コトバ表現研究所
はなしがい128号
1997.3.1 
 インターネットの話題がさかんです。教育の分野でも学校にコンピュータを設置してインターネットを利用しているといった例が紹介されています。

 家のパソコンもインターネットに接続しました。電子メールアドレスは w-tomo@mxu.meshnet.or.jp です。BIGLOBEというプロバイダー(インターネットへの接続を仲介する会社)と契約したので、PC−VANのID(パソコン通信での電話番号のようなもの) JWM00840 も持つことになりました。今までNIFTY−Serveの PXB03175 もありましたから、一気に三つの電子メールのルートを持つことになりました。

●コンピュータ教育とは

 先日、専門学校の同僚の女の先生から質問されました。「うちの子の小学校ではコンピュータを教えているのですが、うちにもパソコンを買っておく方がいいでしょうか」

 教育の内容をきいてみると、何のことはない、ワープロで短い文章を書いて、ちょっとした絵を添えるというものなので、「わざわざ買うことはありません」と答えました。

 わたしはあらためてコンピュータの時代に必要な教育とは何だろうかと考えさせられました。

 初期のころには、コンピュータを使うというとプログラムを作るのが常識だったようです。ハードウェアとしてのコンピュータはプログラムに書かれたソフトウェアがないと働きません。プログラムはコンピュータの言語で書かれます。それはふつうのことばとちがった、ローマ字と数字の暗号のような言語です。一つのソフトは何十万行にもわたる命令で成り立っています。

 コンピュータ言語を身につけるには、ひとつの外国語をマスターするほどの努力と忍耐が必要です。いくらコンピュータを教えるといっても、こんな特殊なことは一般の教育にはならないでしょう。

 ところで、コンピュータはどれだけわたしたちの仕事を助けてくれるでしょうか。わたしがおもに使うソフトは、ワープロ、書類整理、データベース、DTP(書類や本のページのデザインをする)です。

 わたしは以前に絵を描くソフトを使ってみたことがあります。宣伝広告では、だれにでもかんたんに絵が描けるような印象があったからです。ところが、ろくな絵が描けません。立派な道具がそろっています。豊富な色の絵の具、さまざまなタッチの筆、エアブラシまであります。それでも描けないのです。

 わかったのは、どんなにいい道具があっても、基本的な絵の素養がなければ絵が描けないということです。もちろん、よりよい道具を持つことによって、よりよい作品を生み出すという場合もあります。でも、それはある程度の能力があった上での話です。

 「インターネットを使った教育」などというものも多くは、ただ単にコンピュータを操作するだけのことです。マウスやキーボードの操作か、せいぜいワープロソフトの使い方です。それはただ体験したというだけで、たいして意味のないものです。

●インターネットは空っぽの洞窟?

 雑誌『AERA』の臨時増刊号「インターネット楽々生活」(97年3月5日。朝日新聞社)に対談「インターネットは人類を幸福にするか」がありました。話し手は伊藤穣一(1966年生まれ。アメリカの大学でコンピュータを学び今はデジタルガレージ社長)、クリスフォード・ストール(1950年生まれ。天文学者)です。ストールさんは、いま話題の本『インターネットは空っぽの洞窟』(草思社)の著者です。四年前は毎日十四時間もインターネットに入りこんでいたという経験からの発言は教訓に満ちています。

 伊藤さんは企業家らしくインターネットの効用を語ろうとしますが、ストールさんはからかい気味です。伊藤さんが「インターネットの未来はバラ色か」と尋ねると、ストールさんは、未来について尋ねる人は決まってコンピュータのことをいうが「コンピュータの技術者で将来のことを考えてる奴なんて、本当にいるのかな?」と疑問を投げかけます。そして、十年たっても「インターネットが、電話みたいに重要なものになるとは思わない」といいます。

 また、情報の価値を強調する伊藤さんにも反対です。「九九%の情報にはほとんど中身がない。ぼくが必要だと思うのは理解を強めるための『知恵』です」「創造性やオリジナリティは、大量の断片的なデータよりも、ものをじっくり考えることから生まれるんじゃないかな?」

 また「ぼくにとって知識や情報は、デジタル化されるととたんにつまらないものになってしまう」といって、目の前の湯飲み茶碗を示して「この茶碗から感じることのほうがフロッピーの情報よりも重要なんだ」と言います。

 さらに、「インターネットが、テレビのようにより豊かな生活を導く助けになる」という人に対して、「ぼくは今までテレビのおかげで人生が豊かになった人には会ったことがないよ」といい切ります。

 ストールさんは、今ではインターネットに入る時間は一日三十分くらいで、「情報を追いかけるべきか、子どもと家にいるのがいいのか」そんなことを考えているそうです。

●コンピュータ時代の教育

 では、コンピュータの時代にはどんな教育が必要なのでしょうか。わたしは、どんな時代でも考え方の基本こそが重要なのだと思います。

 コンピュータを使う場合を考えてみましょう。ワープロのソフトで文章を書くにも、コンピュータは機械的な処理を早くしてくれるだけです。ひらがなを漢字に変えてくれますが、漢字の候補から意味を選択するのも本人、文章の構想を立てるのも本人です。アウトラインソフトといって文章の構成を助けてくれるソフトもありますが、そもそも文章を構成する発想がなければ価値がありません。また手紙の代筆のソフトもありますが、よい内容に仕上げるには、手紙をチェックする能力とセンスが必要です。

 つまり、問題はコンピュータの操作の仕方の教育ではなく、コンピュータを応用できる能力です。教育においては、コンピュータを利用して、子どもたちにどのような能力をつけさせるかが問題です。

 それは案外かんたんです。ものごとを比較して共通点を見つけたり、原因と結果の関係をとらえたりするような基礎的な思考力です。それを教育の根本にすえることです。そのために、あらためて人間の根本的な能力とは何なのかが問われるでしょう。


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