コトバ表現研究所
はなしがい111号
1995.10.1
 初めにわたしの二冊目の本が出版されることをお知らせします。『表現よみとは何か――朗読で楽しむ文学の世界』(明治図書/予価2000円)です。

 本の校正を終えてほっとひと息して、竹内敏晴『ことばが劈(ひら)かれるとき』(ちくま文庫1988、単行本は1975)を読みました。そして、あらためて「よむ」ことの深い意味を教えられました。

 竹内さんは、ことばを発することは、他者に向けてのコミュニケーションであると同時に自らの発見なのだといいます。この本にはさまざまな「ことば」のレッスン方法が示されています。それは舞台俳優がセリフをいうための訓練ではなく、人間が人間としての声を持つための基礎訓練です。そのような訓練を続けるうちに竹内さんは生徒のからだを見ただけで、どのようなコンプレックスが声を出すことを阻んでいるのか見分けられるようになりました。

●姿勢とコンプレックス

 ふつう「いい姿勢」といわれているのは、「背筋を伸ばして」「脚をそろえて」「手をキチンと膝において」などの姿勢です。しかし、竹内さんは「いい姿勢」とは何かと提起します。「〈いい〉とは価値概念だから、当然、〈だれにとって〉〈何のために〉いいのかが問い返されねばならないはずである」といいます。そして、子どもたち自身の立場から、「ひとの話がよく入る」、「ひととふれあえる」という条件をあげて、「入ってくるものが自分の中でよく動き増幅して自己表現となって出ていきやすいからだ」だと定義しています。

 わたしはテレビで見かけるアメリカの高校生の授業風景を思い出します。生徒たちは話をする先生をとり囲むように小型テーブルのついたイスにまちまちの服装で腰かけています。お互いの顔を見ながら話し合いのできる授業形式です。それにくらべたら、日本の学校の机の配置はまるで講演を聞くようなかたちです。こんなところにも日本とアメリカの学校教育の考えのちがいが見られます。

 また、竹内さんは、その人の姿勢を見るだけで性格を見抜いてしまいます。たとえば、脚にコンプレックスのある女子高校生は「下半身にはかなり強い緊張感があ」り、「腿をピチッと合わせ、腰をピンと伸ばして歩く」といいます。また、ひとから「いい人」と見られたい女子大生は「身構えた顔のうしろに自分のからだを、できるだけ相手に見えないように、相手から傷つけられないように、できるだけ遠く、こわごわと置いている」といいます。

 しかし、こんな態度を単にマイナスとは見ていません。むしろ人間がある目的をもって生きようとする原動力にもなると考えています。生徒たちは竹内さんの考案した体操や発声や「話しかけ」というレッスンによって、コンプレックスから解放されて、生き生きしたことばとからだを獲得できるのです。

●人間教育のもとになる課題

 わたしがいちばん感心したのは「からだそだて」から見た教育のとらえなおしの項目です。学校の教育とはちがった角度から課題を提起するものです。わたしたち大人にとっても、自らを人間としてどう成長させるかという目標になります。竹内さんは全教育分野を大きく、@体育課程、A社会課程、B技術課程、と三つに分けています。それぞれの過程から、わたしの気にいった部分を紹介しましょう。

 @では、〈「からだ」理解〉に注目しました。これは、からだについての解剖学的な知識をもつことではありません。子どもたちが自分自身の「からだ」の状態を自覚してコントロールできる能力です。

 わたしの学校でも「頭が痛い」「腹が痛い」「吐気がする」などと訴える生徒がいますが、自分で自分の「からだ」の状態を判断できません。どの程度の症状なのか――我慢していればなおるのか、しばらく横になればなおるのか、家に帰って寝たほうがよいのか、などとこちらから問いかけねばなりません。自立心というものも、まず自分の「からだ」の自覚から始まるといえます。

 また、〈発語能力の開発〉では、話しことばの能力における「演技能力」を重視しています。たしかに人間にとって「身ぶり手ぶり」や「物まね」も自己表現の大切な能力です。

 Aでは、〈ケンカのしかた〉がおもしろい項目でした。もちろん、殴り合いや取っ組み合いをすすめているわけではありません。「ケンカは絶対起こることだから、ちゃんとやらせないといけない……。〈ケンカはいけないことだ〉としてしまうのでなく〈どういうふうに真向からケンカさせるか〉が大切だ」というのです。これがしっかり教育できれば、今のイジメ問題の多くが解決できるでしょう。

 もう一つ〈討論のしかた〉も重要な項目です。ここ数年、音声教育の一環として学校教育で話題になっているディベートを、福沢諭吉の体験した討論ゲームで紹介しています。ディベートとは、ある論題について、肯定の意見をもつ者と否定の意見をもつ者とが立場を入れかえて互いに論じて勝ち負けを決めることです。肯定の者が否定の立場に立つのですから、結果として双方の立場から問題を考えられます。まさに民主主義を生みだすための訓練です。

 Bの〈読み方(読解)〉で、子どもたちに文学の文章の解釈ではなく、論理的な文章の理解を中心にした教育をすすめている点は、わたしも大賛成です。また、〈発表――話しことば〉の充実が基礎であり、「作文」の教育はそのうえで教育すべきだというのも賛成です。〈発表――書きことば〉では、「文型教育研究会」が紹介されています。どのような会か知りませんが、わたしの考える「文型」を基礎にした作文教育との関連を感じました。

●人間教育の哲学

 わたしは竹内さんの人生の歩みに感動しました。生後一年にもならないころ患った中耳炎がもとで聴力障害になりましたが、それを自らの努力で克服したのです。演劇の仕事についてからも人間と「ことば」について考え続けて、ついに「からだ」と「ことば」についてとらえます。さらに、その発見は一般教育の根本的課題にまで広げられました。

 竹内さんのたどりついた位置から見ると、今の教育というものが、いかに特殊な目的に制限されているか分かります。竹内さんのめざす教育とは、まさにギリシア時代にソクラテスやプラトンが目ざした人間そのものの教育――人間が人間になるための教育です。この本は「ことば」と「からだ」について考える哲学の本ともいえるでしょう。  


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