コトバ表現研究所
はなしがい140号
1998.3.1 

 先日、「志賀直哉の世界――文章表現の魅力」という題で講演をしました。その準備のため、久しぶりに「或る朝」「清兵衛と瓢箪」「大津順吉」などの作品を読みなおしました。志賀直哉の人間的成長について考えるうちに、いま話題の「キレる」子どもたちの問題を重ね合わせていました。

 このところ新聞では、刃物を使った少年たちの事件が立て続けに報道されています。日ごろ目立たない普通の子どもたちがいきなり暴力をふるったといわれます。なるほどと思ってしまいそうですが、人がわけもなく暴力をふるうとしたら病気です。

 人間の行動には、何らかの原因や目的があるはずです。事件に関わった子どもたちにも、そこに至るまでのいろいろな事情や背景があります。いきなり起こった行動に見えたとしたなら、周囲の者がそれまでの当人の姿を見ていなかっただけのことです。

 わたしが新聞の報道を読んでいて歯がゆいのは、当人の人物像がアイマイなまま問題が論じられていることです。事件にかかわった人物の人格や環境を具体的に知ることによってこそ、事件の本質が明らかになるのだと思います。すぐれた文学作品の効用の一つは、あるできごとに関わった人間の姿を描くことで人間の本質を示してくれることにあります。

●志賀直哉の人と文学
 志賀直哉は、明治十六年(1883)に宮城県石巻で生まれました。父は銀行員で三十歳、母は二十歳でした。三歳のとき、父母とともに上京して、祖父母の家に同居しますが、両親が直哉の前の子どもを亡くしていたので、直哉は母からはなされて祖母のもとでおばあちゃん子として育ちます。直哉のあとに子どもが生まれなかったので事実上の一人っ子です。

 十三歳のときに母を亡くして、父が迎えた二十四歳の継母には一男五女の子どもが生まれます。いちばん上とは十五歳ちがい、いちばん下とは三十歳のちがいがある親子のような兄弟関係となります。

 志賀直哉の作品で、強烈な印象があるのは、「大津順吉」の最後の場面です。主人公・順吉は、結婚しようと約束した女中から父の作戦によって引き離されたあと、怒りの衝動から畳に鉄アレイを激しく投げつけます。そこに至るまで順吉の心情は具体的な説得力をもって描き出されています。

 わたしはその場面をはじめて読んだとき、それまでの直哉のイメージが一転しました。志賀直哉というと、わたしは「城の崎にて」で静かに動物たちの死を見つめるような心境の人間だと思っていました。

 しかし、直哉の伝記をたどってみれば、父をはじめとして家族たちとの激しい対立があるのです。十九歳のときには祖父の関係した足尾銅山の鉱毒事件の現地視察に出かける計画で父と対立し、二十五歳のときには女中との結婚問題で家族とも対立します。

 そして、三十二歳で結婚するとき、父から除籍されて家を出ます。有名な作品「和解」に書かれた和解が成立したのは三十四歳のときでした。それまでの間、父の家ではひとり離れで暮らし、日本各地に出かけては下宿をするような暮らしでした。

 十九歳のときの対立から三十四歳の和解の成立まで、なんと十五年の月日が流れています。  そんな経歴を頭において志賀直哉の作品を読みなおしてみると、一人の人間が環境と対立しつつ自立していく道すじの典型的なものが見えてきます。

●子どもの能力とおとなの評価
 子どものための作品としてよく知られている「清兵衛と瓢箪」では、おとなと子どもとの対立が描き出されています。瓢箪つくりに凝っている清兵衛は、おとな顔負けのすぐれた腕を持っていますが、まわりのおとなたちはまるで気がつきません。

 事件は新たに作った見事な瓢箪を学校に持って行ったことから起こります。授業中に、しかも修身の時間に机の下で磨いているところを教員に見つかって取り上げられてしまいます。

 教員は家にもやってきて母に小言を言って帰ります。仕事から帰った父は家にある瓢箪をすべて玄能でたたき割ってしまいます。

 清兵衛の瓢箪がいかに価値あるかは次のような後日談で示されます。教員のとりあげた瓢箪は小使に与えられ、小使はそれを骨董屋に月給四ヵ月分ほどの五十円で売り、さらに骨董屋は地方の豪家に六百円で売ったのです。せめてもの救いは、清兵衛が今は絵を描きはじめているということですが、それもまた父に目をつけられているというところで作品は終っています。

●信太郎と祖母との信頼感
 もう一つ、志賀直哉の人生を象徴する作品として「或る朝」があります。直哉自身、「初めて小説が書けたという気がした作品」であると語っています。ここに志賀文学の原点があるともいえそうです。

 はじめて読んだとき、わたしは主人公・信太郎を十五歳くらいに考えました。しかし、現実の資料をもとに推測すると二十六歳の直哉がモデルです。

 祖父の法事の前の晩、信太郎はは夜ふかしをしたので、翌朝、寝坊します。それを起こそうとする祖母とやりとりをするうちに、お互いが怒りを爆発させますが、間もなく二人の間に和解が成立します。

 これまで何度も読んでいた作品ですが、今回あらためて考えたことがありました。それは、激しく対立したり、喧嘩ができるためには、お互いの間にたしかな信頼感の支えが必要だということです。

 「大津順吉」には、いらだちの日々のなかでつい祖母に辛く当たる主人公の反省が書かれています。

 「しかしこんな残忍もそれを安心して働ける人間は私にとって祖母以外一人もいない」

 三歳で母からはなれて祖母のもとで育ち、十三歳で実母を亡くした直哉にとって、祖母は母親そのものでした。直哉が三十一歳で初めて出版した創作集のタイトルは祖母の名から『留女』とつけられています。また、最初の子どもを幼くして亡くした直哉が二番目の子どもにつけた名は「留女子」でした。

 さて、少年たちの暴力事件では、教師たちのコメントも紹介されています。「子どもたちと心が通じなくなった」「心が見えにくくなった」ということばが共通しています。わたしは教育の前提となる信頼関係が失われているような危機感を感じます。

 人の成長にとって何よりも大切なのは人と人との信頼関係であり、愛情による支えです。愛情をもった関りがあってこそ、キレそうな少年たちの姿が見えてくるし、事件の背景も理解できるようになると思うのです。


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