駄 菓 子 |
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江戸時代、お菓子といえば和菓子、かりんとうに代表される中国伝来の唐菓子、砂糖の繊細な結晶“金平糖”、ポルトガルから伝わった南蛮菓子などがありました。これらは白砂糖を使った上菓子。これに対して、赤砂糖、黒砂糖を便って作られたおこし、アメなどの安い菓子が駄菓子といわれるものです。駄菓子は江戸、麹町で売り出された軽焼きの一種"助惣焼き"がその出発点。下品な菓子、雑菓子などとぺっ視された駄葉子も、そこはそれ庶民の口に気軽に入る甘みとしてもてはやされれば、高級な菓子屋も黙っているはずがありません。高級品の白砂糖を使った駄菓子を、当店自慢の……と売り出してくるようになりました。その中でも人気を得たのが花輪糖。深川六軒堀の山口屋が売り広めたもので、江戸市中いたるところに花輪糖売りが流行。一時、二百人もの売り子がいたとか。花林糖などと美しい文字をその名にあてているところもありますが、カリカリと音を立てて食べるのが、なんとも楽しいものです。子供の社交場ともいえる駄葉子屋の全盛期は、大正末期から昭和十年ごろまで。着せかえ人形、メンコなどのおもちゃといっしょに売られていたものは、べっこうアメ、ハッカ糖、カルメ焼き……。ロの中に入れると、痛いほど甘みが広がる大きな鉄砲アメも、人気がありました。 |
三月三日は上巳の節句ともいわれ三月の最初の巳の日にお祓いをし、自分のけがれを紙の人形にうつし、川に流して厄払いをしたのが始まりということです。鳥取では「ひな送リ」といって、今でもつづいており、赤い色紙の衣装をつけた質素な人形をお供え物とともに棧俵にのせ三日の夕方に火をともして川へ送っていきます。室町時代に中国から白い顔料を塗って作る人形作りが伝わってから、女の子のためのお節句として男の子の端午の節句と並んで盛大に行なわれるようになりました。地方によってはこの日を磯遊ぴ、山遊びの日とし、盛大なごちそうを用意して終日遊び暮らしたということですが、ひな道具に貝を用いたり、ひな祭リのごちそうにあさりやはまぐりを食べるのも磯遊びの風習に聞係があるようです。また貝殻は二つに離すと同じ貝でなければ絶対に合わないことから、女性の貞操観念を教えるために便われていたようです。最近ではひな壇を飾る家も少なくなりましたが、少女期の思い出として楽しい一日を遇ごせるようくふうしてあげたいものです。 @ 椿の花びらの中に小紋柄を型染めした京小紋です。春を待つ女性の祭りであるおひな祭りは、お気に入りのきもので幼いころをしのぴたいものです。情緒をきものに託して一日を遇ごす、そういう日は紬のきものより、染めのきもののほうが気持ちと着るものがしっくりときます。きもの/〈参考商品〉(吹田) A 単の桃の花を型染めした京小紋。きものの色と柄で、おひな祭りの気分をあらわしたきものです。きもの/〈参考商品〉(吹川) |
【卒 園 式】 |
幼稚園が日本に誕生したのは明治九年ですが、幼稚園教育が盛んになったのは昭和に入ってからです。昭和の初期にはもう二年制があり、月謝も高く、かなりの高額所得者子弟が多く入園していました。当時の幼稚園は、集団生活の中での人格形成が教育の基本になっており、情操教育に重点が置かれ、楽しく遊ばせながら、他人との協調を養っていましたが、最近は有名大学に入るための予備校的な雰囲気が強く、なかなか子供はゆっくりと幼稚園生活が送れなくなったようです。しかし、ここまで子供が育ってくるのは親の喜びで、ほっとするのもまた真実です。集団の中で、日に日に成長していくわが子を見るのは、母親としての自覚をも植えつけて、しっとりとした優しい姿の女性になっていきます。わが子をいとおしむ母親の姿は、そのうなじから目つき、そして流れるような一幅の線に優しざが出て、それだけでどんなきものも着こなせる雰囲気を持っているともいえるようです。卒園は、わが子の初めてのステップともいえるものですし、若くて美しい盛りにいる母親が、精いっぱいのおしゃれをするのも、また子供への愛情といえるかもしれません。母親としての美しさ、優しさを出すには、江戸小紋や色無地のきものがよいでしょう。格調があり、控えめで気品のある装いこそふさわしく、まだ若いからといって、つけさげや華やかな友禅調子の小紋では、学ぶという姿勢のある場所には不以合いです。お召や細い縞、無地の紬なども礼儀にはずれるということはなく、やや控えめな中で自信を待って着こなすのが美しさのかなめです。卒園には、ここまで子供を教育していただいた先生へのお礼の意味があります。先生がたは、教育者としての礼装で式に出席しますので、父兄もそれと格を合わせることはもう常識でしょう。華美になるのだけは避けたいものです。 |
【入 学 式】 |
これから何年間かお世話になる先生がたとの対面の日です。新しい洋服、新品の学用品、すべて新しいものずくめの子供たちが、緊張して親に手を引かれて集まります。これを迎える先生がたも式服です。式服に礼装をするのは、戦前では普通のことでした。母親は一つ紋の色無地のきものに、五つ紋付、三つ紋付の黒無地羽織を着て式典に列席したのですが、最近は黒羽織の母親たちをちゃかす風潮があり、気にするかたたちは黒紋付の羽織をやめて、色紋付にしたり、黒絵羽羽織を羽織ったりしています。きものも色無地紋付から、つけさげにと変化してきて、式場がたいへん華やかになっています。学校行事のうち、式典と名のつくものは、やはり礼装という考え方のほうが教育者に対する礼儀だといえそうです。改まった気持ちを、着るもので表現することもたいせつで、着るものによって、そのときの気持ちがあらわれるといわれますので、気をつけたいことです。 |
(きもの小事典一絵羽羽織羽織の全面に一つの絵模様をあらわした羽織のことで、友禅染め、絞り染め、刺繍などで模様をつけたもの。祝儀専用の羽織で、縫いの一つ紋をつけることもあります。 |
(1) 七宝文様の江戸小紋です。江戸小紋の中には、慶事、弔事両方に着られる柄があります。そして、それらの柄は裃小紋とも呼ばれ、江戸時代の大名の留柄であったり、各藩を代表する文様である場合が多いのです。裃は武士の礼装ですから、当然裃小紋と呼ばれている文様の江戸小紋は、今でも格式が高く、礼装として着ることが許されております。鮫小紋、大小あられ、むじな菊、あられ小紋、七宝、紗綾形、絵垣文様、青海波などが代表的な裃小紋で、これらの小紋が礼装として着られるわけです。江戸小紋は一色染めですから、遠くで見ると無地染めに見えます。柄に癖がなくて、品のよい着こなしができます。顔うつりのよいものを選びましょう。きもの/69,000円(竺仙) |
(2) 紋意匠ちりめんの道行コートと無地のお召です。無地染めのコートは、礼装から街着にまで合わせられる幅の広い着こなしのできるコートです。色も写真のようなえんじや紺、紫などがどんな色のきものにも合わせられる便利さがあります。コートは、いちばん上に着るものですから、きものの色との調和を考えなげればなりません。丈も着る人の身長に合わせますが、いちばんすっきりと見える長さは、手をすっかり伸ばしてさらに10センチくらい加えた長さが、きもの姿を美しく見せます。きもの/75,000円(矢代仁)コート/〈参考商品)(伊と幸)バッグ/12,000円(赤坂叶屋) (3) 黒絵羽の羽織です。一つ紋付の羽織より若さと華やかさを出せるところから、最近とみに多く着られているのがこの黒絵羽の羽織です。柄のはでなものはともすれば品格がなくなりがちですから、学校行事に着ていくときは、できるだけ年よりもじみな柄を選ぶはうが美しく見えます。黒地に合わせるきものは、暖色より寒色系の色合わせのはうがよく調和しますし、品も出ます。きもの/56,000円(伊と幸)羽織/58,000円(岡巳) (4) 紋意匠ちりめんの無地染めですが柄になる部分の糸に特殊加工を施していて、同じ色に集めても、柄が浮き出るようになっているちりめんです。柄がつけさげ風の糸づかいになっており、学校行事のほかにも、内輪の結婚披露宴に、またはお茶会や観劇などにも着られます。帯は金茶色の袋帯、柄にモダンさを加えました。きもの/参考商品(伊と幸) |
(装いのマナーとエチケット) 羽織には、袷羽織、単羽織とあり、防寒用、または、ちりよけとしての道中着、おしゃれ用の無双羽織(夏生地二枚で仕立てたもの〕などがあります。羽織の美しい着こなしは、帯をあまり高く締めないことです。大きいお太鼓はせむしのような感じになってしまいますから、きものだけの帯の大きさより、やや小さめの法が後ろ姿を美しく見せてくれます。 |