コトバ表現研究所
はなしがい154号
1999.5.1 

 4月28日の新聞に、文部省の発表した「日本人の国民性調査」の内容が掲載されました。1953年から5年ごとに行われて十回目です。見出しに「不況の影 5年の落差・自信喪失症候群″」とあるのに引かれました。5年前の調査と比べて、「日本人は西洋人と比べて優れている」が41%から33%、「科学技術の水準は非常によい」が46%から24%、「経済力が非常によい」が33%から4%へ急落しています。そして、「社会に満足」「やや満足」の合計も、50%から28%へと減りました。これが「自信喪失」の意味です。

● 生と死について

 この記事を見て、専門学校の授業で「将来に自信を持って生きよう」という話をしてしまいました。学生たちが、なぜいきなりそんなことを言うのかという顔をしたので、新聞記事の紹介をしました。それで、わたし自身も、こういう時代に、どうしたら自信が持てるのかとあらためて考えざるを得なくなりました。

 わたしは以前から、人間が究極の理想とするべき価値とはいったい何なのか考えています。これは、教育の目的を考えるためにも、自分の生き方を考えるためにも、根本にすえるべき問題だと思っているからです。

 学生たちに話をしていて、わたしがしばしば話さなければいけないと思うのは「なぜ勉強をするのか」ということです。代表的な答えとして「将来、いい生活をするためだ」というものがあります。しかし、「いい生活」とは何でしょうか。「いい」とはどんなことでしょうか。これをつきつめていくと、究極は「善とは何か」という哲学的な問いになります。

 人間にとって根本的な問いは「なぜ生きるのか」「どう生きるのか」です。その問いの根底にはよりよく生きたいという人間の願望があります。また、生の問題は死との対立で考えられることもあります。

 差別問題をとりあげた小説『橋のない川』を書いた住井すゑは、「生命(いのち)」こそ根本的な価値だといっています。また、宮沢賢治は学生に「人間はなぜ生きるのか」と問われたとき、「自分にはわからない。しかし、それを考えるために生きている」と答えたというエピソードがあります。

 また、中国の思想家である孔子は「死とはなにか」と問われたとき、「自分は生きることさえまだよくわからないのに死など考える余裕がない」と答えています。生と死についての問いかけは、だれもが一生のあいだ考え続けるべき根本的な問題です。しかし、どう考えたらいいのかむずかしいことです。それを考える手がかりはないものでしょうか。

● プラトンの「イデア論」

 わたしはギリシアの哲学者プラトンの本を愛読しています。哲学の根本的な問題が日常の対話のかたちで書かれているので、小説を読むように気楽に読めます。しかし、話題にされていることは奥の深いもので、かんたんにはわかりませんが、それでも、おもしろくて何度も読みかえしています。

 今、わたしは、竹田青嗣『プラトン入門』(1999/ちくま新書)という解説書を読んでいます。これもなかなか手ごわい本ですが、プラトンの「イデア論」について新しい発見をさせてくれました。

 プラトンは、この世界を「現実の世界」と「イデアの世界」との二つに分けて考えていました。それで、二元論者とよばれ、理想主義を唱える観念論者とされています。プラトンが生きた時代は、ギリシャの民主制が終って独裁政治に入ろうとするときでした。多くの人たちが現世の利益を追いもとめた時期です。そんなときだからこそ、現実から区別された理想の世界を唱えることに意義があったのです。

 プラトンによれば、人間が目にするあらゆるものはイデアをもちますが、人間の生き方の価値のもとは「善」のイデアです。人間は「よきもの」を求めて生きています。何が「善」なのかと判断するときに、わたしたちは、善悪の基準となるより大きな「善」を考えています。プラトンは、そのおおもとになる「善」に最大の価値を与えています。

 これは、ちょっとわかりにくい考えですが、わたしは日本人のいう「天気」を連想しました。わたしたちは「あした天気だ」といいますが、「天気」には二つの意味があります。一つは「よい天気」の意味、もう一つは「天候全般」の意味です。しかし、「天気」はよいものであるべきだという気持があるので、わたしたちは「好天」を「天気」と呼んでいるのです。わたしはプラトンの「善」もこれと同じような考え方なのだと思います。

● 理念としての憲法

 プラトンの「善」のイデアの提唱は現実への強烈な批判です。イデアに照らしてみたら、現実は理想からはずいぶん遠いものです。そのままの現実はとうてい受けいれられるものではありません。イデアの世界とは、世界はどうあるべきかという価値観と結びついているものであり、自分は世界をこうしたいという実践的な意志を含んでいます。

 現代の子どもたちに将来のことについて問いかけると、せいぜい理想の仕事をあげるくらいです。かつては、医者、弁護士、パイロット、最近では、なんと公務員があがるそうです。たしかに、職業を選択することは、人間が生きる上で大切な目標ですが、今は、その前提となる生きかたの理想や、「善」とするべき価値が求められているのです。

 わたしが学生に理想を語るとしたら、何を話すことになるでしょうか。まず思いつくのが、フランスの「ユマニテ」の精神です。英語でいうヒューマニティ、日本語で「人間性」です。これはプラトンのイデア論の中心にある「善」につながるでしょう。

 また、宗教の歴史のなかでも理想は語り続けられて来ました。今も、世界の多くの国々に、宗教上の「善」を理想とする人たちが大ぜいいます。しかし、それはプラトンのいう「善」から見れば、まだまだ狭い考えのものです。残念ながら、宗教の理想が民族間の戦争の原因になったりもしています。

 日本人にとって「善」の理想を示すものが何かあるでしょうか。5月3日は憲法記念日です。いわゆる「ガイドライン法案」との関連で憲法第九条の「戦争放棄」が話題になっています。基本的人権の主張を軸にした憲法の理念こそ、現代の日本人の「善」にふさわしいものではないでしょうか。わたしは、日本国憲法の理念にこそ、今後の日本人の「自信」の根拠があるのだと思います。


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