コトバ表現研究所
はなしがい104号
1995.3.1 
 先日、近所の一杯飲み屋に入ると、太った男が立ち上がって「先生」と近づいてきました。わたしを先生と呼ぶのは塾か専門学校の卒業生ですが、男はわたしと同年配のように見えます。ヤクザ風の目つきのよくない顔にも見覚えがありません。

「いやだな先生、忘れてんのかよ。オレだよ」

 わたしの顔を親しそうに見つめて、専門学校の中卒クラスだったといって、Wという名前を名のりました。しかし、わたしは思い出せないので「だれといっしょのクラスだったかな」と尋ねました。

「○○とか、××とか、△△とか、いたじゃん。オレは、いつも勉強しねえで騒いでいたもんだから、一年生も終わらないうちにクビになったんだよ」

 わたしの記憶がないのを少しも気にせずに、熱中して思い出をしゃべりました。そのうちに、わたしも思い出しました。夏休み前に退学になった七、八年前の生徒です。からだが大きくておとなのような顔つきなのに、かけ算の九九もろくにできませんが、しゃべるのは得意でした。いちばん後ろの席で股を開いて腰かけ、「なんでー、勉強なんか、おかしくてやってられるかよー」と虚勢を張っていました。

 今の仕事のことを尋ねると、「だいじょうぶだよ、先生、心配しなくても。オレはちゃんと働いているから」といいます。そして「学校を卒業できたらよかったけど、オレがワルかったから仕方ねえな」と席にもどってゆきました。テーブルの向かいに腰かけた二十歳前後のカップルの相談にのっていたらしく、職場での人間関係や心がけについて熱弁をふるっていました。その話しぶりは軽やかで、学校にいたときと同じような名調子でした。

 わたしは学校で非常勤の立場なので、生徒の処置について発言の権利がありませんが、生徒が問題を起こして学校の処罰があるたびに、いろいろ疑問をもちます。Wくんのような生徒を見ると、もう少しどうにかできなかったものかと残念です。そのたびに、自分の限られた立場からでも、できるかぎりのことはやらねばならないと思うのです。

日本人と「幸福」

 わたしは日々の暮しのなかでも、もう少しどうにかならないかと思うことがいろいろあります。そんな自分の立場を広い視野から見直させてくれる本があります。カレル・ヴァン・ウォルフレン『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社一八〇〇円)です。以前に紹介した同じ著者の『日本/権力構造の謎』(早川文庫)は、日本の政治や社会から文化や教育まで総合的な問題を書いた本でした。こちらは、今から日本の国のしくみをよりよく変えるにはどうするかを提起する本です。

 ウォルフレンは日本の社会を企業と国家が結びついた「システム」ととらえて、政治家よりも国家の実質的な運営をしている官僚の権力こそ問題だといいます。そして、日本の国を変えようとするとき障害となるものを二つあげます。一つは「偽りのリアリティ」です。わたしたちが「現実」と考えることの多くは、そう思いこんでしまったり、思いこまされていることです。そのために考えがワクにしばられています。もう一つは「シカタガナイ」という日本人の心の習慣です。この二つの思いこみを捨て去ることから出発すべきだというのです。

 わたしたちが日本の社会のしくみを変えるためにまずできることは、日本がどのように運営されているか知ることです。一つは日本の社会のしくみについての知識、二つは官僚をはじめとする政治エリートたちが何をしているかの知識です(多くの推薦図書が242ページからあげられています)。

 現代社会ではマスコミが大きな力を持っています。わたしたちの考えも、知らず知らずのうちにマスコミの影響で形成されています。マスコミは「世論がこうだから」「現実がこうだから」とよくいいます。しかし「輿論」とは、もとは権力の側から「与える」という意味だったそうです。今もその考えは変わらず、「時代をリードする……」などというスローガンもよく使われます。マスコミに対してウォルフレンがすすめるのは、単に新聞に投書として意見を載せることではなく、「社会秩序の維持はジャーナリストや編集者の仕事ではない」ことをわかってもらうようなはたらきかけだといいます。

 そのような行動をするために、ウォルフレンは十二人以下のチームでの活動をすすめています。いたずらに大きな団体をつくって、まるごとどこかの権力者にからめとられる危険を回避するには最適だというのです。たしかに、これまでの市民運動が大きな団体に成長すると、いつの間にかひとつの権力になってしまう例もあります。また、わたしが初めて知って勇気づけられたのは、日本にも市民が法律を制定できる法律があるということでした。市町村や県の有権者の五〇分の一の署名で、自分たちの望む条例の制定ができるのだそうです(地方自治法第二章第十二条第一項)。

スポック博士の教育観

 教育と社会的な行動との関係では、たまたま手にした『スポック博士 親ってなんだろう』(新潮文庫)にも感心しました。この著者は以前に『スポック博士の育児書』(1966)という本で話題になった人です。この本は、それから二十年後のアメリカの社会を背景にした教育論です。軍事支出の増大による財政悪化、麻薬や暴力事件の増加、核家族化による家庭の孤立化、離婚率の上昇などを背景に子どもをどう教育するかが語られています。今の日本社会の状況ともダブらせて読めます。著者自身も離婚と再婚による義理の父娘の家庭を経験しました。

 家庭の教育についてスポックは愛情の教育を提唱しますが、家庭の背景にある過度の競争心と物質主義を批判します。「子どもが人を押しのけて先頭に立つのでなく、ひろく人間同胞と協力しあい、暖かい思いやりと愛情をもって互いに努力していくように、積極的な意欲をもって彼らを育てること」

 そして、感心したのは、小児科医である著者が、子どもの教育を国の財政的な保障を求めるための行動と切りはなしていないことです。「政府に対して国民が、軍需産業その他、最大限の利益を上げる以外の目的をいっさい否定する大企業との間の特殊な利害関係を断つよう、働きかけること」

 スポックの教育とは、子どもたちへのはたらきかけにとどまらず、その背景にある社会の状況を変えるための行動もふくむのです。わたしも、ウォルフレンの提起する具体的な方法を参考にして、これからも教育の問題を考えてゆこうと思います。


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