コトバ表現研究所
はなしがい143号
1998.6.1 

 今年から専門学校で高校卒業の学生たちばかりの授業を受け持って約一ヵ月半がすぎました。学生の中には、四十代、五十代の年上の人も何人かいます。

 この間、わたしがとまどっているのは、学生とのやりとりです。これまでの中学卒業の生徒たちとは、長く教えてきた中学生と同じような感覚でやりとりができました。話しかける態度も冗談の出し方も慣れた調子でやれました。生徒たちもよく応じてくれました。それには、一クラス三十人たらずの人数、週に一クラス六時間の担当という条件にもたすけられていたようです。

 今年の学生たちはなかなか思うように反応してくれません。授業中にしばしば「○○について知っている人」「○○のことを知らない人」などと、アンケート調査のような質問をして手をあげさせることがあります。これは授業を受ける側の参加意識を高めるための一つの手法です。イエスと答えても、ノーと答えても、これから話される内容について意識的に考えるようになります。しかも、からだを動かしますから、眠気の防止にも役立つのです。

 ところが、十八歳を越えた学生たちは、手をあげるという単純なことさえ、なかなかしてくれません。あまりにも単純すぎてばからしいとでも思うのでしょうか。一人ひとりに問いかけるなら、答えてくれるのですが、聞きさくにくい小さな声ばかりです。

●学校の授業の性格
 そもそも学校の授業というものは、日常生活とはちがったある種のゲーム空間、舞台空間のような場です。先生は司会役のようになって、生徒もそこに加わっていくものです。ひとりが何か発言するときにも、自分と先生との関係ばかりでなく、自分の周囲のものを意識において発言することになります。それがささやきのような発言になるわけです。

 いつか、わたしは小学三年生の公開授業を見たことがあります。広い体育館の片隅に三十人ほどの机がならべられて、それをとり囲んで百人以上の先生たちが見ている中でも、先生がひとこと質問をするたびに、「はい、はい」と競うように手をあげるのでした。そんな授業がついうらやましくなるのですが、大学生の年代にそこまでの反応を期待するのは無理なことでしょう。

●最近の学生たち
 しかし、ありがたいことに、ここ数回の授業で何人かの学生が、わたしの話の内容についてのコメントをしてくれるようになりました。

 第一回の授業のときに、わたしはアメリカの高校や大学のような対話のやりとりによる授業をやりたいと話しました。そうは言ったものの、正直をいうと本当にそんな風にはできないだろうと思っていました。なにしろ、一クラスをのぞいたほかは六〇名近い人数ですし、一年間三〇時間たらずの授業です。しかし、学生たちの反応を生かす授業もできるかもしれないという気になってきましたので、やれる限りの工夫はしてみるつもりです。

 もうひとつうれしいのは、授業のあとで感想や意見などを言いにくる学生が増えたことです。自分の学生時代から考えると、ひとりで先生のところに行くことは、それなりの決意のいることです。しかも、先生への信頼と期待がなければできないことです。ですから、二人も三人も来てくれるというのは、とてもありがたいことだと思えるのです。

●「交渉」と人間関係
 とりとめない授業報告になりそうなので、ここで一冊の本を紹介しましょう。わたしはこの本を読んで人間関係における「交渉」の重要さについて考えさせられました。

 河合隼雄・梅原猛編『小学生に 授業』(1998.6.1。小学館文庫)です。国際日本文化研究センターに所属する教授たちが小学校五、六年生を相手に授業をした内容を本にまとめたものです。文明、宮沢賢治、道徳、チョウチョウ、人類、三国志、俳句、時計、花粉などの話を、科目でいうなら、国語、理科、社会、道徳などの角度からとりあげています。

 はじめてこの本の「授業」という文字を見たとき、わたしは林竹二(故人・元宮城教育大学学長)のすばらしい実践を思い出しました。しかし、この団体について、わたしはイデオロギー的なウサン臭さを感じているので迷いました。でも、この文庫がオリジナルの内容だというので買いました。

 残念ながら、ほとんどの授業の内容にも、その方法にもあまり感心しませんでした。これで小学生の子どもたちが興味をもって聞いてくれるのだろうか、理解してくれるのだろうかと思いました。

 それでも、二つすばらしい授業を見つけました。尾本恵一「自然に学ぶ」、木村汎(ひろし)「交渉」です。「自然に学ぶ」はチョウチョウのスライドを見せながら話を進めて、人類を遺伝子から研究する話へと進めています。しかし、国際化といわれる時代に、日本文化というものをヘンに誇りたがるような考えを、この二つの授業にも感じました。

 そんなこだわりを越えておもしろかったのが「交渉」の授業でした。「交渉」ということばの定義からはじまって、一つ一つのことばの意味をしっかり確認しながらすすめています。

 そして、「力による決め方と交渉による決め方」の対立から「交渉」の重要性の理解へとすすむのです。最後にあげられた七つのポイントは、単に政治的な交渉の問題にとどまらず、人間と人間との付き合い方の原点ともいえるものでした。

 (1)締切りのある交渉、ない交渉
 (2)一回だけの交渉とそうでない交渉
 (3)公開交渉と秘密交渉
 (4)一対一の交渉と二つ以上との交渉
 (5)対外的交渉と対内的交渉
 (6)批准の必要な交渉と不要な交渉
 (7)全部をとるか、ゼロになるか、妥協するか

 字づらだけ見ると、ちょっとむずかしそうですが、ほんとうに小学生にもわかるような話しで、何より重要なのは、「交渉」というものが当事者同士の孤立したやりとりなのではなく、社会的なものだということです。当事者をとり囲む人たちとのかかわりによって、交渉の当事者が圧力を感じたり、あるいは励まされたりする関係を、じつにわかりやすく説いています。

 そして、そのようなかかわりこそ、政治であり、教育であり、家庭の生活での人と人との関係にまでつきまとうものだと納得できました。


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