解ある指導を与え、生徒の興味を刺激して、その個性と才能とをじゅうぶんに発揮させるようにする。たとえば、絵のじょうずな生徒には絵をかかせ、理科に興味をもつ者には、すすんで動植物の研究や、物理化学の実験などをさせる。したがって、生徒の方も、先生が教えてくれるのを待って、それだけを覚えるといった受身の態度をやめて、自分からすすんで知識を求めていくようにならなければならない。そうすれば、生徒にとって、勉強はいやな苦しいことではなく、楽しみつつ、学ぶことができるようになる。自発的に学んだ知識は、一生の間身について離れることがないであろう。》

 また、教師の教育の自由とその責任についても次のように述べられています。

《新教育は、生徒の個性を重んじ、その自発性をとおとぶとともに、先生の教え方にもじゅうぶんに自発性を認める。今までのような画一的な教育では、先生も一つの型にはまった教え方をすることを余儀なくされた。これに反して、これからは先生が自分で教育のしかたをくふうし、自ら教材を集め、強度の地理や歴史、あるいは時々の社会の問題や経済問題のような生きた教材を織りまぜて、生徒の知識欲を満足させるように指導していくことができる。》

 ここに書かれた「民主主義」の原理は、理想であると同時に、現代の日本が戦後の五十五年間に、どこに向かって、どこまで進んできたのかを明らかにする里程標となるものでしょう。


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