コトバ表現研究所
はなしがい107号
1995.6.1 
 映画「きけ、わだつみの声」を試写会で見ました。同じ題名の戦没学徒の手記や終戦直後の映画を連想させますが、まったく関係ありません。どこかの団体から抗議でもされたのか、終わりの字幕で、それらと関係なく作られた映画であると断り書きが出ました。近ごろのテレビでは、高視聴率をねらうためか、よく知られた作品の名前をとったドラマを作ったりしています。そんな風潮が映画にまで広がったのかと苦々しい思いでした。

 織田裕二、的場浩司、鶴田真由、風間トオル、緒形直人、仲村トオルという俳優の顔ぶれから見れば若者に向けたものでしょう。しかし、戦争批判の弱いアクション映画まがいの作品なので、若い人たちにすすめたくありません。それでも、わたしにとっては、戦後五十年という年に、あらためて戦争を考えるための材料にはなりました。

死の姿と生の意味

 映画は緒形直人の扮する現代の大学生が神宮外苑でラグビーの練習をしている場面からはじまります。彼は五十年前に同じ場所でラグビーをしていた大学生たちの幻影を見ます。そこから彼は過去に迷いこんで、昭和十八年十月二十一日の学徒出陣式の行進の列に加わります。そこで、ラグビー場で見かけた学生たちと知り合います。このあとの物語は彼の夢か幻想として描かれるのです。なかなかいい導入だと思いましたが、それは前半までで、後半はまるで漫画のストーリーのような展開でした。

 彼の友人たちは、それぞれ学徒として出征してゆきます。その一人ひとりがどのような死を迎えのかという物語が交互に描かれてゆきます。フィリピンに送られた青年、航空隊に入って特攻隊となった青年の物語に登場する母や恋人との別れはパターン化された感動のうすいものでした。

 現代から迷いこんだ青年は徴兵忌避者として瀬戸内の島を逃げまわります。この青年がいつの間にか、過去の時代に溶けこんでいるのもまったく不自然でした。はじめはリアルな映像を目ざしているようなのですが、フィリピンの島にバイクに乗った脱走兵が登場してからは、まるでアクションマンガのようでした。けっきょく、映画のリアルさも、過去に入り込んだ青年のフィクションも中途半端でした。若い俳優たちの顔つきも体つきも健康そうで、とても五十年前の青年とは思えませんから、現代の青年が過去に入り込んだというフィクションの完成を目ざすべきだったと思います。

 映画を見おわって気になったのは、ラストで夢から覚めた青年が戦死した青年たちとともにラグビーの練習をする場面でした。明るく終わらせたかったのでしょうが、死んだ者が生き返るというフィクションが死の意味を軽くしたと思いました。

 青年たちの死の場面は描かれても、どのように生きたかという生の姿が描かれないので、一人ひとりの青年の死の描き方には、命の重みが感じられませんでした。

現代社会における戦争

 もうひとつ、この作品から感じたのは、戦争を知ってるつもりのおとなの押しつけがましさでした。自分は戦争を知っているから、戦争を知らない若者に戦争のことを教えてやるのだといった感じです。軍隊の上下関係、南方の島での人肉食などのエピソードが、いかにも知識をあたえるために場面に仕立てられていたようでした。

 戦後五十年もたてば、直接に戦争を体験した人の記憶はうすれていますから、もう戦争についての知識は体験者の特権ではありません。現代に生きる者にとって、戦争を考える立場や権利は平等です。いま必要なのは、過去の戦争体験の単なる再現ではなく、戦争の時代が現代の社会にもつ意味です。すべての世代の者が、ともに戦争の時代の意味を問いなおすことが求められています。

 それは単に戦争そのものの残酷さや恐ろしさを知ることにとどまりません。戦争という行為を可能にした過去の日本社会のあり方を知ることです。そして、今も残っている古い社会の残りかすをどうすべきか考えることに発展するのです。

地獄と魂

 オウム真理教事件の波紋はまだまだ続いています。わたしの教える専門学校の中卒の生徒たちも、いろいろな影響を受けたようです。

「先生、地獄とか極楽ってあるの?」
 数学の時間にある女子生徒がいいました。霊や占いに興味を持つのはめずらしくはありませんが、地獄や極楽を考えたのはオウム事件の影響でしょう。
「どう思う?」
「地獄というのは、昔の人が、悪いことをすると地獄に落ちるといって、悪いことをさせないようにしたんでしょ」 「じゃ、先生、魂ってあるの」
「あると思う?」
「あったほうがいいな」
「どうして」
「ないと、さみしい気がする」
「ないよ」
「人が死んだら、魂ってどこに行くの」
「人が死んだら、その人の魂はなくなる。でも、その人を知ってた人たちの心の中にはちゃんと生き残っているよ。家族や友だちが、あとで、あの人はいい人だったなとか、あいつはひどいやつだったなんて、思い出すんだ。地獄に落ちるとか、極楽に行けるとかいうのは、人間が回りの人たちといっしょに生きていることを考えろということなんだ。そこに人間の生き方があるんだ」
 数学の問題も解かずにぼんやりしていた生徒も目を輝かせて聞いていました。

 映画の戦闘シーンはまるで地獄でした。制作費のほとんどを費やしたかと思うほど、これでもかこれでもかと大音響の爆発や銃撃シーンがくりかえされるのです。はじめはおどろきましたが、そのうちに身構えができて感じなくなりました。戦争を描くということは、ただ単に戦闘のシーンを再現することではありません。戦争の意味を考えずに描かれた戦争映画は、アクション映画にスリかわる危険があります。

 戦争は人間の直接体験として語られるだけでは不十分です。歴史と社会を背景にして、ひとりの人間の人生の意味とともに考えなおされねばなりません。その基礎は何よりも人間の生命の尊重です。


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