更新日2000/9/4「ことば・言葉・コトバ」「ブログ」新設!


渡辺知明の チェーホフ評論集


チェーホフと現代日本  いいなずけ  中二階のある家  谷間  犬を連れた奥さん  新訳「桜の園」の魅力 
チェーホフと現代日本

 ちかごろ、といってもここ数年、新刊書にいい小説がなくてがっかりしているが、先日読んだ阿部昭『短編小説礼讃』(岩波新書)はおもしろかった。これはもちろん小説ではないが、短編小説の魅力を論じたこの本自体に小説のような味わいがある。いくつかの雑誌や新聞の書評もおおむね好評で、磨きぬかれた文章のよさと「私小説」のように緊密な各章の構成とが評価されているようだ。

 わたしがもっとも関心をひかれたのは「生きた形象」という言葉である。チェーホフが文学志望のある婦人に語ったというつぎの言葉が引用されている。
 「生きた形象から思想が生まれるので、思想から形象が生まれるのではない」

 そして、チェーホフ自身の作品「ねむい」の一場面を解説して「いかにイメージに沢山のことを言わせるか」 「語られるべき一切は、芝居の舞台におけるように人物の肉体を通して語られる」と言っている。

 チェーホフはわたしの好きな作家の一人であるから、なおさらこのコトバにひかれたのであろう。チェーホフは一八六〇年から一九〇四年のロシアに生きた作家である。わたしはチェーホフの作品を読むたびに、ちょうど百年後の現代日本の現実を重ね合わせて考えることがよくある。

 ロシアの歴史では一八六〇年は農奴解放の年であり、ここをさかいにナロードニキなどの民主主義運動が高まった。だが、一八八〇年代にロシアは反動の時代をむかえる。社会主義革命が起こるのは、それからおよそ三〇年後の一九一七年である。

 一方、百年後の日本の一九六〇年は安保の年であったが、一九七〇年代から現在まで、ひきつづく反動の時代にあるとわたしは考えている。

 ある辞典によれば、チェーホフは「帝政ロシアの最も反動的な時代に専制政治にたいする反抗をヒューマニズムの立場から作品化した」とされる。歴史的な革命を数十年のちにひかえた世紀末のロシアに生きる人間たちのさまざまな姿をチェーホフはあたたかく見つめて「生きた形象」に描いたのである。

 さて百年後の現代日本にチェーホフはあらわれないのだろうか。現代に生きる人間を「生きた形象」に描く作家はいないのだろうか。

 現代文学の不振も革新政治勢力の不振も、人間の「生きた形象」の把握ぬきの現実認識からきているような気がする。

(群狼通信104号1987/1)

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チェーホフ「いいなずけ」

 これはチェーホフの残した最後の小説である。私はチェーホフが好きで、この作品も今まで何度か読んでいる。今回、松下裕氏の新訳『チェーホフ全集』(筑摩書房)で読み直したが、以前とはちがう印象を抱いた。

 婚礼を直前に控えた二十三歳の主人公ナージャが、それまでの生活や結婚後の生活に疑問を抱き、新しい勉学の生活を求めて家を出る話である。その決心をするまでのナージャの心の動きと変化が中心に描かれている。そこに大きな影響を与えたのが、ナージャの家で育った遠縁の青年サーシャである。

 以前の私は、サーシャの発言をチェーホフのメッセージとして読み、そのことばに感動していたようである。

 サーシャはナージャの家庭の批判者であり、祖母や母たちが毎日何もせずに暮らしている点を批判する。そして、ナージャには、次のようなことをいう。
 「勉強に出かけてくれたらなあ!教養もあり、清らかな人たちだけが興味ぶかくもあるんだし、そういう人たちだけが必要でもあるんだ。そういう人びとがふえればふえるほど、地上の神の王国の近づくのも早まるんだ。」

 だが、チェーホフは一人物のコトバにメッセージをこめるような単純な構成はしない。作品の世界は、サーシャとナージャの人生を包みこんで、さらに広がっているのである。

 残された草稿や校正刷りによると、チェーホフはナージャの行動をより自主的な性格のものにするために大量の書き入れをしているという。それでも、私はナージャの行動に、頼りないような「危うさ」を感じてしまうのである。

 だが、若さからくる行動とは、常に「危うさ」を伴うものなのかもしれない。その「危うさ」をも含めて若者の新しい思想と行動とを肯定したところにチェーホフの理想主義の偉大さがあるのだろう。

 二人のほかの登場人物は、これまでチェーホフが描きなれている人物である。多くの筆を費やさず、かんたんに書かれているが、その人物像はみごとに定着している。

 祖母は、家庭の支配者としての地位にあり、古い生活に安住しきっている。女中を汚い部屋に住まわしたまま、庭の果樹の方により関心をもっている。

 母のニーナは、学問はあっても降神術や神秘に興味を持ち、娘から家を出たいと告白されると、「わたしをいじめないで。わたしだって自由に生きたい」と泣き出してしまう。

 また、ナージャの婚約者アンドレイも、バイオリンを弾けば弦を切ってしまうし、ナージャを新居に案内しながら、まちがってシャワーを流す失敗をするような喜劇的人物である。

 チェーホフがこの作品で書きたかったのは、これらの人物ではなく、変化し成長する人間としてのナージャなのである。

 しかし、ナージャは最初から不安・疑問に包まれた人物として登場し、どのようにしてその心境にたどりついたかは描かれない。ある批評家が「ナージャのような娘は、革命には馳せ参じませんよ」とチェーホフに言ったのも、この辺の事情からであろう。それに対して、チェーホフは「そこへの道はいろいろありますからね」と答えている。

 短篇作家として人物の性格による悲喜劇を描いてきたチェーホフには、人物の思想的な発展を描くのは苦手であったろう。しかし、時代の変化を敏感に感じとったチェーホフは、ナージャにロシアの未来の希望を託さざるをえなかったのである。

 この作品発表の七ヵ月後、一九〇四年七月二日、チェーホフは亡くなった。その翌年が第一次ロシア革命勃発の年である。

(群狼通信120号1989/2)

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チェーホフ「中二階のある家」

 この作品には「ある画家の話」と副題がつけられ、「わたし」の語る形式で書かれている。その魅力は、他のチェーホフの作品と同様、すじにではなく、そのディテイルにある。

 「わたし」が語るのは、六、七年前に田舎に住んでいたころ知り合った〈中二階のある家〉に住む姉妹との交流の思い出である。

 ふたりの姉妹は若く美しい娘である。姉のリーダは小学校の教員で二四歳、政治に関心を持って社会的活動をする活発な娘。妹ジェーニャは十七、八歳で、神秘的なものにあこがれるやさしい娘である。

 「わたし」は、社会的活動についてリーダと対立する意見をもっているために、しまいには激しい論争をすることになる。

 他方、ジェーニャは「わたし」を芸術家として認め、人間の価値や生命や神についての考えをしきりにききたがる。「わたし」はジェーニャに恋をするが、姉の反対によってジェーニャと別れることになる。

 この作品には二つの線がある。ひとつは「わたし」とリーダとの思想的対立、もうひとつは「わたし」とジェーニャとの恋である。

作品の形式上、作者の思想と「わたし」の思想とを同一と考えたくなるが、作者は「わたし」を全面的に支持しているのではない。「わたし」を批評するリーダの思想も作者の思想なのだ。

 「わたし」は科学や芸術の永久的・普遍的な目的と価値をのべて、リーダの社会的な活動の一時性・限界性を批判する。それに対して、リーダは「わたし」の態度を、自分の無関心を弁解するための否定であり、それは安易なことだと批判する。

 この意見の対立は、どちらが作者に近いかという問題ではない。「わたし」もリーダも、どちらも真実をのべているのだ。結局、作中では科学や芸術の活動と社会的活動との対立は解決されない。それは、読者自身が自己の生活上の課題として抱えこまざるをえない。この作品で提出された問題は読者に向かって開かれているのである。

 チェーホフは、ツルゲーネフやトルストイの直系と考えられるようだが、その作品にはドストエフスキー以後の作家らしい新しさがある。そのいい例が、どちらの立場からも読める「わたし」とリーダとの論争である。その作品構成の方法は、ドストエフスキーの作品についていわれる「対話」による構成と同様のものである。

 シェークスピアの戯曲が時代に応じてさまざまな演出が可能であるように、チェーホフの作品も多様な価値評価をふくんでいる。チェーホフ文学の世界はそれだけ広く豊かなのである。

 さて、もうひとつ、「わたし」とジェーニャとの恋のなりゆきはどう描かれたか。それは作品の手法上、「わたし」の心理の展開として書かれるのではない。いくつかの場面を積みあげておいて、ラストで「わたし」の恋の自覚へと急転される。それを意外と感じさせないのは、チェーホフらしい繊細な描写でジェーニャへの「わたし」の心の接近が表現されているからである。その例として、ふたりでアルバムを見る場面とボートに乗る場面があげられる。

 チェーホフの作品には、全面的に肯定されるような人物はいない。逆に言えば、すべての人物が肯定されるともいえる。さまざまな人物同士の相互批評が総合されてチェーホフの作品世界が成立している。その世界では、すべての人間の生が肯定され、人間というものの姿がさまざまな面から見直されるのだ。

 われわれがチェーホフの作品から受けるやさしさとあたたかさの秘密はここにある。

(群狼通信123号1989/5)

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チェーホフ「谷間」

 この作品は日本語訳で原稿用紙一二五枚ほどの長さなのだが、長編小説を味わうような充実感があり、さまざな問題を考えさせてくれる。その秘密はいったいどこにあるのだろうか。

 作品の舞台はしだいに工業化していく農村の食料品店である。この店はうらでウォトカや家畜などの密売をして儲けていた。その家族は、主人である老人のグリゴーリー、その妻で信仰心の深いワルワーラ、ひよわで耳のとおい次男ステパン、その妻で美しく働き者のアクシーニヤである。ある日、その家に長男アニーシムが帰ったところから物語がはじまる。

 その後の事件は連続的に描かれてはいない。とびとびの場面でつながれて、各場面は人物同士の対話的のやりとりで戯曲的に構成されている。それぞれの人物の性格は行動と会話によってみごとに描き出されている。

 なかでも作者が同情をこめて、その心理まで深く描いているのはリーパである。リーパは貧しい日やといの母親の娘であるが、その美しさを買われてアニーシムの妻になる。しかし、そのおどおどした性格のために、はじめは夫を恐れ、のちにはアクシーニヤを恐れて暮らす。そして、ついに赤ん坊をアクシーニヤに殺される不幸にあうのである。みずからの世界とはまるでちがう境遇に身を置いたリーパの位置こそ、まさに「谷間」であったといえるかもしれない。

 しかし、その不幸を生んだアクシーニヤは単なる悪人にされてはいない。アクシーニヤは勤勉さと明るさによってこの店の第一の働き手であり、店にとって不可欠な存在である。アクシーニヤなくしては、この店の商売の発展はなかったのである。

 アクシーニヤは休みの日に村の工場経営者たちと遊びまわるのだが、その行動も単に悪とはいえないようだ。夫のステパンはひよわで耳の遠い人間である。活発で働き者のアクシーニヤには妻として満たされない思いもあったように思える。赤ん坊を殺したのも財産のためばかりではなく、女としての嫉妬心も加わっていたのかもしれない。

 だが、もちろんチェーホフがより強い関心を寄せるのはリーパの不幸である。ワルワーラが信仰心から貧しい人びとに施しをすることは批判的に描いているが、何かを信じて生きることの価値は認められている。死んだ赤ん坊を病院から連れ帰るリーパの前に現われた荷馬車の老人の言葉がある。

「おめえさんの悲しみなんぞはまだまだだ。人の一生と言や長えもんだーまだまだいいことも、わるいこともある、いろんなことが起こるよ。母なるロシアはでっけえでなあー」

 これは信仰とはほど遠い考えだが、赤ん坊を失った悲しみのどん底にあるリーパにはどんなにはげましになったことだろう。また、これはチェーホフが読者に贈る希望の言葉でもある。

 では何が人びとをこのような不幸におとしいれるのだろか。チェーホフ本人ならば、「それは分からない」というにちがいないが、作品にはその正体が的確にとらえられているのである。それは農村における資本主義的な生産と経済の発展である。

 作品の冒頭に村の工場のようすが描かれている。皮革工場の排水で小川がいやなにおいを立て、自然が破壊されていく。それは赤ん坊を失った夜にリーパが見て心なぐさめられた美しい自然とは対極のものである。

 そんな自然と社会の変化への目くばりは自然と人間へのチェーホフの愛情から生まれたものにちがいない。それがこの作品に長編小説のような広がりと奥行きとを与えているのであろう。(引用は松下裕訳『チェーホフ全集10』筑摩書房版)

(群狼通信124号1989/6)

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チェーホフ「犬をつれた奥さん」

 チェーホフに冷たい皮肉屋を見る人もいるが、じつは人間と人間の未来に限りない希望と信頼を寄せた作家なのである。

 チェーホフの生きた時代は今から百年前、革命直前のロシアである。一八六一年の農奴解放をきっかけに民主主義運動は高揚した。だが、七〇年代のナロードニキ運動が弾圧で崩壊してから一九〇五年の革命開始まで暗い時代がつづいた。チェーホフの代表作が書かれたのは、この暗い九〇年代のことである。

 チェーホフの戯曲『三人姉妹』に、ある男の語るセリフがある。
 「すでに生きてしまったひとつの生活はいわゆる下書きで、もう一つの方が―清書だったらねえ! そのときこそ、われわれはめいめい、まず何よりも自分自身を繰り返すまいと努力することだろう、とぼくは思います。少なくとも自分のためにちがった生活環境をつくることでしょう」(湯浅芳子訳)

 この作品の主人公グーロフの人生への思いも、これに重なるものだろう。グーロフは銀行につとめる四〇に近い男である。大学二年のときに結婚をさせられて、今では三人の子供もいる。早くから妻に見切りをつけて、何人もの女と浮気をくりかえしてきた。しかし、避暑地ヤルタでの二十二歳の人妻アンナとの出会いから真実の人生の深みにはまりこむことになる。

 この話から通俗的ドラマを想像されるかもしれないが、ここからチェーホフは人間の真実を探りだすのである。トルストイはこの作品に「善悪を区別するはっきりした世界観をもっていない連中」と不満をもらしたという。だが、トルストイが初めから放り出してかえりみないような人間にもチェーホフは深い信頼を寄せたのである。

 グーロフがアンナにひかれたのは、たんなる浮気心からであり、アンナと関係をもったのもなりゆきからである。しかし、そのときグーロフの人間性を根本から変えてしまう二つのものに出会う。それがチェーホフの人間信頼を支える思想の本質なのである。

その一つは、アンナの「しつけのいい、純真な、世なれぬ女性の清らかさ」である。アンナはグーロフにしきりに「わたしは悪い、卑しい女」だとくどくのである。その調子はグーロフにとっては「冗談か芝居か」と思われるほどであった。しかし、はじめはもてあましていたグーロフも、いつかアンナの心に影響されていくのである。

 もう一つ、チェーホフが未来への信頼をつなぐものに『かもめ』のニーナのセリフでも知られる自然の〈永遠性〉の観念がある。それは二人が結ばれた夜明けに見た海の描写に表現される。チェーホフは「語り手」の立場で自然の〈永遠性〉を語る。「そしてこの不変性のなかに、ひとりひとりの生死にたいする全き無関心のなかに、ひょっとすると、われわれの永遠の救いや、地上の生活の絶え間のない動きや、絶え間のない向上などを約束するものがひそんでいるのかもしれない」

 この思想がグーロフにのりうつって彼の意識を変化させる。「なんとこの世はすべて美しいのだろう、人生のけだかい目的やわが身の人間らしい品位を忘れたときに、われわれがみずから考えたりしたりする以外のあらゆることは」

 グーロフを女あさりの俗物から人間へと解放したのは、アンナとの出会いから生じた真実の恋であった。だが、それは同時に、俗世間において虚偽と真実との「二つの生活」を生きねばならぬというきびしい人生への目覚めでもあった。グーロフの悲劇は私たちの生活の質を問いなおさせる力をもつのである。(引用は松下裕訳『チェーホフ全集10』筑摩書房)

(群狼通信128号1990/8)

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新訳の魅力と表現 ―小野理子訳/チェーホフ『桜の園』

   

 文学作品を文章の表現にしたがって正確に読んで理解することは、なかなかむずかしいことである。日本語で書かれた作品についてもそうであるが、まして翻訳された外国の作品であればなおさらである。  わたしは大学生になってから文学に近づき、いつの間にかチェーホフ好きになっていたので、原語で作品を読むことなど思いもしなかった。四十代も半ばをすぎた今になって、ロシア語が読めたらいいと思うこともある。しかし、日本語でさえ思うように読み書きできないのだから、翻訳は専門家にまかせて作品そのものを楽しませてもらおうという虫のいい考えになっている。

 わたしは「桜の園」をこれまで何度も読んできたし、日本人の演ずる舞台も見ているが、なかなか作品の世界がすっきりわかるところまでいかなかった。まして感動を味わうことなどなかった。おそらく、理解能力の不足や、チェーホフの戯曲についての勘ちがいや、読みこみの浅さなどが原因だったのであろう。  ところが、昨年十一月から今年にかけて、「桜の園」を読みなおして、これまでにない感動を味わうことができたのである。とくに、三月に刊行された小野理子の新訳には大いにたすけられた気がする。そして、今では、わたしがこれまでに読んだ訳のなかでいちばんいいものだと思っている。

 だれもが「桜の園」を読んで、まずひっかかるのは、タイトルの下につけられた「四幕の喜劇」という文字である。たしかに笑いを呼ぶような場面はいくつもあるのだが、全体を通じて「喜劇」なのだといわれると首をひねりたくなる。

 この点については、モスクワ芸術座での初演から、チェーホフと演出家スタニスラフスキイの意見が対立した経緯はよく知られている。一応、両者の合意が成立して上演となったが、チェーホフは戯曲に書かれたことが理解されないことが不満であった。本国でさえこんな事情であるのだから、日本で翻訳を通じて通じて読まれる場合、その内容がなかなか理解できないのも無理ないことかもしれない。

 たしかに、主人公とされるラネーフスカヤ夫人の悲劇も角度を変えてみれば喜劇ととれないこともない気がする。だが、「桜の園」は、なぜ喜劇なのかという謎解きのような関心からは読みたくない。もっと素朴に直接に作品の魅力を味わえないだろうか。そんな思いを、わたしは以前から抱いていたのである。

   

 わたしが初めて読んだのは、中央公論社の全集に収められた神西清訳だったと思う。その後、筑摩書房の選集の松下裕訳で読んだ。これは後に、文庫版全集の個人訳の仕事としてまとまった。ほかにも、いくつかの訳も読んだが、松下裕訳は、ほかの作品を読んでも、こなれた日本語の美しさの感じられるものである。

 小野理子訳と出会ったのは、わたしの何度目かの「桜の園」の読みなおしの直後のことであった。半年ほど前、ある読書会で、新潮文庫の神西訳をテキストに「桜の園」をとりあげた。わたしは松下裕訳を中心に、神西清訳を参考にして読んだ。

 それから数か月して、ちょうど岩波文庫の一冊として刊行された小野理子訳をもう一度読みなおすことになった。そして、目の覚めるような思いをしたのである。それは作品がわかるというような段階をこえて、感動に近いものであった。

 直前におぼろげに感じていたものが、よりはっきりしたとも言えそうだが、小野理子訳のテキストなしには、到達できない理解があったとわたしは確信している。

 まず第一に、今回の読みかえしで、わたし自身の読み方の変化を感じた。これまで、万年大学生であるトロフィーモフを自分の寄り添うべき人物と見定めて読んでいたことに気づいた。かつて感動したトロフィーモフのセリフに、以前のような手ばなしの賛同は感じなくなっていた。そのかわりに、「桜の園」の買い手となる実業家ロパーヒンの重要な位置が、その人物の気持とともに理解できた気がする。

 文学作品を読むとき、作者がどの人物に肩入れしているのか、どの人物を否定的な形象として描こうとしているのかというような割り切りをしがちである。ところが、チェーホフの作品には、そのような読み方を拒むものがある。登場人物のすべてが「相対化」されているのである。だが、それは軽い安易な評価の転換ではない。ひとりひとりの人物の人生の重みを前提とした相対化なのである。

 この戯曲の主人公は、桜の園の所有者で、それを手放すことになるラネーフスカヤ夫人だと考えられる。そのために、もっぱら夫人を軸とした運命の悲劇として読みがちであるが、わたしはロパーヒンをもう一つの軸として読むことで、この作品全体の「喜劇」の意味がわかるような気がした。

 あとで、二〇ページにわたる力のこもった訳者の「解説」を読んだとき、ロパーヒンを中心にすえた見事な作品説明が書かれているのを発見した。そのような作品への深い理解も、訳者の翻訳を支える力になっているにちがいない。

   

 わたしの小野理子訳への感動が、どこからくるのか。それを作品の表現によって証明するとなると、たいへんなことになりそうである。ほかの人たちの訳と比較しながら検討して結論づける実証的な研究が必要になるだろう。それは、そうかんたんにできることではない。ここで今できるのは、わたしの実感を証明するいくつかの例をとりあげるくらいのことである。

 わたしの記憶にあざやかなのは、「解説」から感じとれた翻訳への思いである。この仕事にかかるまで訳者が抱いていたと思われるこれまでの訳への歯がゆい思いが強く感じられた。訳者は「解説」で、これまでに米川正夫、湯浅芳子の訳をはじめとして「ほかにも五指にあまる翻訳」があることを述べたあとで次のように書いている。(傍線は訳者。原文は傍点)
 「ではなぜ私ごときがさらに一つを加えようとするかというと、それは、この芝居のせりふのやりとりの面白さ――時にはほろ苦く、時に深刻に、しかし一貫して滑稽味を失わない会話の味わい――を、どうにかしてそれらしいリズムのある日本語にうつすことはできないか、と考えたためである。」

 わたしは訳者のこの意図がほぼ完璧に実現されたと思っている。ついでにいうなら、巻頭の凡例には、「人名表記」をさまざまに変化させずに、「できるだけ短く、なるべく一つに」すると書かれている。ラネーフスカヤ夫人の愛称を使わないことを例にして、「この呼び方にこめられる敬愛の情は、日本語の場合、全体の言葉づかいによって表現しうるからである。」と理由づける。これも訳者の決意と翻訳の内容への自信の現われである。

 わたしが小野理子訳を読みはじめたとき、まず感じたのは、一人ひとりの人物がすべて生き生きしているという印象であった。数か月前に複数の訳者の訳を読み比べて作品を読んだあとである。ふつうなら、同じ作品を続けて読めば、読み方もあらくなるし、感動も鈍くなるものである。ところが、一人一人の人物との出会いがまったく新鮮に感じられたのである。あえて言うなら、書きかえられた新しい作品を読むような感じすらしたのである。

 その感じ方が確かなものだとしたら、戯曲は人物の会話のやりとりで展開されるものであるから、会話の一つひとつの訳に秘密があるにちがいない。中心人物について、会話の表現の秘密をさぐることによってあきらかになるであろう。しかし、たとえ会話の少ない人物であってもその表現の効果をうかがうことができる。事務員エピホードフ、従僕ヤーシュの短い会話の表現も印象的である。

  

 ここで一例として、冒頭のロパーヒンとドゥニューシャとのやりとりの訳し方をほかの翻訳と比較してみよう。さほど重要でないような会話からも、小野理子訳の特徴を読みとれるだろう。

 舞台は一九世紀末のロシア、ラネーフスカヤ夫人の領地である。フランスから帰国した夫人のもとに、領地が競売にかけられる話がとどくのだが、夫人はそんなことは気にせず日々の暮らしを続けている。ロパーヒンは今は実業家だが、父親はこの家にかつて出入りしていた百姓あがりの雑貨屋であった。

 第一幕は、ロパーヒンが小間使いのドゥニャーシャといっしょに登場するところからはじまる。ロパーヒンは前夜からこの家に来て、帰宅するラネーフスカヤ夫人たちを待っていたが、椅子にかけているうちに寝過ごしてしまった。ドゥニャーシャは手にろうそくを持ち、ロパーヒンは手に本を持って登場する。

 まずは、神西訳である。

  ロパーヒン やっと汽車がついた。やれやれ。なん時だね?
  ドゥニャーシャ まもなく二時。(蝋燭を吹き消して)もう明るいですわ。

 次は、松下訳。

  ロパーヒン 汽車が着いたな、ありがたいことに。なん時だね。
  ドゥニャーシャ そろそろ二時です。(ろうそくを消す)もう明るいわ。

 そして、小野訳。

  ロパーヒン やれやれ、列車が着いたな。何時だ?
  ドゥニャーシャ もうすぐ二時ですわ。(ろうそくを消す)明るくなりました。

 ロパーヒンのセリフでは、松下訳の「ありがたいことに」が目立つ。ほかの二人の「やれやれ」には苦労したというマイナス面の強調があるが、松下訳には感謝のニュアンスがある。また、小野訳の「列車」は、「汽車」という動力よりも客車がイメージされる感じだ。このあたりにも小野理子訳の新しさが感じられる。

 次のドゥニャーシャのセリフでは、時刻の前につけられた副詞は三人三様の訳しかたである。その印象から、二時に近い順に訳語をあげると、「もうすぐ(小野)」、「まもなく(神西)」「そろそろ(松下)」となるだろう。この差は、読者にドゥニャーシャの心理のちがいとして受けとられるはずである。

 ドゥニャーシャのロパーヒンに対する態度を示すのは、後半のことばである。訳のちがいによって、親しさや敬意の表現にちがいが出てくる。もっとも客観的な立場にあるのが「明るくなりました(小野)」であろう。「もう明るいですわ(神西)」には、ロパーヒンを意識した語りかけに敬意の表現が加わったセリフになっている。「もう明るいわ(松下)」では、これがドゥニャーシャのつぶやきなのか、あるいはロパーヒンに向かって親密さのある語りかけなのか判断に迷うところがある。

 複数の訳者による翻訳の仕方を比較してみると、根本的には文学作品の理解、つまり作品のテーマと人物の心情や心理の理解が翻訳を決定することがよくわかる。

 こんな調子で一つ一つのセリフを読んでいったら、たいへんな時間がかかるわけだが、わたしたちは実際の読みにおいて、多かれ少なかれこのような吟味と検討をくわえながら読んでいるのである。外国文学の翻訳とは、以上のようなセリフの一つ一つの内容を日本語に変換するだけでなく、作品の内容を構成するというたいへんな作業である。だからこそ、その作業に文学としての表現の価値が生まれるわけである。

   

 小野理子訳のもう一つの魅力は、研究者としての成果が翻訳の文章に生かされていることであろう。この本には、見開きページの左隅に、全体で四〇項目ほどの訳注がつけられている。そこから、翻訳の作業がいかに広く、社会と人間と時代のかかわりを視野にいれるべきかが明らかになる。

 その一例として、「桜の園」の象徴となる「桜」の描写を小野理子は次のように訳している。かつてわたしが手ばなしで感動したトロフィーモフのセリフである。二つめの文に注目して読んでほしい。

 トロフィーモフ いいですか、アーニャさん、あなたのおじいさん、ひいおじいさん、代々の御先祖は皆、生きた人間を所有してきた農奴主でした。園の桜の実の一つ一つ、葉の一枚一枚、幹の一本一本から、人間の目があなたを見ていませんか、声が聞こえはしませんか? 人間を所有する――この事実があなたがたみんなの、過去にいた人、現在いる人みんなの、人格を変えてしまった。その結果、お母さまもあなたもおじさんも、自分たちが負債をしょって生きていること、あなたがたが控えの間より奥へ通しもしないその人たちの、稼ぎによって生きていることに、気づいていないのです。(第二幕)

 「桜」の部分を、ほかの二人の訳者と比較してみよう。小野理子訳の目のイメージは明確であるうえに、声に出して読んでみると、簡潔なセリフの音声表現の効果もわかることと思う。

 で、どうです、この庭の桜の一つ一つから、その葉の一枚一枚から、その幹の一本一本から、人間の眼があなたを見ていはしませんか、その声があなたには聞えませんか?……(神西清訳)

 だから、庭の桜の木の一本一本、葉っぱの一枚一枚、幹の一つ一つから、人間の眼がこちら見つめているとは思わないか、彼らの声が聞こえてきはしないか……。(松下裕訳)

 「桜の実」の訳語について、注釈では原語の検討を根拠にして「サクランボは二つずつ並んで濃い赤色に熟し、樹上から睨む眼にふさわし」いことが指摘されている。

 もうひとつの例として、ロパーヒンの次のセリフに関する注釈を上げておこう。

 ロパーヒン 外は十月だが、陽が射して、穏やかで、夏のようだ。普請でもできるほどだよ。

 これまで宇野重吉などの演出家は「なぜここで普請とか建築とかの話がでるのか」と悩まされたそうだ。それに対して、訳者は次のような注釈を加えている。

 「寒冷地のロシアでは、土台のセメントなどが凍結する恐れのある十月から四月まで、普請ごとはしない。しかし今年の天気ならまだいろいろ工事だってできたんだと働き者のロパーヒンは、ここでぐずぐずしている自分が少々口惜しくて、この台詞になったのだろう。」

 この二つはとくにわたしの目についた例であるが、どの注釈からも作品に対する訳者の愛情が感じられる。というよりも、翻訳も文学の行為である。文章の表現を磨き上げていくことは、文学という行為には不可欠の要素なのである。

 この新訳のおかげで、わたしがこれまで親しんできたチェーホフ「桜の園」の世界がいっそう深まりを増したと思っている。
(チェーホフ/小野理子訳『桜の園』1998年3月。岩波書店)(『民主文学』1998年12月号所収)

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