コトバ表現研究所
はなしがい138号
1998.1.1 

 新しい年を迎えました。ここ数年、わたしは教育の根本に置くべき価値について考えるうちに仏教まで考えを広げるようになりました。日本人のモラルや教育の問題を考えるとき、仏教の影響を抜きにしては語れない気がします。

 わたし自身も知らぬ間に仏教の価値観を身に付けているようです。子どものころ家に仏壇はありませんし、父母も仏教に関心がないようでした。しかし、叔母の家で仏壇に線香やお菓子を供えて拝むのを見て、なぜそんなことをするのか質問して、叔母から「ご先祖さま」の話を聞いた覚えがあります。墓参りに行って聞いた話も仏教の解説だったようです。

●寂聴の仏教法話

 暮れから正月にかけて、瀬戸内寂聴『寂聴 般若心経―生きるとは』(1991年。中公文庫)を読みました。出家してから寂庵で毎月つづけていた法話の一年分十二回の内容をまとめたものです。一回が文庫本二十ページほどです。はじめに自分の近況や日常生活についての教訓などを話して、おわりの三分の一ほどで般若心経の解説を加えるというものです。

 寂聴こと瀬戸内晴美は、恋愛物の通俗小説の作家と思われているようですが、その本領は伝記文学にあります。大逆事件にかかわった菅野すがや大杉栄の妻・伊藤野枝など革命にかかわる女性たちや、岡本かの子も描いています。徳島ラジオ商殺人事件の女性被告の冤罪をはらす運動への関わりなど社会的な活動もしています。そんな人がなぜ出家したのかという疑問を、わたしはずっと持っています。

 「般若心経」は、法事の席などでよく耳にしていましたが、その意味についてはまるで知りませんでした。しかし、この経文は体系をもった一つの哲学なのだということがわかりました。わずか二百七十文字ほどの経文の背景には大きな思想があります。哲学でいうなら、存在論(ものはあるのか、人の心とどう関連するのか)、認識論(人は外界をどのようにして知ることができるのか)、実践論(人はどのようにして生きるべきか)などの分野が含まれます。

 わたしが聞きかじっていた仏教の教えというものは、ひどく通俗化された内容だったようです。経文をわかりやすくするために、もとの思想が解釈されてきたのでしょう。解釈というものは、それを聞いて「ああ、そうですか」と納得したら終わりになりがちです。現実の生活にとって、どのような有効性があるのか問題にされない傾向があります。

 経文の字づらの解釈を繰り返すうちに、いつか現実生活との接点を見失ってしまったのでしょう。それでは、「論語よみの論語知らず」とか「教条主義」と呼ばれてしまいます。わたしの耳にした仏教の考えのつまらなさの原因はそこにありそうです。寂聴の法話にも、「こんな言い方をしていいのか」と疑問を感じるところがあちこちにありました。

 どうやら、仏教を語る人のことばよりも、仏教を実践している人の生活そのものを見る方が、仏教の神髄というものを理解できるのかもしれません。

●釈迦の出家と人生

 寂聴の話で魅力的だったのは、釈迦の伝記を語った部分でした。釈迦は今から二千五百年前、インドの北、今のネパールの西に住んでいたサーキヤ族(釈迦族)の王子として生まれました。本名は、ゴータマ・ブッダです。王家にふさわしく豊かな生活をしていましたが二十九歳のとき、複数の妻と生まれたばかりの子どもを捨てて出家してしまいます。釈迦の抱いた悩みが出家の原因だといわれます。「人間はなぜ生まれたのか、この世はなぜ苦しいのか、人は死ねばどうなるのか」という哲学的なものです。

 出家のきっかけになった「四門出遊」のエピソードがあります。日ごろ出入りする四つの門でいろいろなことを知ったそうです。東の門できたならしく老いた男、南では汗水をたらして震える病人、西では死んで運ばれる人を見ます。ところが北で、高貴な顔つきをした托鉢の僧を見て、「人間は出家をしたら、ああいうふうに心の穏やかな、平和な美しい顔になるんだな」と思って出家を決意するのです。

 それから釈迦は、悟りに至るまでさまざまな修業を重ねることになります。わたしたちは信仰というと、すぐにお釈迦さまにすがるということを考えがちですが、そうではないようです。

●人生の価値と仏教

 寂聴は、仏教の信仰は人間の限界を超えたものへの祈りだといって、その「超越的なもの」を次のように説明しています。

 「その祈る対象は何か。仏とは何か。今まで私は、超越的なもの、人間以外のもの、聖なるもの、なんて言ってきました。昨夜、どうやって皆さんに説明したらわかってもらえるかと思って、四苦八苦している時、フッとひらめいたんです。「これだな」と思った。それは宇宙の生命です。宇宙に充満する生命。そう思ってください。」  つまり、わたしたちにとってもっとも価値のあるもの、それが宗教の祈りの対象です。無宗教で祈る対象のない人ならば、最終的な価値の置き所といってもよいでしょう。それを求めて釈迦は修業したわけです。しかし、わたしたちは釈迦と同じ人生の道を歩むことはできません。そんなとき、仏教の本質を教えてくれるのは、釈迦の臨終のことばです。

 釈迦は八十のとき、鍛冶屋の出した食事に当たって下痢をしながら旅を続けて亡くなりました。まさに死のうとするとき、釈迦は自分の死後の鍛冶屋の苦悩を思って「私が今まで受けたお供養の中で、鍛冶屋のチュンダが出してくれたあのご馳走が、最高に尊いものだった」といいます。そして、遺言として「お前たちは自分を明かりとし、人をよりどころとするな、仏法をよりどころとせよ、他のものに依るな」といいました。

 仏法とは仏教の根本理念です。それにもとづいて、自分の判断で生きること――それが釈迦の最後の教えでした。自分で自分の心を鍛え、自分が正しいことする人間になり、そういう自分を頼りにして、人の言うことに煩わされるなと言うのです。

 「結局、釈迦の開いた仏教というのは、自分と仏法をよりどころとして、人間形成をしながら生きていく、そして理想の人格に自分を鍛え、高めていきなさいという教えなんですね」

 般若心経には、世界各国のさまざまな哲学に見られる人類共通の価値観が含まれています。仏教も、わたしたちが人類に共通するひとつの価値観に到達するための一つの道なのだといえるでしょう。


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