コトバ表現研究所
はなしがい124号
1996.11.1 
 一〇月十九日、栃木県足利市の織姫公民館主催「親おや? ゼミナール」の企画に招かれて、「やる気と自立の教育論」という題で講演をしました。事前に送られた企画書によると、共催の小学校を会場として四人の講師がほぼ一週間おきに連続講演をするものでした。

 電話で講師の依頼が来たときは、だれかの紹介かなと思いました。足利市はわたしの出身地である群馬県桐生市の隣りの市だからです。しかし、だれか公民館の方が、わたしの書いた本『放し飼いの子育て』を読んで講師にスイセンしてくださったようです。残念ながら、どの人がその人なのか確かめることはではませんでした。

●二十一世紀の教育論

企画書では、わたしに当てられたテーマは「二十一世紀の子育て」というものでした。「そんな大きなテーマで話せるのか」と思いましたが、あらためて自分の本を読みなおすと、そんなテーマも読みとれました。それだけでも、うれしいことでした。

当日の聴衆は四十名弱でした。予め聞いた話では、PTAの父親が多いそうでしたが、男性は二人だけでほかは女性でした。話しの途中で手をあげてもらって確かめると、三十代が三分の二、四十代が三分の一、五十代の人がひとりだけいました。

わたしは、まずはじめに、自分がなぜ教育にかかわるようになったか話しました。大学に入学したとき、先輩に「おまえには感動がない」と言われたのがきっかけで、自分はどう教育されてきたのか考えるようになりました。日本の教育の歴史や内容を考えるためにいろいろな本を読むようになりました。そして、友人に紹介された中学生の補習塾で生徒に教えるようになり、卒業後にいったん田舎の家に帰って商売をしたものの、再び上京して教育の仕事にもどりました。

 話しの中心は、「自立」の意味をめぐるものでした。「自立」とは、自分の責任を自分で引き受けられることです。わたしは塾や専門学校での子どもたちとの交流で自分の抱いてきた古い教育の考えが変わっていったことを話しました。

 そして、子どもたちの生き生きした心を尊重すること、禁止のことばを向けるのではなく、対話を重視すること、親や教師自身が子どもとともに学ぶことの必要など話しました。講演はテープに録音したので、何かの機会にまとめようかとも思っています。

●井上ひさしの国語教育論

 講演のとき、わたしはひとつの資料を用意していました。国立国語研究所で発表したばかりの「小学生の『国語教育』と『国語力』実態調査」です。そのなかに、企画・調査を実施した現代子ども国語表現力研究会の代表・井上ひさしさんを囲んだ座談会「ここがおかしい…… いまどきの『国語の時間』」がありました。学校の先生がたが参加していたら紹介しようと思ったのですが、お母さんばかりだったのでほとんどふれませんでした。

 井上さんの基本的な考えは、わたしがずっと提唱している「言語論理教育能力の教育」に通じるものです。井上さんは、まずこう言います。

 「学校側が子どもたちを国語嫌いにさせているんじゃないか(中略)。つまり、先生が、何を教えられるかはっきりしていないものだから、不安で、結局、最後にしがみつくのが漢字教育です。」

 学校の先生が「国語」を教えることをどう思っているかというと、「得意」は、算数の60%につづいて第二位の35%であるにもかかわらず、「苦手」でも第三位の25%にあがっています。井上さんは、ワープロの出現を考えれば、「漢字はだいたい書ければいい」といって、もっと別の国語教育をすべきだといいます。作品鑑賞で、主人公はそこでどう思ったかなどと客観的なモノサシのない問いかけをやめること、名文の一斉音読をすることなどです。

●弁論術と作文教育の改革

 わたしが共感したのは、「根本的なレトリック」の教育と、新しい作文教育の提唱でした。「根本的なレトリック」とは、昭和三〇年代に心理学者の波多野完治さんらが提唱したことだそうです。

 井上さんは、フランスの教育を例にあげています。フランスでは、他人を批判するときには、まず批判をして、つぎによいところを指摘する方法を教えるそうです。そこで、井上さんはこんな提案をします。

 「小学校あたりで、日本人の議論の仕方というか、古代ギリシャやローマの弁論術からはじまって、近代にいたるまでのディベートの方法のエッセンスを薄い本にでもして学ばせなければいけないのではないでしょうか」

 これが「日本人の話し下手や議論下手などの克服」につながるだろうといいます。

 さらに、作文教育にも批判の目を向けます。

 「『遠足』『運動会』などという題を出して、子どもに書かせるのは酷なんですね。それより『プリンの作り方』だとか、もう少し書きやすいテーマがあると思います。」

 そして、井上さんはいくつかの具体的なプランを示しています。たとえば、「観察して見たことを言葉に置き換える」観察文です。絵でいえば写生のようなテーマ、明治時代に正岡子規が提唱した写生文だといいます。つまり、主観的なことを書かせるのではなく、まず見たままを書く写生文を教育すべきだといいます。

 井上さんは、フランスでは、「1+1=2」を文章にしなさいが、小学校六年生くらいの試験問題だという例をあげて、基本的な表現力の大切さを述べています。また、小学校から英語を教えるという動きも批判して、いくら英語を身につけても、日本人の問題は話すことがないことなのだといいます。

 「日本人はもう少し物を考えて、いろんな意見をもたないといけないと思います。」

 井上さんは「国語の力」についてまとめています。
 「国語力というのは、母語である日本語の力です。子どもは、これから一生、日本語を使って生きていくのです。日本語でもちろん仕事もするし、人を救ったり慰めたりもする。けんかもするし、恋愛も結婚もする。さらに子どもも育てるでしょう。どんな将来であれ、とにかく日本語が基礎である」

 そして、「国語」教育の大切さをこう言います。
 「国語というのは、数学や社会科などと同列にならぶ教科ではなく、その底を支える基本的な力なわけです。そのことをまず、大人たちは認識しなければいけません。」

 井上さんの言うことは、まさに、子どもたちの自立の条件となる「言語論理能力の教育」そのものなのです。


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