コトバ表現研究所
はなしがい136号
1997.10.1 
 東京新聞の書評欄「この一冊」(97/11/2付)で、『教育をどうする』(1997岩波書店)が紹介されていました。「著名な学者、文化人、作家、教育者、ジャーナリストら三一六人による、教育改革のための提言集」という内容の分厚い本です。

 わたしはこの本が出る前から気にしていましたが、何度見ても買わずに一度めくってみただけです。わたし自身、こんな通信を発行し、三年前に『放し飼いの子育て―やる気と自立の教育論』(1994一光社)を出していますが、正直いって、「教育」について発言することには気はずかしさを感じています。同じように、ちょっと名の知れた人たちの発言する「教育論」にもウサン臭さを感じてつい恥ずかしくなってしまいます。

●子どもたち自身の教育

 ですから、やや批判的な新聞の紹介の文章には同感しました。項目に丸数字を付けておきます。

 「だれもが一家言持つのが教育だ。一〇〇人いれば一〇〇人の教育論がある。それを承知であえて提言集の最大公約数を求めればこうなる。『@学歴社会構造をあらためてA子どもを受験競争のくびきから解放し、B子どもの個性と能力を尊重する自由で明るい雰囲気の学校に変えるため、C教育行政の過度の介入を排し、D教師に時間的経済的ゆとりを与え、学級定員を減らし、E親や地域の人々が常にかかわっていく……』」

 的確な要約です。いい意味でもわるい意味でも、現代の教育論のポイントをよくまとめていると思います。学歴社会、受験戦争、学校、教育行政、教師、親、地域と、教育についてほとんどの条件がそろっているようです。しかし、もっとも重要な要素がここには欠けているのではないでしょうか。

 第一に、この要約のどの項目にも主体となる主語の「だれが」が欠けています。だれが学歴社会をあらためるのか、だれが受験戦争から子どもを解放するのか、だれが子どもの個性を尊重するのか、だれが学校を自由で明るい雰囲気に変えるのか。おわりにある親や地域の人々といっても、その実体はアイマイです。

 第二に、何よりもこの要約に欠けているのは、子ども自身のことです。子ども自身の主体をどう形成するかという問題です。教育論の多くに、子ども自身のことを差し置いて、周辺の事情を論議する傾向があります。子ども自身がどうすべきかを中心にすえた教育論がなければ、いかにすばらしい環境をつくっても教育は成り立たないでしょう。

●「自助」という精神

 『西国立志編』という本をご存知でしょうか。明治時代に出された本で、日本史の年表には必ず登場するほど有名な本です。わたしも名前だけは知っていましたが、恥ずかしながら、この年になるまで読むこともなく過ごしてきました。

 ところが、先日、ふとしたきっかけで、この本にたどりつきました。わたしが手にした本は、サミュエル・スマイルズ『自助論―自分に負けない生き方』(竹内均訳。三笠書房)という本でした。ハリ治療の待ち時間に手にとったのが、目の前のソフトカバーの本でした。

 二年ほど前にハードカバーで改訂版が平積みになっていたのを覚えていましたし、それ以前にも何度か目にしていました。しかし、いっしょに並べられた同じ出版社の傾向から判断して、きっと企業家向けの心がけや会社経営のノウハウを書いた本だろうと思っていました。

 本の内容はいわば人生論でした。欧米の科学者や芸術家などのエピソードを次つぎに並べて、その生き方から教訓を導きだしています。わたしたちに必要な努力や忍耐の意義を教えてくれます。その展開にはすこしも押しつけがましいことはなく、読み進むごとに自分の心を内からゆすぶってくれました。子どものころ画家ミレーの伝記を読んだときのような軽い興奮さえ感じていました。わたしはその本を買うことにしました。

●自立への励ましと勇気づけ

 『自助論』の解説を読んで、いろいろなことが分かりました。著者はイギリス人で、原著のタイトルは、 "Self-Help,With illustlation of Character and Conduct" です。直訳すれば、「自らを助ける――性格と品行の実例」ということになるでしょう。

 そして、意外だったのは、この本が明治四年に出版された『西国立志編』そのものの現代語訳だということでした。竹内均氏の解説によると「福沢諭吉『学問のすすめ』と並んで明治の青年たちによって広く読まれ、当時の日本で総計一〇〇万部ほど売れたと言われる」ということです。

 「西国」とは欧米のことで、「立志」は志を立てること、「編」とはそれはまとめたエピソード集ということですから明治時代のタイトルは適訳だと思います。新訳の「自助」とは、もとの題を生かしたものでしょう。「天は自ら助くる者を助く」という有名な格言から書き出されています。

 「外部からの援助は人間を弱くする。自分で自分を助けようとする精神こそ、その人間をいつまでも励まし元気づける。人のために良かれと思って援助の手を差し伸べても、相手はかえって自立の気持を失い、その必要性をも忘れるだろう。保護や抑制も度が過ぎると、役にたたない無力な人間をうみだすのがオチである。」

 教育の政策論として読むならば、つい批判したくなる考えかたかもしれません。しかし、自らの内部に向かって、自らの生き方を問いかけるものとして読むなら、この本は今の教育に欠けている点をおぎなってくれるはずです。

 書きだしからは説教めいた内容を想像するかもしれませんが、資料に語らせるといったタイプの読み物としてのおもしろさがあります。一つ一つのエピソードは有名人の小さな伝記としても読めるものです。おもしろがって読んでいるうちに、いつの間にか自分にもやれそうだなと元気がわいてきます。

 わたしはふと明治の時代がモラルの形成期であったように、今も新しいモラルの形成期ではないかと考えました。「自助」の精神による「自立」が今は求められているのではないかと思います。

 わたしも訳者と同じく、モラルを形成する若い人たちに読んでほしいと思っていますが、未来を考えようとする人たちにも、生きることの勇気と励ましをあたえてくれることでしょう。 


バックナンバー(発行順) ・ 著作一覧(著者50音順)