コトバ表現研究所
はなしがい108号
1995.7.1 
 しばらく前に、若い女性読者から、A・ミラー著『魂の殺人―親は子どもに何をしたか』(1983年、新曜社)という本を紹介されました。最近やっと読むことができました。著者は一九二三年にポーランドに生まれたドイツの女性で、哲学、社会学を学んでから心理学を学んで精神分析家になりました。

◎精神分析と教育

 著者がこの本を書いた動機には、ドイツでの戦争体験があるようです。くりかえし述べられる疑問は、なぜ知的で教養もあるドイツの人々がヒトラーの支配にしたがってユダヤ人の虐殺をしたり、戦争の遂行に協力していったのかということです。

 著者は生後二年間の子どもの体験を重視しています。この時期に親が子どもに加えた虐待や体罰は子どもの記憶から消えてしまうが、成長後も無意識の世界に残って、親になったとき自分の子どもにも同じような虐待をふるってしまうと考えています。

 正直いって、わたしは精神分析についてよく知らないので、生後二年間の子どもの体験がのちの暴力行為に結びつくことが信じられません。また、その考えから、親が子に懺悔をすればすむような方向にいく危険も感じました。著者も警戒していますが、おとなのすべきことは、自分が幼児期にどのような育てられかたをしたのかを確かめることによって、今後の自立的な生き方をとりもどすことです。

◎「闇教育」と現代

 わたしが何よりも感心したのは、前半でたっぷり引用された『闇教育』という本の内容でした。今から一〇〇年ほど前のドイツの教育論を集めた本ですが、今の日本でも当然と信じられている古い考えがあふれています。それはわたしたちのなかにも無意識にしみついていそうです。

 細かい字でたくさんのコトバが引用されていますが、それらの教育論を貫くのは次のような八項目の考えです。

《1.大人は、自分が面倒を見てやっている子どもの支配者(であって召し使いではない!)である。
 2.大人は何が正しく何が不正であるかを神のごとく決める。
 3.大人の怒りは本来大人自身のうちの葛藤から生まれるものである。
 4.しかも大人はその怒りを子どものせいにする。
 5.両親は常に庇われ保護されねばならない。
 6.子どもに生き生きした感情が息づいていては支配者に都合が悪い。
 7.できるかぎり早く「子どもの意志を奪ってしまう」ことが必要である。
 8.すべてはとにかく幼い時期に行われねばならない。そうすれば子どもは「何一つ気づかず」大人を裏切ることもできないから。》

 6と8が幼児期の子どもたちへの折檻や体罰を合理化する根拠です。親の教育は、まず「わがまま」を絶対に許さないことから始まるとされます。
「両親が(中略)真剣に叱責し、鞭を持ってわがままを追い払うことに成功すれば、その子どもは従順、温順そして善良なる子どもとなる、以後立派な教育を施すことができる。」

 また、教師も子どもを次のように扱います。
「うぬぼれの強い子どもは、教師が一言も言わなくても自分で力の足りないことを痛感するような目に会わせるのがよい。たくさん物を知っていることを自慢している子どもには、その子の力ではまだとても手に負えない課題を与えよ。そして無理に背伸びしていても放っておけ。」

 従順さを基準にして教師が「えこひいき」や差別をするのも当然だとされます。
「一番よく言うことをきき、一番素直で一番熱心な子にはほうびとして授業時間中特別待遇をしてやります。(中略)誰かが罰を受けるべきことをした時には、授業中その子の席を一番後ろに下げ、その子には一言も口をきかず、何一つ読ませず、そんな子は全然いないようにして授業をするのです。」

 「闇教育」では何よりもまず子どもたちの感情・欲求を押さえます。この背景には中世の時代を思わせるようなカトリック宗教の禁欲思想があります。たとえば、子どもたちが好きなものをわざわざ遠ざけることによって我慢をさせます。「手が早い子」がいれば、その行為の悪を十分に聞かせておいてから、友人をオトリに使ってわざと怒らせて、反応を見るようなひどいやりかたもします。

 そして、それを押さえられないときには、当然のように体罰をくわえるのです。
「幼い子どもたちに事の理非をわけて説いて聞かせても無駄であるから、子どものわがままを一掃するのにも一種機械的なやり方をする以外ない。」

 体罰の効果は「@子どもがへり下ることを教えられ、A恐れおののくことを知り、Bより高い秩序に服さねばならないのだと納得させられる。Cしかも子どもたちはその時父性愛の持つ全精力をひしひしと感ずる」ことだそうです。

 このような教育から育つのはどのような人間でしょうか。ミラーはいいます。
「引用のねらいは、全体主義に限らず、さまざまなイデオロギー集団になんらかの形で姿を現している一種独特の姿勢を明示することにありました。」

 著者はここに第二次大戦中のドイツ国民の姿を見ています。このような教育を受けて育ったおとなたちがヒトラーに率いられて戦争を行った世代でした。

◎「闇教育」から「光の教育」へ

 ミラーは「光の教育」を考えようとしますが、いわゆる「教育」については批判的です。
「子どもの教育に対する忠告とか提言とかいったものは、いずれも多かれ少なかれ、さまざまな種類の大人の側の欲求の現われであることは疑う余地はありません。」

 しかし、おとなが守るべき態度はあります。

 1.子どもに敬意をもって接すること。
 2.子どもの権利を尊重すること。
 3.子どもの感情に対して寛容であること。
 4.子どもの行動から常に学ぶ用意があること。

 これらの項目を当然だと受け止められるでしょうか。自分では心がけているつもりでも、「闇教育」の考えは、わたしたちの心に深くしみついています。「光の教育」とは、いきなり子どもを「教育」することではなく、教育者自身が「教育」に疑問を持つことからはじまるのです。

 


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