コトバ表現研究所
はなしがい112号
1995.11.1 
 今年の専門学校の一年生を見たとき、一人ひとりのハッキリした個性に期待しました。一学期は出席率もよかったのですが、夏休みが明けたとたんに遅刻や欠席が増えてきました。

 わたしは生徒たちが遅刻や欠席を損だと思うような話をしようと考えました。ほとんどの生徒たちがそろったとき、話題を探りながら話しました。仲間がいないときのさみしさ、クラスが仲よくする楽しさ、クラスでカップルができて結婚した先輩の話をしました。そのうちに、愛と性についての質問が出ました。セックスについてのハウツー的な質問にも答えながら、人間と人間とのつながりを意識させるように話をすすめました。そして、「この時間には性教育の話もする」と宣言すると、二週間ほどして、おどろくほど出席率がよくなりました。

●ある少年の犯罪

 そんなときに読んだのが、横川和夫編著『荒廃のカルテ 少年鑑別番号1589』(新潮文庫)でした。はじめ見たときは、少年鑑別所の生活でも書いた本かと思いましたが、ある少年の犯罪から広く教育の問題を考える本でした。刑務所で生まれて乳児院と養護施設で育った十九歳の少年が女子大生を暴行しようと襲って殺してしまいます。ひとり暮らしの女子大生のアパートをねらって侵入する事件を何度も繰り返したのちの事件でした。しかし、少年は女性の前でろくに口もきけないような人間でした。地裁で無期懲役の判決を受けて控訴しましたが、高裁では棄却されて無期懲役の刑が確定したのです。

 著者がこの事件に関心を持った理由は、「家庭で育てられた体験のまったくない少年が裁判所で裁かれている」ということでした。少年は「一対一の人間関係が持てないで苦しんでいる」のでした。弁護士、心理学者、教師、保母などに取材するうちに、少年の問題は現代の病める青少年たちに共通する問題だとわかるのです。

●乳幼児期の母と子の関係

 わたしは子どもの精神発達のゆがみが性的な犯罪としてあらわれることに関心をひかれました。

 まず考えさせられたのは、乳幼児期の母子関係でした。とくに、小児療育相談センターの佐々木正美院長の話が印象に残りました。

 「生まれて、初めの一年間は母親の絶対的な依存期だが、そのなかで母親とのあいだに最初の人間関係ができあがる。それによって培った自信、自立心が社会的自我形成へのバネになっていく」といいます。依存心と自立心との関係にもふれています。

 「子どもの発達には、依存から自立へと絶対通らなければならない筋道があって、依存体験の十分でない子には自立心は出てこない」

 では、このような依存の時期に放っておかれた子どもはどうなるのか。それについては聖心女子大の発達心理学の関宏子教授の話があります。

 一歳六か月で自閉症のように反応のなくなった女の子がいました。お母さんが忙しいので、テレビ好きの祖父のわきでずっと過ごしたのです。しかし、子どもとのかかわり方を指導すると、三か月もするとみるみる変わってきて、表情も出て名前を呼ぶと振り向くようになりました。岡教授はまとめます。

 「結局、人間的刺激が最高なんです。この赤ちゃんはテレビという半ば人間的な興味をひきながら実は人間的コミュニケーションのまったくない刺激のもとに置かれたからこんなことになったんです。」

 少年は四か月から三歳まで乳児院にあずけられましたが、不十分な条件のためにほとんど手をかけられませんでした。三歳からは養護院で中学卒業まですごしますが、ここの生活もひどいものでした。先輩たちから毎日のようにくりかえされるリンチで、からだじゅうから傷が絶えない生活でした。東京経済大学の田中孝彦教授(教育学)はいいます。

 「少年期から思春期への発達のプロセスでもやはり、乳幼児期と同じように依存と自立の関係が必要なんです。しかし、この時期は相手が母親だけでなく、仲間意識を持てる友だちや教師など周囲の大人たちとの人間関係になるんです。」

 わたしは自分の生徒たちも、少年と同じような生活をしてきたのではないかと心配です。しかし、田中教授は友だちや大人の教育の力を信頼しています。

 「この二つの人間関係による依存と自立の関係があれば、発達の遅れの修復は可能なんです。これこそが教育の在り方なんですね。そして、人間の発達は非常に複雑で、人間はどこまでいっても、変わりうる可能性を持っているんです。それが人間の素晴らしさだと思いますよ。」

●小沢和子さんの性教育

 わたしがこれから生徒に愛と性の話をする参考になる人がいました。ボランティアグループ「希望の家」(仮名)の寮母・小沢和子(三三・仮名)さんです。ふつうの二階建の民家で他のスタッフの助けを借りて、ハイティーンの男女六人のめんどうをみています。子どもとかかわる感動的なエピソードがいろいろありますが、なかでも性的な行動への対応に感心しました。

 小沢さんが台所に立っていると、「和子さん、見てよ」とパンツをふくらませています。「よーし、わかった。そのまま大きくしてろ。今晩のスープのダシにしてやるから切ってやる」と小沢さんは庖丁を持ち出します。すると「和子さん、女かよ」というので、「当たり前だ」と言い返してやるそうです。

 また、自室で寝ていると枕もとに少年がパンツ姿で立つこともあります。「いっしょに寝てくれ」というので、「お前にスネ毛がなければ寝てやるけどね」と言います。すると「やっぱりそうか……。こんな気持になったのはじめてだ」といったそうです。その日は徹夜で「母親へのあこがれと性に関する関心が混同しているんじゃないか」と話したそうです。

 小沢さんは少年たちの行動をこうまとめます。

 「そういう子たちはそろそろ来るな≠チて前から何となくわかるんです。それまで待ってあげなければいけないんです。来たときに、こちらがほんとうに真剣になって言葉を返していく、そこからホンモノの人間関係が始まるんです。」

 さて、わたしの性教育の授業も、わたしと生徒とのコミュニケーションの教育であるとともに、生徒たちがお互いにコミュニケートするための教育です。これからしばらく、わたし自身も愛と性の問題について考えるつもりです。


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