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2002年5月のお嬢



 5月12日 あたしがADSLにしたいわけ

 ココにある曲全部聞きたいから。かなり本気。



 5月11日 胃カメラ

 この4日ほど、ろくな食事をしていない。
 おかゆか、うどんか、少しの野菜か、それもすりつぶすようにかみ砕いて。
 水曜に点滴をしては貰ったものの、栄養失調と貧血で、連日午後になると頭が割れるように痛み、
 とてもじゃないが、仕事にも手が着かない状態だった。
 食べていないので、当然便秘である。
 腸も動くことを忘れたかのように、だんまりを貫いている。
 風呂の中で無理矢理揉みほぐしてみたところで、たまに出るのは、
 猛烈な異臭のする気体と、何日も腸に滞積して粘土のように滑らかで粘りけを帯びた固体である。
 これでは去年の冬の腸閉塞と同じ症状ではないか。
 胃が痛むかと思えば、腸が痛み、それが治まればまた胃が痛み。
 一体どうなっているのだ、ワタシの腹は。

 前日の午後9時から、絶飲食である。
 同僚に散々脅かされつつ、この日を迎えたのだが、それはあまりにもあっけなく。
 今日は仕事が休みだ、と告げると、麻酔をかけてくれることになり、
 結局、注射後5秒でワタシは意識を失った。
 だから覚えているのは、口にプラスチックの筒をくわえた、そのことだけである。
 で、次に気がついたのは、シュルシュルシュルとカメラが抜かれる瞬間だった。
 なんとも便利な、5分間麻酔。
 しかし、健忘というのか、ほんの数分間のことがまるで思い出せない、というのは
 実に気持ち悪いものである。
 プラスチックの筒をくわえたことは覚えているのに、カメラを入れたことは、思い出せないのだから。
 それで、検査後は別のベッドまで自力で歩いて、それから深い深い昼寝をしたのだ。
 どうなっているのだ、一体。

 胃カメラの前に行われたエコー検査の結果、内臓異常は見つからなかったので一安心。
 しかし、胃袋にはところどころに赤い斑点ができていた。
 胃潰瘍になるとその斑点は白くなるそうで、私のは要するに「胃炎」だそうだ。
 で、暴飲暴食やストレスが無いような生活を、とのお達し。
 辛いもの油もの断ちの上、服薬治療を続けることに相成りまして候。
 これまでストレスを食べることで発散していた私に、これからどうしろと?
 そういうわけで、帰りにデパートに寄って、ものの30分足らずで4万の買い物をした。

 だって、お医者さんがストレス解消してくださいね、て言ったんだもの。
 言ったんだもの。
 言ったんだもの。

 あとはカードの支払いがストレスにならないことだけを祈るのみ。



 5月10日 失敬

 先日のunpocoでの飲み会の話なのだが、
 実は料理してくれていたのはやはり正真正銘、マスターだったのだ。
 いやぁ、バイトさんとはいえ、やはり店の味を忠実に再現するものだなぁ、
 と思って感心していたのだが、そうではなかったのね。

 マスターには大変失礼を致しまして、申し訳ございませんでした。
 またの宴会も、どうぞ宜しくお願い申し上げたてまつりまする。



 5月9日 脅迫

 胃カメラなんてもう懲り懲り。
 胃カメラ飲むくらいなら死んだ方がまし。
 あんな酷い思い、後にも先にもあれしかない。

 同僚による胃カメラ体験談である。
 やばい。
 まずい。
 コレを聞いているだけで、胃がキリキリ痛んでくる。
 現代医療でもどうにかならんのか。
 え、一体。

 そう言えば、医者になって3年になる友人が、
 この前胃カメラに失敗したと言って、医者を辞めたい、
 と泣きじゃくっていたと聞いた。
 ますます胃が痛む。

 おえっぷ。
 最悪だ。



 5月8日 というわけで

 胃カメラ決定。
 頑張れ、ワタシ。



 5月7日 撃沈

 気持ちが悪くて、一晩眠れなかった。
 会社でも休憩時間はすべて横になり、
 皆に顔色がすこぶる悪いと言われる。
 明日は医者に行こう。
 何も悪いことはしていないのに。
 どうなったのだ、私の胃袋。



 5月6日 歴史を端折る

 さて。
 『利家とまつ』を週3回、狂ったように見ている私である。
 土曜は翌日のための予習である。そして日曜20時の放送に挑むのだが、
 如何せん夕食時であり、セリフの細部が聞き取れない。
 で、22時からの再放送で復習することになるわけだ。これでよく分かる。

 ついに利家が越前府中で城持ち大名となった。
 が。
 何とも物足りないままの入城である。
 越前の一向衆との攻防シーンがない。
 天下布武の大儀の元に、北陸の数千の住民を虐殺したといわれる、そのシーンがないのだ。
 まあ、確かに、英雄を英雄とだけ描く大河ドラマに、英雄のとった行動の賛否が
 問われるようなシーンは不要なのであろう。
 しかし、信長、秀吉といった大物の大河ドラマで描けない部分も、
 利家公には申し訳ないのだが、主役が地味なればこそ描く暇も有るであろうに。
 この大河で描かなければ、いつ描く?
 それともそのうち柴田勝家あたりが主役になるドラマがあるのだろうか。
 とにかく、かつて我が国でも、イスラエルとパレスチナみたいなことをやっていた時代があるのだ。

 と、色々調べてみると、後の統治を円滑に進めるために、
 利家は一向一揆討伐の時には中国攻めに出掛けていていなかった、という文献もある。
 一揆軍を滅ぼした悪者は勝家、そして利家公は加賀繁栄の礎を築いたお殿様、
 そんな旨い歴史だけが語り継がれているような気もする。

 全国各地に残る一揆や反乱の歴史を学校では極力教えない、というのが政府・文部科学省の方針だ、
 という話を聞いたことがある。
 「官僚の持ちたる国」である我が国において、中央の政策に対する反乱分子を育てたくない、というわけだ。
 よほど歴史に詳しい教師が凝った授業をすれば話は別だろうが、
 教科書通りに教えていくとなると、学校の授業も結局は大河ドラマを見ているのと同じだ。
 その結果が、愚かな宰相に示された異常な支持率だとか、愚かな政治家にまとわりつく利権だとか、
 それでも愚かな国会議員を幾度も当選させてしまう有権者だとか、
 そういう「今」という歴史を作り上げているのだとすると、滑稽と言うほか無い。

 「百姓の持ちたる国」がどんな国だったか、私は知らない。
 しかし、これを知ると知らないとでは、少なからず社会を見る目が変わるだろう。
 私には知らなくてはいけないこと、行かなくてはいけないところが、まだまだたくさんある。



 5月5日 おーいニッポン

 TVで「今日はとことん石川県」をやっていた。
 朝10時から夜7時までの、生放送である。
 まさに地元が自己満足するためだけにある、そんな番組である。

 元々NHKびいきの我が家だから、以前からかなり楽しみにしていたわけで、
 午前10時から、昼の1時間の休憩を挟んで、午後7時まで、ずっとずっとテレビに釘付けだ。
 もちろんCMがないので、トイレに行くのも一苦労である。
 知人が出てはいないか、興味のあるスポットが出てはいないか、面白い話が出ては来ないか、
 と一家揃ってバカみたいにテレビを凝視している。

 可哀想なのは一人我が家にやってきた、東京のおばである。
 こんな親戚の家に遊びに来たことを、後悔していても仕方有るまい。
 しかしまあ、それもまたよし、ということで。

 番組の最後に発表された石川県の歌は『香林坊節』という景気のいい歌だった。
 三波春男の再来のような土建屋社長のオヤジと、
 ビリーバンバンの右側の人にそっくりなオヤジのユニットが歌うサラリーマン賛歌?である。
 秋元康をさすがだな、と思ったのは、この土地の歌を、あれだけノー天気な作品に仕上げたところだ。
 冬の日本海→火曜サスペンス加賀能登殺人紀行。
 そんなイメージの強いこの土地への先入観が彼にも無かったわけではないのだろうが、
 曲がり角を曲がったところにドラマがある、などと言って、そこからあの底抜けに明るい音頭を生み出すあたりが、
 さすが敏腕プロデューサー、という感じだ。

 実際この土地は、ところどころに排他的な部分はあるにせよ、基本的に明るいお国柄な気がする。
 いや、明るい、というと、九州などにはかなわないから、なんというか、
 「どうにかなるさ」というか「まぁいいっか」というか、そういった感じ。
 雪国の割には、意外と楽天的なようだ。
 最近『利家とまつ』を見ていて、特にそう思う。
 二人は別にこの土地の人間ではないのだけれど、利家の
 「交際費はけちらず、他の予算を削ってでもどんどん使え」といった言葉を見たときに、
 ああ、この考えはこの土地に今も脈々と息づいているな、と思ったものだ。
 それはひとえに、海と山に恵まれたこの豊かな土地だからこそ言えた言葉だろう。
 ああ、海と山の神さんよ。くわばらくわばら。

 まぁそういうわけで、まんまとNHKの策略にはまった一日であった。



 5月4日 マッサージ選手権

 「TVチャンピオン」でマッサージ王選手権をやっていた。
 途中の敗者復活戦で、犬にマッサージをして、速く寝かせた方が勝ち、という競技があった。
 脳神経外科病棟でリハビリマッサージをしている人が、見事に犬を寝かしつけたので、
 真似してウチの犬にもマッサージ。
 背骨に沿って、人間と同様にツボを探しながら、モミモミモミモミ。

 …寝た…。

 すごい。恐るべし東洋医学め。
 友達に話したら、そういうあんたの様子が可笑しい、と笑われた。
 文句あるか。



 5月3日 髪を切った

 こんなんになりました。



 5月1日 オンナ三人寄れば

 向かいの席から「ビールのみてー。ビールのみてー」という声が。
 聞くと、ゆうべオトコと別れたのだという。
 一緒に行こうか、というと、目をランランとさせて喜んでいる。
 どうやら、皆に気付いて欲しかったのだが、あまりの異様さに避けられていたようだ。

 美味かろうが不味かろうが構わないから汚い焼鳥屋に連れて行け、というので、
 かねてから気になっていた、焼き鳥屋らしき店までテクテク歩いた。
 夕方6時前と言えば、まだまだ明るい季節になった。
 しかしオレンジ色の古びた看板に灯りがともっており、生3つ!と喉まで出かかったその瞬間、
 よく見ると「屋台の味」と書かれた下のメニューには、
 「焼きそば、焼き飯、ラーメン、豚串……」。
 ???
 ひょっとして焼鳥屋じゃない?
 そういうわけで、店の前まで来て、退散。

 郊外の焼鳥屋を目指すことにした。
 住宅街にポツンとある、小さなお世辞にも綺麗とは言えない焼鳥屋。
 ところが、これが結構美味いのである。
 オンナ3人集まって、ちょっとニチャつくテーブルを囲み、
 ビールと串で延々と食っては話し食っては話し食っては話し。
 4時間近く居座って、そして解散。

 何を話したか、というと、なんて事はない話ばかりなのだが、
 そう言えば、私が個人的に今の職場の誰かと飲みに出たのは初めてだ、
 と思うと何かしら感慨深いものがある。
 しゃべると(というか書いても、だが)結構くどい私の話も、
 どういうわけか、酒の場ではそれなりに馴染んでいるらしく、
 それはむしろ、周りの人間の方が、実は私よりもずっとずっとくどいんじゃねーか、このやろー、
 という安心感を得たからでもあり。
 大した量も飲まずに、ほろ酔いで気分良く帰って来れた自分を、少し嬉しく思う。
 これもまた、周囲の人間のお陰様、ということだろう。

 改めて書くと何だか白々しいのだが、結構感謝しているのだ。ほんとうに。

 そういえば、禁煙は二日で途切れた。
 明日からまた禁煙、いや、断煙だい。