しばらく前に、若い女性読者から、A・ミラー著『魂の殺人―親は子どもに何をしたか』(1983年、新曜社)という本を紹介されました。最近やっと読むことができました。著者は一九二三年にポーランドに生まれたドイツの女性で、哲学、社会学を学んでから心理学を学んで精神分析家になりました。
著者がこの本を書いた動機には、ドイツでの戦争体験があるようです。くりかえし述べられる疑問は、なぜ知的で教養もあるドイツの人々がヒトラーの支配にしたがってユダヤ人の虐殺をしたり、戦争の遂行に協力していったのかということです。 著者は生後二年間の子どもの体験を重視しています。この時期に親が子どもに加えた虐待や体罰は子どもの記憶から消えてしまうが、成長後も無意識の世界に残って、親になったとき自分の子どもにも同じような虐待をふるってしまうと考えています。 正直いって、わたしは精神分析についてよく知らないので、生後二年間の子どもの体験がのちの暴力行為に結びつくことが信じられません。また、その考えから、親が子に懺悔をすればすむような方向にいく危険も感じました。著者も警戒していますが、おとなのすべきことは、自分が幼児期にどのような育てられかたをしたのかを確かめることによって、今後の自立的な生き方をとりもどすことです。
わたしが何よりも感心したのは、前半でたっぷり引用された『闇教育』という本の内容でした。今から一〇〇年ほど前のドイツの教育論を集めた本ですが、今の日本でも当然と信じられている古い考えがあふれています。それはわたしたちのなかにも無意識にしみついていそうです。 細かい字でたくさんのコトバが引用されていますが、それらの教育論を貫くのは次のような八項目の考えです。
《1.大人は、自分が面倒を見てやっている子どもの支配者(であって召し使いではない!)である。
6と8が幼児期の子どもたちへの折檻や体罰を合理化する根拠です。親の教育は、まず「わがまま」を絶対に許さないことから始まるとされます。
また、教師も子どもを次のように扱います。
従順さを基準にして教師が「えこひいき」や差別をするのも当然だとされます。 「闇教育」では何よりもまず子どもたちの感情・欲求を押さえます。この背景には中世の時代を思わせるようなカトリック宗教の禁欲思想があります。たとえば、子どもたちが好きなものをわざわざ遠ざけることによって我慢をさせます。「手が早い子」がいれば、その行為の悪を十分に聞かせておいてから、友人をオトリに使ってわざと怒らせて、反応を見るようなひどいやりかたもします。
そして、それを押さえられないときには、当然のように体罰をくわえるのです。 体罰の効果は「@子どもがへり下ることを教えられ、A恐れおののくことを知り、Bより高い秩序に服さねばならないのだと納得させられる。Cしかも子どもたちはその時父性愛の持つ全精力をひしひしと感ずる」ことだそうです。
このような教育から育つのはどのような人間でしょうか。ミラーはいいます。 著者はここに第二次大戦中のドイツ国民の姿を見ています。このような教育を受けて育ったおとなたちがヒトラーに率いられて戦争を行った世代でした。
ミラーは「光の教育」を考えようとしますが、いわゆる「教育」については批判的です。 しかし、おとなが守るべき態度はあります。
1.子どもに敬意をもって接すること。 これらの項目を当然だと受け止められるでしょうか。自分では心がけているつもりでも、「闇教育」の考えは、わたしたちの心に深くしみついています。「光の教育」とは、いきなり子どもを「教育」することではなく、教育者自身が「教育」に疑問を持つことからはじまるのです。
|