コトバ表現研究所
はなしがい142号
1998.5.1 

 毎年、新年度を迎えると、担当する科目についてあらためて考えます。今年、わたしは調理師専門学校で、高校卒業以上の学生たちを対象に、教養講座と衛生法規の授業をもちます。衛生法規は調理師の国家試験の科目であり、教科書もありますから、内容は決まっています。しかし、教養講座については、とくにこれを教えろというきまりがないので、毎年、根本的なことから考えなおすことになります。それでも、専門科目ばかりの中での「教養講座」ですから、およその位置は決まります。

 わたしの学校の教育方針は、「調理に関する専門的な知識と技能を身につけるとともに人間性豊かな人間を育てる」ということです。専門科目の役割が知識と技能の教育だとしたら、教養の役割は人間性の向上にあるのだと思います。

●学校教育と教養

 そもそも教養とは何でしょうか。最初の授業で、「答えさせないから」と前おきして「教養とはなにか、何となくでいいからイメージの浮かぶ人はいますか」とたずねてみました。どのクラスでも、手が上がるのは一人か二人でした。それに対して、イメージがわかないという学生は三分の二以上でした。

 考えてみればムリもないことです。小中高の教育では、各科目の勉強をするだけで、教養ということばは耳にしないでしょう。多くの人は、就職試験のときか、大学の教養課程で「教養」に出会うのです。しかし、二、三年前に東京大学では教養課程を廃止しましたし、ほかの大学も教養の教育よりも専門を重視する方向に変わっています。

 わたしは大学の教養課程は、小中高までの学校教育では不十分な学問のまとまりとつながりをはっきりさせて、専門の勉強に入る準備をする重要な段階だと思っています。わたし自身、大学ではじめて哲学に出会い、文学の魅力を知り、コトバのはたらきや論理学の役割などに目ざめた覚えがあります。わたしにとって、教養課程での勉強は、学問の基礎となる考え方や学問の価値を明らかにする哲学的な意味の発見であったと思うのです。

●教養とはなにか?

 今年も最初の授業でアンケートをとりました。「教養ときいて思いつくコトバを三つあげてください」「自分はどんな教養を身につけたいか」「今後の授業への希望と注文」の三項目でした。もちろん年間の計画はできていますが、アンケートで学生の意識をたしかめて授業の重点を考えるのです。

 「教養」から連想したのは次のことばでした。

 「常識、礼儀、社会、お花、お茶、かたくるしい、知性、品性、マナー、作法、習い事、会話、しつけ、東大、夏目漱石、知識、NHK、人間性、あいさつ、コミュニケーション、新聞、本、自覚、お嬢さま、芸術、文化、学問、品格、ニュース、話し方、雑学、言葉づかい、人生、バイオリン、ピアノ、人柄」

 アンケートのヒントになりそうな話をしたあとで書いてもらったので、わたしの授業の内容を予想したことばもありますが、学生たちがとらえている「教養」のイメージはつかむことができます。とくに多かったコトバは、「常識、知識、礼儀、マナー」などでした。

 ちなみに、『岩波国語辞典』を見ると、「教養」は次のように解説されています。

「学問・知識を(一定の文化理想のもとに)しっかり身につけることによって養われる、心の豊かさ。」

 つまり、教養とは、たんなる知識ではないし、たんなる技術でもないわけです。それぞれの人の「身につけ」られて、人間としての「心の豊かさ」と結びつく必要があるわけです。

●コトバの能力と「教養」

 わたしが今の学校に招かれたのは、もともと基礎的なコトバの教育をするためでしたから、教養の教育の中心には「話し聞き、読み書き」の能力をおいています。

 ふつうに考えられる「教養」の内容はいくらでも広げられます。お茶、お花、ピアノ、バイオリンなども教養の一部ですから、なにをどこまで身につければいいのか考えるとたいへんなことになります。

 「教養」には、平均化した常識的な知識というイメージがありますが、一人ひとりの教養をとってみれぱ個性的です。ほかの人の知識と共通するものは、教養というよりも常識というほうがふさわしい感じがします。本来の教養は、共通性よりも個性のちがいに価値がありそうです。

 学校教育では、基礎的な知識や能力を学ぶという面から、個性にかかわりなく一般的な知識を教えられます。しかし、教養については、だれもが何でも身につけられるわけではありません。各人の知識にも限界がありますから、何を身につけるかによって教養の個性が生まれます。ですから、わたしは教養の授業で教育できることは、常識的な知識を広く学ばせることではなく、各人が自らの教養を身につけられる能力の養成なのだと思います。

 わたしがめざしている教育は、教養を身につけるための手段であり、人間のコミュニケーション能力そのものであるコトバの力です。毎年、教養の授業では「コトバとコミュニケーション」とサブタイトルをつけて話をしています。授業の具体的な内容は、コトバ能力をつける三つの自己訓練――書きなれノート、表現よみ、しるしつけよみ、本の読み方、新聞の読み方、話し方と敬語の基本、考えの展開と論理の基本などです。

 今年も最初の授業では、学校で学ぶことについての常識を話しました。ざっとあげると、授業中にどのように私語をするか、トイレに立つときに何と言ったらいいか、遅刻して教室に入るときに先生に何を話すべきか、周囲の人にわるい印象をあたえない携帯電話のマナー、授業中に雑誌を盗み見するときのマナーなどでした。

 学生たちは雑談としておもしろがって聞いているようでしたが、わたしはこれらのマナーも学生にとっての教養の一部だと考えています。こんなマナーも、むかしは常識だったかもしれませんが、今ではあらためて話す必要があると思っています。ありがたいことに、授業でどんな話をしても、すべて「教養」のワクにおさまってくれます。

 わたしは専門科目の教育から抜け落ちていく分野について、また一年間、学生とともに考えていくつもりです。わたし自身にとっても、自らの「教養」が試されることになるでしょう。


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