3月15日 昨日はホワイトデーだったわけだけれども、「お菓子屋の策略にかかってなるものか」などと 考えてバレンタインデーを無視して暮らしている(今年は職場の義理チョコに仕方なく出資) 偏屈者の私にとっては、やたらとに豪華なお返しなんぞをされるとなおさら気持ち悪いわけだ。 今年は1000円出したので、1000円分のクッキーでもくれりゃぁ、それで相殺、 そうでなければ、双方合意の上で、そんなつまらんイベントなくしてしまえぃ、と思っている。 実際、この数年は止むを得ない義理チョコ以外は省略してきた。 どっこい、世の中には、というか、うちの職場に通ってきている人たちにとっては、 そう簡単な話ではないようで、まぁ、はっきりいって面白かった。 ある女性からは、12日から「私へのお返し、忘れてないよね?ね?」と執拗に電話がかかり、 13日には、お返しをゲットできなかったからといってえらく憤慨のご様子だ。 「お返しないんかね。そんな失礼ってあるけ?去年は○○さん、3倍返しやってんよー」 「っていうか、今日まだ13日なんだけどー」 「だって、あたし、明日来れないんだもーーーーーん」 「んーなーこたー、知るかぁ!!!」 私は思わず、全力で突っ込んで脱力してしまった。 また別の人は14日に来れなくて、15日に現れたのだけれど、 男性職員が二人とも非番だったために貰いそびれたのがどうしても納得いかなかったようで、 いったんセンターから帰ったにも関わらず、再び舞い戻ってきていじけていた。 「どーせ、どーせ、私の義理チョコになんて、お返ししてくれんのやね…ブツブツ…」 「いやいや、用意してあるんだけどさ、直接渡したいって言ってたし、私が渡すのも変やろ」 「もう15日なのに…。みんなで食べよう(←食べ物だと決めている)と思ったのに…ブツブツ…」 というわけで、ブツブツブツブツ言った挙句、渡す本人は不在であるにも関わらず、 彼の机の下に保管されていたクッキーを、女性職員から受け取って持って帰られました。 めでたしめでたし(?) もう、ほんと、こういうイベントって、ややこしいです。 まぁ、これも対人関係を学ぶための機会と言えばまさにそうなのかも知れんが、 恋の駆け引きならともかく、義理の駆け引きでこんなにややこしいことになるなんて、 正直なところ、義理チョコ廃止運動でもしたくなる勢いです。 ところで、男性の皆さん、義理チョコでも、やっぱり欲しいもんですか。 3月14日 久しぶりに腹の立つ人に出会った。 5年前の私なら、途中で席を立っただろう。 そしてそのあと、朝までやけ酒をあおっただろう。 でも、そんなことはしなかった。 私も随分、成長したもんだ。(というか、疲れて帰っただけという説も…) よしよし。 それにしても、人の話を聞くということの難しさ。 知らない、わからない、といえる勇気と謙虚さを併せ持つことの難しさ。 人の振り見て、わが振り直さねば。 3月13日 掲示板にも来てくれたしーさんと食事をしようという事になっていて、 車椅子で動きやすい店を探していたのだが、いやいや、これがなかなか大変だった。 好きな店を会場にしようと思ったけれど、「58センチの壁」にぶち当たり、苦戦したのだ。 さて「58センチの壁」とはなんでしょう? 世の中には、ドアの規格というのがあるらしく、その幅がどうやら58センチらしいのだ。 (とあるレストランで定規貸してもらって測ってきた)。 車椅子で通れないことはないが、何となくちょっと厄介な設計をしてある店が多い。 ドアは通れても、客席までが狭いとか、斜めに柱があって邪魔になっているとか、色々。 それでもようやく、よさそうな店を見つけたのだが、なんと当日に限って、貸切だという。 こうなっては、もうアメリカ人ばりに両手を天に掲げて、オーノー!だ。 つーわけで、結局ワシントンホテルの中華になった。 なんというか、これだけ食べ歩いていながら、これまでバリアフリーとか考えたことなかったなー、 というのが正直な思い。 いつも行く店のデザインやレイアウト、トイレの広さだって、なかなか思い出せないし。 (いや、いつも酔っているから、とかいうわけではなくて) いつだったか、車椅子の人に恋して、その彼と遊びに行きたいというただ一つの目的で、 バリアフリーマップ作りに取り組んだ女性がTVに出ていた。 その結果がコレ。そんで、確か行政なんかも巻き込んでいったのがコレだったと思う。 私も長いこと「出没エリア」ほったらかしだし、春になったらリニューアルでもしようかなぁ、と 思っていたところだ。なんかそういう情報載せられないかと、ただいま思案中。 ただの食い過ぎ女も、ちょっとはお役に立てるかな。 3月10日 実はこの前読んだ『二十歳の原点』は大好きなある人にあげてしまった。 滅多に自分の本を人にあげることはないのだが、どういうわけか、あげたくなったのだ。 感想を聞いたら、久しぶりに泣いた、と言っていた。 この人のことを私は永遠に理解できないのではないかと、諦めかけていたところだったが、 あの人が、私が泣いた本を読んで泣いたのだ、という事実にほんの少しほっとした。 ふと気を抜くと、「理解しようとする」ことを忘れて、「理解する」ことに囚われることがある。 理解しようともしていないのに、理解できないという結果にだけ失望して、そして諦める。 それでどれだけのものを失くしてきたか。 私の原点はどこにあるのだろうか。 たまにはそういうことを考えて泣くのもいいじゃないか。 3月9日 春と秋には、毎年の恒例行事のように体調を崩す。 春はなんでかわからないのだが(生まれつきなら、一生続くかもしれないし)、 秋については、理由はそれなりにわかっていて、単なる条件反射だ。 過去に嫌な出来事があった→外に出るのがしんどい→それでも外に出る→キンモクセイが匂う →もっと気分が悪くなる→色々失敗する→ますます嫌なことが増える→…… というわけだ。 今ではパブロフの犬のように、キンモクセイだけで気分がどんよりしてしまう。 それに引き換え、春はまったく理由がわからない。 いつから春が嫌になったのだろう。少なくとも小学校のころは違っていた。 なにしろ、優等生だったから、学校は華麗なるステージだったわけで。 と考えると、落ちこぼれ始めたのがきっかけか。大学のときは、もう春って嫌だったからなあ。 人並みにいわゆる「5月病」みたいになって、それからずっと大学を辞めようと考えて、 それでも結局はその場にとどまって、何かを探そうという選択、なんて立派ではない、 諦めの選択をした。 それが正しかったのか、間違っていたのか、楽しかったのか、つまらなかったのか、どうなのか。 最近よく、大学の頃を思い出す。旅行がてら、ゼミにでも出てみようかなぁ、と思ったり。 大学3、4年の頃の私は、馬鹿だったけど、とてもとても元気だった。 空回りもしていたけれど、誰よりもパワフルで、自分で言うのもなんだが、輝いていた。 恐れることを知らず、勢いがあって、我ながらなんていうか、凄かった。 あの日の私は、どこへ行こうとしていたのだろう。 あの日の私は、今どこへいってしまったのだろう。 今、人一倍臆病がっている自分に、言いようのない苛立ちと魅力の両方を見る。 3月3日 ボケーとしていたら、3月になってしまった。やばい。 何がやばい、って、それがわからなくて、やばいという思いだけがあるから、なおやばい。 聞くところによると、精神科にかかっている人たちが春に調子を崩すというのは、 噂じゃなくって本当らしい。 啓蟄、そして木々が芽吹く時期を経て、桜が咲く頃には調子はどんどん悪くなり、 GWに入院、そんな患者さんがたくさんいるのだそうだ。 去年就職した二人の先輩が「初めての春はいろんな意味でスゴイよ」と言っていた。 さて、これからどんなことがあるのだろうか。 私の国試の合格発表もある。 先日、ソーシャルワーカーが集まった飲み会での自己紹介で、今年受験生でした、と話した。 後で聞いたら、その場にいたほかの何人もが一緒に試験を受けていたけど黙っていたらしく、 結局、受験したことを自らしゃべった私だけが馬鹿を見たようだ。 別に馬鹿正直に生きているつもりはないが、それでも、こういう小さな裏切られ感が、 ますます私を屈折させていく。(我ながら被害的だとわかっていても) なんだか、本当に馬鹿みたいだ。 だけれども、実は心底馬鹿みたいに生きていきたい、という願望があるのかも知れず。 まぁ、結局私はこんな人なんだろう。 おもしろいのか、つまらないのか、さっぱりわからない。 |