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2002年6月のお嬢…は病院実習日記です(上)

初日 2日目 3日目 4日目 5日目



6月16日 さらに休日

その上、寝て暮らせ。



6月15日 休日

寝て暮らせ。



6月14日 実習報告<5>

9:00 男子閉鎖病棟

 朝の申し送りを見学。何より男性看護師だらけなことに驚く。男性患者さんに時に力で対抗する場面もあり、当然と言えば当然だが、どうでもいいけど男前が多くてびっくり。うっしっし。いやいや。申し送りの内容と言えば、病状のほか人間関係について、色々な報告がある。やはり病状の不穏な患者さんが核となって小競り合いのような出来事は起こっているようだが、この時間ざっと見た感じではざわついてはいるものの平穏な雰囲気。

 月曜に妻が相談に訪れていた男性が昨日入院したとのことで、病室訪問。持病の悪化は妻のせいだ、妻から一億円賠償金を取らなくてはいかんのじゃー、という頑固な妄想。「妄想性障害」といって、その妄想以外はフツーな感じ。お人好しで優しそうなおっちゃんで、ニコニコ話しているけど、でも「一億円や!」。何がどうなってそうなったのやら。だいたいあの母ちゃんとは一緒になりたくなかったんや、などと言われると、一体この30年以上の結婚生活ってなーにー?という疑問が浮かぶ。でも、そのこと自体妄想かも。いやいや、その妄想の原因は、実は妻を好きじゃなかった、という事実にずっと耐えてきたことかも。などなど、頭がこんがらがってきた。いやぁ、人の心は本当に複雑なモンである。

 さて、本来面接したかったのはそのおっちゃんだけだったのだが、私たちの気配を察知してか、隣室から別のおじさんがやって来た。ヨネスケによく似ていて、閉鎖病棟には珍しいこざっぱりした明るい雰囲気を醸し出している。…いや、醸し出している、というレベルではない。ばらまいている、まき散らしてる、と言う感じ。話術に長けて面白くて、まさに「隣りの晩ごはん」状態なのだが、よくよく考えると、世の中そんなに面白くてテンションの高い人はそうそう居るもんじゃないし、ましてここは病院である。入院したばかりのおっちゃんに何かと世話を焼いている様子だが、よく聞いてみるとタバコ(それも1カートン!)や腕時計を買い与えたりと、まるで度を超している。ほっほー、これが躁(軽躁)状態か、と妙に納得。

10:30 患者さんと保健所へ

 慢性期病棟に入院中の患者さんの精神障害者手帳の更新手続きに同行。目も合わせてくれないし、自分からは口も聞いてくれない男性だが、移動の車中で坂本九の「上を向いて歩こう」が流れてきてPSWがその話題をふると、「ボクも一緒な歌聞いています」と言う。お?イヤホンをしているからテープでも聴いているのかと思って尋ねると、「いえ、ラジオです」。要するに車中で流れているラジオと同じ番組をイヤホンからも聴いていたわけだ。不可解だと言えば不可解だけど、まぁいいや。少し笑っていた。

 役所の窓口の人は、多くの役所の窓口の人たちがそうであるように、何となく面倒くさそうにしていた。しかし、それとは逆に患者さんは、どこかしら生気を取り戻していた。相変わらず、動作も遅いし、目も合わさないし、口数も少ないし、その少ない言葉も不明瞭なのだけれど、でも、担当者に自分から2、3質問をして、その説明を受けて、フムフムと納得している。はじめは子供にかんで含めるように話していた担当者が、それを境に、普通の大人相手の口調になったのが面白かった。PSWが「患者さんは結構自分で何でも出来るので、こういうチャンスを逃す手はない」という。まったくおっしゃる通り。福祉タクシーチケットを自ら希望して交付して貰った患者さんは、次の障害者手帳の更新には自分でタクシーに乗って来ればいい、と言っていた。笑わないけど、たくさんはしゃべらないけど、患者さんはきちんと自分で生きている。

14:00 すだちの会

 退院を控えた患者さんの勉強会。今日は福祉制度などについての説明を受ける。はっきり言って、勉強不足の私にはありがたい時間でもあり、また患者さんの知識の高さに驚く時間でもある。やはり制度は実際に利用している人ほど身近な話で、有り金全て酒代に消えてしまっていたような私などには、なんというか得も言われぬ罪悪感がつきまとうというのが本音の所。制度を覚えるのは、さして難しい話ではない。本当に大切なのは、自分と異なる状況にある人に対し、いかなる制度をいかに利用するかというマネジメント能力だろう。生活保護を受けた方がずっと経済的に楽になれる、という状況でも、苦しくても年金生活を続けたい、という人は多い。ただ単にお金が有ればいい、というものではないのだ。こんな当たり前のこと、わかっているつもりだったのに。

16:00 ビデオ鑑賞

 精神分裂病の理解を深めましょう、というビデオを3本と、数十人の患者さんで運営するクッキングハウスのドキュメンタリー。5日分の疲労がピークに達し、ねーむーくーてーねーむーくーてー仕方なかったのだが、最後の1本だけは面白かった。こういうノリの活動は結構好きなのだ。なんというかイベント屋の血が騒ぐ、というのか。しかし、正直言って、最近自分にそのパワーが無くなっているような気がしているのも事実。私には何が足りないのだろう。

6日目へ



6月13日 実習報告<4>

9:00 生活支援センター

 病院から徒歩5分ほどの所にある生活支援センターを訪問・見学。ここでは就労のための訓練を目的とした作業が行われている。今日していたのは、箱折り。酒屋で贈り物に使われている箱を、組立から布張りまでが流れ作業で作られている。缶詰などを入れる箱よりも布張りの手間が掛かるだけ単価がずっと高く、一つ23円ほどの内職だとのこと。朝一番で朝礼があって、その日のリーダーが司会をして、役割を分担する。そして作業開始。どこの会社でも行われている朝の風景と変わりない。メンバーは淡々と作業を進める。元々無口な大人しい人が多いから、ラジオやCDがなっている以外は、とても静かな職場である。私など、根気の要る単純作業がすこぶる苦手な人種なため、ついつい話しかけてしまうのだが、彼らはとても真面目で「だるくない?」と聞いても「いえ大丈夫です」と返ってくる。あれ?私、一般企業に就労してるんだけどな。そういうわけで、ある意味とても辛い作業が2時間ほど続いた。疲れた。

12:00 食事

 生活支援センターでは、当番制でメンバーが食事を作ることになっている。今日の担当は女性二人。他のメンバーが箱折作業をしている途中に、時折声が掛かる。「キャベツのゆで具合がわかりません」「おつゆの具はどうしましょう」。世話人のおばちゃんが、適当にいなしつつ(なぜなら、その全てを指示してしまえば当事者は自立できないから)、適当な答えに導き、おかず作りを援助する。その後しばらくして、とうとうしびれをきらした食事担当者が作業場に入ってきて一言。「どの器に盛っていいのかわからないんです」。おばちゃんが「昨日ふたりで相談したんじゃないの?」と言うと、「でも決められなかったんです」と言う。これが、精神障害者の抱える「生活障害」の一端。こういう悩みを、私はこれまで知らずに過ごしてきていた。

 飯は美味い。本気で美味い。一食300円なのだが、どこの大企業に行ったって、こんなうまい定食食えないだろう、というくらい美味い。炊き込みご飯に、筍の煮物、キャベツとシラスの和え物、味噌汁などなど、まったくもって非の打ち所のない内容。感激。ほんと感激。これって食堂とかできちゃうんじゃないの?ただ、朝9時から準備を始めなくちゃ昼に間に合わないと言うのが、玉にキズ?しかしこの程度の問題、いくらでも解消法はあるだろう。

16:00 グループホーム訪問

 今日訪れたのは、男性3人が暮らすお宅。そのうちの一人を専属で担当してみないか、と指導担当者から匂わされていたため、ワクワクしつつ訪問する。その男性は57歳、少し痩せてとても物静かな、ちょっと胃を患っていそうな雰囲気の、それでも優しそうな雰囲気の人。ご本人には私の実習の担当ケースになるとは知らせておらず、それとなく接してこい、との指示のため、恐る恐る世間話を。しかし、腐っても訪問看護。やはり健康面の質問から入らねばなるまい。最近体調はどうですか、みたいな話から入るのが本筋であり、やりやすいのかなぁ、そんな気がして、結局そんな話題から入ってみることに。と、うっすら笑って、まぁ、ぼちぼちかなぁ、と一言。とまぁ、字で書けば、これだけのことなのだが、口べたな人なので、その一言を言うのに、軽く10秒、いやそれ以上かかるのだ。でもどういうわけか、私はこの人のこのペースが気に障らない。不思議と落ち着いていく自分を感じる。

 やがて彼から「人との間に『壁』を感じるんです」という悩みが出される。先日のSSTでも同様な話をしていたので、気になっていたのだが、グループホームで仲間とそれなりに幸せそうに穏やかに暮らしているように見えても、どうしてもぬぐい去れない他人との距離感、つまり『壁』がある、と切々と訴えられる。実は私も同じ様なことを考えることが多々あるのだ。ただし私の場合、誰も私の事を知らなくて、誰も私の中には入ってこられなくて、誰も私のことなどどうでもいいのだ、という身勝手に近い感情なのだが。しかし、気が付いたら私と他人の間には何だか判らないけど壁があった、というのは実感していた。そういうわけで、私は彼の話にすっかり入り込んでしまい、自分の気持ちをスラスラと話してしまった。まるで自分がカウンセリングを受けるように。

 口べたであまり他者との交渉がもてない、という彼だが、この日は発病以来音信不通の家族の話なども聞かせてくれた。確かに若い患者さんの抱く「退院して、一人暮らしをして、就職して、結婚して、云々…」というビジョンにも魅力を感じるのだが、30年近くの長い間ずっと病院で過ごしてきた、彼のような患者さんの、残りの人生を考えていく仕事はなお興味深い。実習担当者は彼について今の生活以外に選択肢はないかもね、というけれど、果たして本当にそうなのだろうか。

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6月12日 実習報告<3>

9:30 デイケア

 10時からのSST(生活技能訓練)を前にデイケアに行く。デイケアは生活リズムを作ったり、人付き合いを学んだり、社会復帰のための生活訓練を受けたり、とまぁ盛りだくさん内容で、それぞれが自由に一日を過ごせる場所である。SSTのテーマは「自分の弱点をどうやってカバーするか」。終盤になるとやはり具体的ケースが上がってきて面白い。「煙草が残り3本しかないときに、誰かに1本頂戴、と言われたらどうやって断ればいいですか」と聞かれて頭を抱えてしまう。「1本しかなかったら断れるのですが、3本有るとどうしていいか判りません」とな。なるほど、気持ちはわからないでもない。私など、ほいほいあげてしまうかも知れないが、何しろ経済的にあまり余裕のない人たちだから、実際病棟では煙草を貰う際に10円を差し出したりしているわけで。「『もう3本しかないし、今度返してくれよ』と笑って言ったらどお?」などとお茶を濁してしまったのであった。むむむ、という表情をされていたが。

 SSTの後、特に煙草が吸いたいわけではないのだが、喫煙室に潜入。やはり会社でもどこでも一緒なように、喫煙室こそ情報交換の場であるわけで。患者さんも私のことが物珍しいようで、あれこれ話しかけてくれる。なかなかこちらからは聞きにくい事でも、自分から話してくれると有り難い。例えば出身校とか。私に「ゼミ論何書いた?」と聞いてきた男性は、大学時代マスコミ論が専攻で、卒論は教科書問題だったそうだ。思っていた以上に、高学歴だとか、成績優秀だった、という人が多くて驚く。20歳ごろに発病して都内の有名大学を中退したという子には、ヘーゲル哲学を説かれて驚いた。「止揚って概念があるでしょ、(中略)テーゼとアンチテーゼが云々…(以下、私の知識の限界を超えたため記述不可)」。まぁとにかく、どういうわけか私は患者さん達に意外にすんなり受け入れられたようで、一安心。何人もの患者さんから「あなたみたいな話しやすい人珍しい」「あんたおもろい人やね」と評される。それから「ミス○○(←病院の名前)」と。ありがたやありがたや。そういうわけで、夕方までゲームをしたりW杯を見たりと、遊んで過ごす。こんなに楽していいのかしらん。

16:00 研修

昨日訪問したグループホームについて、その制度のあらましと病院の方針について説明を受ける。昼間デイケアにいた私は、昨日会った3人のうち一番物静かな方と話をした。みんなで暮らしていると一人暮らしに憧れるし、一人で暮らしていると人恋しくなるんだよね、と私が言うと、「それはわがままってモンじゃないかしら」とやんわり諭されたのである。その事を指導担当のPSWに話すと、彼女の生活史の一端を聞かせてくれた。ほんの一部分の話だが、それはそれは悲しい話で、そんな体験をした彼女が今グループホームで仲間と暮らす幸せは、これでに味わったことのない幸せなのかも知れないのだ、と言われる。これまで社会復帰と言えば、独立して生活をすること、つまり家に帰るなり一人暮らしをするなり、安住の地を見つけて就労して…と思っていたのだが、幸せには人それぞれの生活史によっていろんな形があるのだ、という当たり前のことを改めて知らされた。ゴールはどんな形でも、どこにあってもいいのだ、とようやく最近思えるようになった、というPSWの言葉に目からウロコ、である。

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6月11日 実習報告<番外編>

帰宅後、祖母に泣かれる。以下詳細。

(号泣前)
なんであんな病院に毎日行くのだ。どこかもっとまともな病院に行くことは出来なかったのか。精神病院でも、よりによってあそこに行かなくても良かろうものが。一体あんたは何をしようと言うのだ。その仕事ってのはどこに勤めてやる仕事か。給料は誰が払うのだ。大体そもそも、そんな仕事があるということを誰に聞いてきたのだ。なんでそんなことをやろうと思ったのだ。やめておけばいいのに。まさか私の具合が一時期悪かったというのが理由であるのなら、私はもうすっかり良くなった。だからあんたはそんな仕事しなくていい。ほんとうにやめておくれよ。

(号泣中)
大体、こんな幸せな家庭で何不自由なく育ったあんたが、よりにもよって、何を好きこのんでそんな仕事をしなくちゃならんのだ。私はあんたが哀れで哀れで。どうして普通に幸せになろうとしないのだ。どうして普通に幸せになってくれないのだ。他の人たちは皆あんたの年頃にはお嫁に行って幸せになっているというのに。何が悲しくて、あんな人たちの役に立とうなどとしているのだ。そんな立派なこと考えなくて良いから、お願いだから普通に幸せになってくれ。

(号泣後)
もういい。もういわん。どうせ私の言う事なんて聞かんのだろうから。ほんとにどうしてそんな子になってしまったのだろうか。本当に。

以下省略。

「もういい。もういわん」の有効期限は2〜3日、よく持って1週間ほどの事だろう。昼間連日この話を聞かされている母には全く持って申し訳ないのだが、これだけ小一時間に渡ってグチャグチャ言われると、はっきり言って殺意も芽生えます。実習よりもずっとずっと面倒な伏兵あらわる、という感じである。まぁ年寄りだから、と言って、放っておくのが良い良い、という人もあるが、果たしてそれはどうなのか。けれどもやはり82歳に人権問題を説いたところで、やはりその理解を求めるのは酷な話なのだろうか。



6月11日 実習報告<2>

9:00 初任者研修みたいな

 実習中の所属は「社会復帰部」である。部長より主に精神分裂病の発病から治療、社会復帰までの過程についてレク。また担当のPSW(Psychiatric Social Worker:精神科ソーシャルワーカー)より昨日からの流れで福祉制度についての解説を受ける。ますますややこしい。まずい。

11:00 アナムネ

 ついにデビューである。と言っても横に座っていただけだが。アナムネとは?については、リンク先の風野先生の文章を参考にして下さいませ。私も恥ずかしながら今やっと意味が分かりました。教科書には「インテーク」としか書いてないんだもん、というのは言い訳がましいが、例えば精神分裂病を「シゾ」(または「S」)と言ったりするのは、やはり現場に来て初めて体験することだけに、雑学本で知っていたとはいえ、へっへー、という感じだ。しかし、自分で使うとなると、まだまだ。アナムネも「アネモネ?」とか思いつつ、恐る恐る口に出しているのが現状。詳細はプライバシーの問題があるので書けないが、母一人子一人で精神分裂病の母親と暮らす同年代の息子が付き添っていて、心うたれる。果たして自分にそんなことが出来るだろうか。

12:15 アナムネ再び

 食事を始めたところに、また新患との知らせで走る。とにかくアナムネとなると、よく走る。面接の後、その内容をすぐ簡潔な文章にまとめて医師に渡さなくてはいけないからだ。その様子はかつて勤めた新聞社とまるで同じで、締め切り間際に事件原稿をねじ込む場面とダブって見えた。患者に病識(自分が病気であるという自覚)はまるでない様子で、しかも発病からひょっとすると20年は経過しているような感じ。困った家族が「母親の付き添いで」と本人を言いくるめて連れてきていた。見るからに様子がおかしいのだが、本人が頑として私は病気でない、と言い張ったため、結局入院には至らず。今後本人は、余程のことがない限り病院には行かないと言うだろうし、どうなってしまうのだろう。見て見ぬ振り、知ってて知らぬふりをするしかないのか。

13:00 病棟訪問

 生活保護関係の書類で、本人の直筆記入が必要なものがあり、病棟へ。24年間入院している、というおじさんを尋ねる。老眼鏡もかけずにスラスラとPSWが用意してきた文章を写し書く様子に思わず年齢を尋ねると、71歳だというので驚いた。若く見えますね、と言うと、ここはのんびりしているからね、と笑う。しかし、どうしてあのおじさんが、鍵のかけられた病棟で暮らさなくてはいけないのだ。さっぱりわからん。書類の内容は、家族の仕送りが止まる事による増額申請だった。理由は「不況のため」とあった。

14:00 すだちの会

 退院を目標に置いた患者グループの勉強会に参加。「心配事があったらどうするか」をテーマに話し合う。「医師や看護婦に相談する」「ソーシャルワーカーに相談する」という患者の答えに、ナースが何度も心から喜んで褒めている。そんなん当たり前のことやろ、と思うかも知れない。しかし困ったときに、困ったと言えることこそが、社会復帰への大きな条件であり、大きな力となるのだ。逆に言えば、それをこれまで出来なかったから、彼らはストレスの回避が出来ず(これだけが理由ではないが)心を病んでしまったとも言える。そんななか、途中から遅れて参加してきたおじさんが発言の中で「すだちの会というけれど、本当にはばたけるのか、という思いがして」と話していた。「自分は本当はこの会に出る人間ではないのかも」という言葉が特に重い。司会のナースはこれを聞き逃して話を進めてしまって個人的に話を聞いてみたい、と思ったが、実習生の立場ではそこまでできず、はがゆく思う。何よりその言葉は、私がいつでもどこにいても感じてきた思いと同じだったのだ。

15:30 訪問看護

 市内某所にあるグループホームには3人の女性が暮らしている。実習前に「汚いところもあるのでラフな服装で」と言われていたのでビビっていたが、なんのなんの、建物こそ古いものの、掃除の行き届いた、こざっぱりしたお宅であった。なかなか個性的な雰囲気を醸し出す3人が、これまた微妙なバランスで助け合って楽しそうに暮らしている様子に感心する。病棟内にも、これくらいの生活能力のある人はまだまだ居そうな気がするが、何しろ精神障害者の人権や社会復帰に対して「総論賛成・各論反対」、つまり我が家の近所には来ないでよ、という意見が多くて増設が困難というのが現状だ。

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6月10日 実習報告<1>

9:00 オリエンテーション

 事務長より鍵の束を受け取る。3本のうち1本は病棟の鍵。閉鎖病棟という、鍵で閉じられた入院病棟の鍵だ。出入りの際は、鍵を開け、鍵を閉める。患者の出入りは許可制で、外出から戻るときは、チャイムを鳴らして鍵を開けて貰うことになっている。こんなもん、私に渡されても、というのが正直な感想。こんな鍵、私に渡されても、それを使う権限など、どこにあるというのだろうか。

10:00 病棟見学

 5F女子閉鎖病棟。エレベータを降りると、1メートルほど先にもう一枚扉がある。その鍵を開けて病棟に入ることになる。鉄格子はなかった。そっか。しかし頑丈そうな扉で重い。ナースセンターの前では中年の患者が恨めしげな顔でしゃがみ込んでいて、中にはいると別の患者が金銭問題をナースに訴えながら号泣していた。ナースは慣れたもので、あの手この手で患者をなだめている。まだ若い茶髪の女の子が喫煙室でマルボロメンソールに火を付けた。ライターは、窓の鍵に紐でぶら下げられている。彼女は10センチだけ開く窓を開けて、外を見ながら煙草を吸った。

 2F男女混合閉鎖病棟。年輩の長期療養者が暮らす病棟。ヘッドギアを付けた患者が目につく。てんかん発作や足腰の衰弱による転倒事故が多いらしい。5Fとは違って、静かな病棟だ。ラウンジではしゃべる人がほとんど居ないので、テレビの音だけが響いていて、たくさん人が居る割には妙に静かで、ついキョロキョロしてしまう。が、患者の中にもこちらをジッと見ている人がいて、どーもどーも、とお辞儀してみた。けど、相手は動かないので、認識してくれたかどうかは謎。婦長曰く、退院できる状態の人は居るとのこと。しかし、50人近くの患者のうち、正月に帰省できたのは3人だけだという。全員の家族に幾度か電話をしたのに、だそうだ。これが現実だ。病棟を出るとき、もう一人の実習生に患者が歩み寄り、手を取りバイバイと言う。笑っていた。切ない。

13:00 病棟見学

 7F男女混合開放病棟。これで婦長に会うのは3人目だが、ここでもまた熱血婦長に迎えられる。ほかのナースは知らないが、とにかく婦長という人は人格者だ、という印象だ。皆それぞれがかなり個性的だが、ほっほー、という感じでその懐に包み込まれるような雰囲気の人ばかり。あくまでも第一印象でしかないのだが、正直、大したもんだ、と尊敬する。病棟内は比較的経過の良好な人が多いせいか、印象は薄い。いわゆる、病院、という感じ。ただ、時たま外泊時の自殺があったり、外出したまま帰らなくなって捜索願が出されるあたりが、一般の病院と違うところか。

13:30 つくしの会

 病気(入院患者の6割もしくはそれ以上が精神分裂病=統合失調症だ)が慢性化した、あるいはしつつある人を対象にした患者グループのレクに参加させて貰う。今すぐの社会復帰は無理だが、人付き合いや買い物、その他諸々の場面における生きづらさ(生活障害)の改善を目指す集まりで、今日のプログラムはカラオケ。実習初日から、まさか歌を歌うことになるとは。笑える。薬の副作用でろれつが回らず上手く話せない人でも、意外と歌は旨く歌えるものだ。お世辞にも「上手」な歌ではなかったが。リーダーがこれでもかというくらい皆に気を遣って、盛り上げようとしている姿が印象的。後のミーティングでは、皆から「スッキリした」という声が挙がった。そして、皆、閉鎖病棟に帰っていった。ひとつ驚いたのは、ずっと患者だと思っていた若い男性が、実は看護士だったということだ。名札を取ってしまったら、誰が患者かそうでないのか、はっきり言ってわからない。

16:00 事務作業

 こんな制度などが色々あって、勉強不足のためアップアップになる。えらいこっちゃ。しかし実際に書類を目にして、患者さんと話をすることで、すこしずつ具体的イメージが涌いてくるような気が…というのは、希望的観測か。

17:30 定時退社(退院?なんと言えばいいのやら)

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6月10日 病院実習

ついに始まりました。
市内の精神病院で2週間の実習です。
落ち着いたら、というか、無事終わったら、報告します。
一つ言えるのは、おもしろい、ということです。



6月2日 黙っていましたが

今日はなんと、このHPの開設2周年です。
が、忙しくて、結局何も書けないままでした。
みっともないですな。
少しリニューアルやら何やら、考えないといけません。
が、それよりなにより、パソコンを何とかしないと、
永遠に実現しないような感じです。
うぅ。