コトバ表現研究所
はなしがい146号
1998.9.1 

 読書の秋です。最近、ある哲学の本で動物の言語と人間の言語とのちがいを知って、読書の意味について考えようと思いました。

 動物の言語は「情動言語」、人間の言語は「命題言語」なのだそうです。動物の言語は話し手の主観的な感情を訴えるものですが、人間の言語は「ナニガ→ナンダ」という主部と述部のかたちで客観的な意味あることを述べられる点に特徴があります。

 また、動物と人間のちがいとして、人間は言語によって「心像」――イメージを描くことができるという能力があります。わたしは音や映像によるコミュニケーションの価値を高くもちあげる風潮への批判になると思いました。

 たしかに、音や映像は直接に感じられる刺激をあたえてくれますが、それ自体が具体的であるだけに、わたしたちの想像力を衰えさせる危険があります。たとえば、映像でいうなら、小説を読むのと、マンガに描かれたり、映画化された小説を見るのとでは、イメージは大きくちがいます。すじは同じであっても、まるで別の作品です。ですから、どんなによくできたマンガや映画でも、言語で書かれた原作のかわりにはなりません。

●マンガから文字の本へ

 専門学校でわたしの授業のある日は、火曜と水曜ですが、以前から水曜にはマンガ週刊誌をかかえた学生が目立ちました。話を聞いてみると、水曜はある雑誌の発売日なのだそうです。しかし、気のせいかなぜか近ごろは、電車の中などでマンガ週刊誌を見る若者が少なくなった気がします。

 わたしは専門学校で毎年、学生たちの世代にふさわしいと思われる本を、文庫や新書から選んで、時間ごとに紹介してきました。必ず紹介する定番の本もできてきました。吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)、立花隆『青春漂流』(講談社文庫)、立花隆『「知」のソフトウェア』(講談社新書)などは、その代表です。

 しかし、学生から「もっとやさしい本を紹介してください」といわれることがあります。わたしはできるだけやさしい本を選んだつもりでした。いちばんむずかしそうで岩波新書くらいなのですが、たしかに自分自身の読書経験を考えると納得できます。

 ちなみに、わたしがはじめて読んだ岩波新書は、J・P・サルトル『ユダヤ人』でした。高校を卒業するころだったと思います。なぜそんな本を読んだのか考えてみると、映画教室で見た『アンネの日記』への感動からだったようです。しかし、読んで内容が理解できたような記憶はありません。

●児童文学とおとなの本

 わたしがインターネットで参加しているメーリング・リスト(グループでお互いの手紙を共有して話し合う場)で、マンガとふつうの本とのちがいが話題になりました。マンガばかり読んでいる若い人たちをどうやってふつうの本を読むようにさせるかというのです。すると、高校の司書をしている先生からは「マンガさえ読めない生徒がいる」という話も出ました。これもたいへんなことです。

 もちろん、マンガにもすぐれた作品はあるし、文字だけの本にも下らないものがあります。ですから、「マンガを読むな」ではなく、「いい本、いいマンガを読もう」ということになるでしょう。それでも、マンガしか読めない子どもに、文字だけの本を読める能力をつけることは重要な教育課題です。

 最近、わたしはインターネットで、ひこ・田中という児童文学の作家と知り合いました。大林宣彦監督の映画『お引越し』の原作者です。この人に推薦していただいて、いくつかの作品を読みました。感動したり、おもしろさを感じて最後まで読み通したのは次の三つの作品です。

・ハンス・ペーター・リヒター『あのころはフリードリヒがいた』上田真而子訳。岩波書店。1990)
・ロバート・ウェストール『海辺の王国』坂崎麻子訳。徳間書店。1994)
・C・ネストリンガー『あの年の春は早くきた』上田真而子訳。岩波書店。1998)

 わたしは、このような本は児童文学という世界に閉じ込めないでもっと広く読まれるべきだと思いました。三作品とも第二次世界大戦を背景にした物語です。それぞれ、ドイツ、イギリス、オーストリアと三つの国の子どもたちの戦争体験と生活意識がリアルに描かれています。『あのころ……』では、戦時下のユダヤ人差別、『海辺の王国』では、子どもの家庭からの自立、『その年……』では、戦争終結をめぐる大人たちの態度が問題にされています。どの作品もたんなる戦争体験の再現にとどまらず、現代にも通じる問題を描きだしています。

●若者のための雑誌

 わたし自身は子どものころ、児童文学によみふけるという時期を持ちませんでした。文学に目覚めたのは大学に入ってからでした。小学生のとき、いくつかの児童文学や伝記を読んだり、高学年では、和歌森太郎編の小学生向きの日本歴史の全十何巻を終わり近くまで読みました。それに並行して『少年マガジン』『少年サンデー』も毎週読みました。

 当時のマンガ週刊誌は、マンガばかりでなく、三分の一くらいは特集記事でした。第二次大戦中の飛行機やピストルの種類など軍事的な内容のものでしたが、ほかにも「世界の不思議」とか、「日本の奇病」として水俣病やイタイタイ病を紹介した図説記事がありました。あとになって、わたしはそれが公害についての最初の知識だったことを知りました。

 その後、マンガ週刊誌にあきてしまい、中学・高校時代の読書は空白です。そのかわり趣味のエンジン機つくりやスポーツの部活動が入ります。しかし、その空白期間が飢えとなって、大学でのわたし活発な読書意欲を高めてくれたような気もします。

 しかし、マンガ週刊誌にあきたとき、それにかわる雑誌がないかと探したことがありました。『ボーイズ・ライフ』という若者向けの月刊雑誌の創刊を知ってしばらく取りました。その写真記事でベトナム戦争のはじまりを知りました。しかし、残念ながら半年もしないうちに廃刊になったと思います。

 わたしはいま刊行されているマンガ週刊誌を見るたびに、マンガから文字の本に移る段階の本や雑誌があればいいなと思います。近ごろわたしの読んだ児童文学が、どんな世代にどのように受け止められているのか、もうしばらく考えてみようと思っています。


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