11月12日
とにかく面白いことがたくさん起きる職場である。
しかしプライバシーだとかいろいろな問題があるので詳細を記せないのが、
なんとも残念というかなんというか。とにかく日に数度はおかしくておかしくて腹を抱える。
しかし、どんなに面白いといったって、それはそれで結構疲れるというのが実際のところ。
で、酒量が増えた。
というのは、単なるこじつけ、ということもわかっていながら。
それから不意に眠れなくなったり、泣いたりもする。
先日、友達にカラオケで夏川りみの『涙(ナダ)そうそう』を歌ってくれと懇願した挙句、
それを聴いたら、本当に「涙そうそう」と、ポロポロ涙がこぼれてきた。ただわけもなく。
もっと力を抜けばいいのだと母は言う。
だけれども、それが出来ればいつだって苦労はしないのであって。
ただ、いつまでもくたびれているわけにもいかないから、そのうち手抜きも覚えようか。
毎朝8時半ごろバスを降りて近くのコンビニに入ると、決まってその時間に有線から
『涙そうそう』が流れてくる。
まるで泣いてもいいのだ、と私に言うように。
11月8日
目をプチ手術。
といっても、整形ではなくて。
もうかれこれ何週間も、右目にゴロゴロと違和感を感じていたので眼科へ行った。
患部をデジカメで撮ってモニタで見せてくれるというブルジョアな雰囲気に感動しつつ、
見せられたのは白い小さな「結膜結石(←注:きもちわるい)」。
上まぶたの裏の脂肪の塊にカルシウムの芯みたいなものができちゃったとさ、
というわけで、除去術と相成った。
麻酔の目薬をさして、先っちょをピンセットでちょいと曲げた「特製」の針で、
とにかくまぶたを何度も何度もほじくりかえされた。
当初2、3分で終わるといっていたのだが、なかなかしぶとい結石だったらしく、
予定の2、3分を遥か過ぎ、そして麻酔が切れてきて、チクンチクン、という針の痛み。
でもコレがなんと言うか、イタ気持ちいいという感じで少し楽しみつつ、
でもやっぱり痛いので「すいません、麻酔、切れました…」「あぁ、ごめんごめん」。
ていうか、処置中に「あれー?あれー?」て言うの、やめて下さい。
なんだかんだで、15分ほどかかって、除去完了。
ご丁寧に、ほじくり出した結石とその周辺の粘膜まで見せてくれました。
あ、もちろん、拡大映像をモニターで。
それより、他にもあと2、3個残っているといわれたのが気がかり。
脂肪の塊というからには、太りすぎが原因かしらー?
11月7日
比較的入院期間の長い患者さんに対するケアマネジメント業務に就くことになった。
で、その対象者名簿を見ていて驚いた。
「入院日:昭和24年○月×日」
誤植ですか?
改めて、とてつもない仕事に就いたもんだなぁと思う。
11月5日
松井秀喜とは同い年である。
ずいぶん昔の話であるが、中学2年のときだったか、北信越中学野球選手権大会、
なる大会が金沢で開かれたとき、彼は根上中学校の4番ファーストだった(たしか)。
根上中学校は松井の活躍もあって見事優勝した。
で、その決勝戦のウグイス嬢はというと、何を隠そうこの私だ。
グラウンドで見た松井選手は、同級生とは思えないくらいデカくて堂々としていて、
なんだかすごい人がいるもんだ、と子供心にも思ったものだ。
そして実際彼はすごい人だと、今改めて思うのだ。
FA宣言した会見で彼が繰り返した「ファンに申し訳ない」という言葉。
彼が大リーグに挑戦することに対して、裏切られた、と思うファンがやはりいるのだろうか。
まぁ、ファンならずとも周囲にも彼を引き止めた人がたくさんいるというのだから、
改めてプロ野球という世界は、選手一人一人の生き方なんて踏み潰しても
チームが強くて儲けが上がりさえすればそれでよし、な世界なんだなぁ、と思う。
そこが世界を目指すサッカーと違って、いつまでたってもプロ野球が垢抜けず、
酒飲みオヤジの娯楽以上に昇華できない所以なのだろう。
誰かが、今回の松井の決断は、ドラフト会議でのくじ引きでこの10年の人生を
決められたことに対する復讐なのだ、と言っていた。
彼はこれから初めて、自分の進むべき道を選ぶのだ、と。
これが彼の真意かどうかはさておくけれど、多くの選手がFA権を取ればすぐにでも
ジャイアンツへ、というプロ野球界で、彼はそのジャイアンツの4番の座を捨てるのだ。
きっと彼を「裏切り者」と見捨てる人だって居るだろう。
それをも承知で彼は決めたのだ。
そして、すべてを承知の上で「申し訳ない」と皆に頭を下げるのだ。
なかなかできることではない。
「あなたは今でも出来る事なら新聞社に戻りたいと思ってる?」
週末に思いがけず職場の先輩から声をかけられた。
私はうまく返事ができなかった。
私の日頃の振る舞いが、前々職場に未練たらたらな風情だったのか、
それとも、それとも、それとも…。
子供の頃から憧れていた職業に就くことを半ば諦めて、というか、放棄して、
それで色んななりゆきで辿り着いたのが今の仕事だ。
思い入れも興味もやる気もあるけれど、どこかで否応なく敗北感がつきまとう。
あの失敗があったから今がある、と無理やり思うこともできるのだけれど、
気を抜くと、あの失敗がなければここにはいない、という思いに憑かれてしまう。
だから通ってくる人たちの「病気にさえならなかったら、ここにはいない」という相談が
まるで自分の心を代弁しているかのように聞こえる。
こんなことじゃいけない、と思いつつも、一人になると深い深い泥沼の中に堕ちて行く。
私はこれから松井ファンになると思う。
ただただ彼の成功を祈りたいと思う。
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