4月29日 あーあ
やめようやめよう。
たばこなんてやめよう。
どういうわけでもないけれど、
とってもちっともうまくない。
きょうほんとうにそれがわかった。
やめようやめよう。
ああ、やめてしまおう。
4月28日 そういうこと
途方もなく孤独を感じる夜がある。
君は強いから大丈夫。
君はひとりじゃないよ。
君にはボクが居るから。
そんな言葉をいくらかけられたところで、ただ空しくなるだけで。
結婚したいなぁ。
私がそういう言葉を言うわけでなし。
結婚しようか。
誰かがそう言ってくれるわけでもなし。
だいたい、結婚が孤独を癒す保証でないことくらい、わかっているというのに。
風呂の栓を抜くときが好き。
汚れた湯が、なんとも都合のいい大きさの排水口から、絶妙の時間をかけて、
最後に小さな渦を巻きながら、下水道に放たれる。
捨てられて、なおその開放感。
私の栓はどこにあるのか。
うずくまった私は、その管さえも、詰まらせてしまいそうで。
ウン トラメッズィーノ、エ ウナ ピッツェッタ、エ ウン カフェ、ペルファボーレ。
「サンドウィッチとピザとコーヒーを下さい」
そんな覚えたてのイタリア語だけが、私の頭に空しくこだまする。
4月24日 宴会部長
久々の宴会幹事。
この職場にきて初めてのことだ。
1,2月は宴会どころか、出社拒否症になるほど会社が嫌で、
とにかくこんな連中と酒なんか飲んでられるか、バカヤローコノヤロー、
という心境だったので、いやー、私飲み会苦手なんですよねー、などと公言し、
職場関係の飲み会を阻止してきた。
そういうわけで、今回は他人にも自分にも大変気を遣ったのである。
「この飲み会は強制ではなく任意参加ですよ」
オンナ30人の部署での送別会には、信じられないだろうが、
このようなアナウンスが必要になる。
来たくもないのに来るだけ来てしまった人間は、とにかく文句を言って帰るのみ。
そういう人間を完全に排除したかったのだ、私は。
送別会なのだから、嫌々出席したメンバーが一人でもいるだけで、
送られる側は気分を害するだろう。
私は、そういう送別会で送り出されたくない、と思うのだ。
だから。
「大きな声じゃ言えないけど、来たかったら、来てね」
そうやって、参加者を募った。
半分が参加し、半分は欠席した。
これでいいのだ。
そして他部署からの多数の参加。
この人達は皆、志願してきたようなものなので、大歓迎である。
好きにやってくれ。
unpocoで値切りに値切って、無茶苦茶時代錯誤なお値段で、
しかもいたるから刺身の桶盛りまで取り寄せて、一次会をお世話して貰った。
unpocoのHPを読むと、どうやらマスターはその間に焼き肉を食いに出掛けていたらしく、
そうか、あの料理はスーパーアルバイトのTさんが作ってくれたのか、と思うと、
これまた感慨深いものである。
食べきれないほどの料理と、飲みきれないほどの酒が並び、みんなが美味い美味いと喜んで、
バカ騒ぎをして、大笑いをして、時が過ぎていった。
久しぶりに、大勢の飲み会で楽しい思いをした。
その上予算からおつりが出た。
あれ?
いいのかな?
二次会ではその数件隣のfanfareに行った。
要するに、この日の飲み会は、皆に私のテリトリーをさらしただけだ。
いや、他にも安いだけの居酒屋はたくさんあるのだろうが、
私にはそんな店にお金を払いたくない。
この前誰かに話したのだが、私は新天地にたくさんの何かを貰った。
せめて、その恩返しをしたいと思ったら、自ずと店が決まった、ただそれだけのこと。
…にしては、少し値切りすぎたかな?
4月22日 賛辞
この数日で、過去4年分のメールを整理した。
いるもの、いらないもの、というように、ひとつひとつ×で削除したり、
差出人だけを見て、まとめてデリートしたり、まとめて残したり。
中で、こんな詩が出てきた。
ある人がある人から最大の賛辞として「ぼうふら」と詠まれた詩だ。
今の私には、この詩の意味があの頃よりほんの少しだけわかる気がする。
《 ぼうふら 》
ぼやぼやするな
ふらふらするな
といったって
ぼうふら
やめるわけにはいかないんだ
4月21日 だからといって、雨が好きなわけでは。
雨の午後は退屈である。
晴れた午後は急かされる。
雨の夕方は鉛のように重たいけれど、
晴れた日の夕方ほど寂しくはない。
晴れた朝は素敵だけれど目覚めが辛い。
雨の朝は気が滅入るけど馴染みやすい。
晴れた夜中は星が見えるが心は寒い。
雨の夜中はただその雨音と闇に包まれ、
意外に結構あたたかい。
4月20日 トルシエと孫正義と日野皓正と出島と
知人がセクハラにあった。
先に言っておくが、知人は男である。
自称トルシエ似の知人は、孫正義似の上司とともに社内の懇親会に出席した。
一次会は料理屋で、二次会はストリップ劇場。
そこまでは平和な飲み会だったそうな。
ココから先は、想像力が大切である。
キャストの顔を思い浮かべながら読んでいただきたい。
3次会はカラオケ。
メンバーは彼と上司と、そしてこれから共同チームを組む二人である、
日野皓正似(推定45歳)とその部下で大相撲出島似(推定30歳)の4人。
あまりカラオケ好きではないトルシエも『雪国』を選曲して歌い始めた。
と、事件はそこで起きた。
日野皓正が一言「君、ランニング?」と言ったかと思うと、
肩の線をなまめかしくなぞり、そしてシャツのボタンを一つ、二つ、
と外し始めたのだ。
トルシエにその気は皆無なので、やめてくださいよ、と一喝、落着。
そしてお次は孫正義が、スピッツのメロディーをひっさげ登場。
元来生真面目な人なので、カラオケでスピッツを歌うなど、
よほどその場を大切に、今後の仕事に四者の関係を生かしたいと思ったのだろう。
ところが、再び日野皓正の登場である。
おとなしく気の優しい孫正義は、まるでヘビに睨まれたカエルのように、
その頬を紅潮させ涙目になりながら、すべてのボタンを外され、
あろうことか、胸毛までお披露目されてしまったのだという。
その胸毛に日野皓正のスイッチは完全に入ってしまったようだ。
その豊かな(注:想像)胸毛を何度もスリスリ。
で、出島は、というと、どうやら日野のパートナーだったらしく、
日野の暴挙をうっとりした目で満足げに見つめていたらしい。
そうか、そういうことだったのか。
気付いたとき既に遅し。
孫正義を守ろうと立ち上がったトルシエ、孫を舞台から降ろしマイクを引き受け、
スピッツの続きを歌い始めたのだが、日野の暴走はもう止まらない。
なんと今度は、トルシエの背後に回り、耳に吐息を吹きかけた!
そしてトルシエが切れた!
日野に「ふざけんな、このやろー」と一発お見舞いして、
そして孫を連れてその場を後にしたのだそうな。
いやはやなんとも、世の中には色んな話があるものである。
私の知る世界の、なんと狭いことか。
トルシエはそれこそ蒸気機関車のように怒り狂って私に電話をしてきたが、
私はと言えば、彼と孫には大変申し訳ないのだが、
久しぶりに声が出なくなるくらいの大声で、いつまでも笑い続けてしまった。
ごめんよ、トルシエ、孫。
ただ、たくましく生きてくれ。
それにしても、今後、彼ら4人のチームがどうなるかが、少し心配ではある(笑)
4月19日 午前様
久々に明け方まで飲んだ。
早朝4時。
空が薄明るくなって、そうか、もう冬ではないのだと思う。
そう言えば、とっくの昔に桜も散ったのだ。
今年は花見をしなかった。
『利家とまつ』を肴に酒を飲んだ。
今の世も戦国時代だ、と知人が語ったが、私は命を懸けていない。
そう言えば先日、あの頃は生きている実感があっただろうね、と妹に話したら、
それなら姉ちゃん、アフガンに行っておいでよ、と言われたのだった。
私は何が欲しいのだろう。
初めて「Hakase」という店に行った。
そしたら、別の店でよく会うMさんに会った。
私は、この自分の母親と同い年くらいのオヤジがとても好きだ。
妹も、このオジさんの大ファンである。
年代はよく知らないが、とにかくフォークとR&Bが延々と流れる店内で、
左手を腰に、右の拳を高く振り上げ、いぇいいぇい、と踊っていた。
その内いつの間にか、小道具のサングラスまでかけている。
マッカーサーが世界で初めて天皇の右に立ったという、例のあの写真の時に
かけていたサングラスと同モデルのレイバンだという。
しぶすぎる。
だてに30年前に世界数十カ国を旅して歩いた人ではない。
夜の街には、本当に面白い話がゴロゴロ転がっている。
それにぶつかりたくて、私は朝方まで放浪している。
家に帰って、吐いたけど。
次の日、婆さんが頭が痛い、フラフラする、と寝込んでいた。
理由は判っている、というので、聞くと、
私が帰ってこないので一睡もできなかったのだ、と言う。
とてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとても迷惑である。
あんなに楽しかったのに、結局とても後味の悪いことになった。
つまらん。
そういうとき、私はとても人でなしになる。
4月18日 白ヤギさんからお手紙ついたら黒ヤギさんは?
それにしても、「結婚式の2次会」という言葉のなんと魅惑的なこと。
結婚する二人の出逢いの場がそこである、と言う話をよく聞く中で、
そんなうまい話が何処の世に転がっているものか、とは思いつつ、
なんともソワソワしてしまう宴のひとつである。
見ず知らずの人たちと無理矢理話を合わすことを求められる合コンが
大嫌いの私でも、自分と仲の良い新婦が選んだ新郎と仲良くしている人、
となら少しは仲良くできるのでは、などと考えてしまうのだ。
先週の土曜に結婚式に出て、月曜の夜に金沢に戻った。
すると、添付ファイル付きのメールが届いていた。
「お約束の写真を送ります」と式の当日皆で撮った写真が送られてきた。
ありがとうございます、とお礼のメールを返すと、今度は、こんばんは、
と世間話が届いて、私はそのまた返事を書いた。
メールというのは、交換のやめどきが判らないツールのひとつである。
私は、とりあえず、余程の多忙でない限り、何らかの返事を書いている。
しかし、メル友でもあるまいし、いつまでもダラダラ話しても仕方ないわけで、
どうも居心地の悪さを感じながら、2通目をしたためるわけだ。
それ以降、返事は来ていない。
私としては、来たメールに対して返事をしないのは気持ちが悪いし、
かといって書いた返事に次の返事が来ないのも、それはそれで寂しくもあるのだが、
だからといって、半永久的に白ヤギさんたら黒ヤギさんたら…とその交換が続くわけでも無し。
要するに、こんな感じで良かったのだろう。
私はこの1週間、何となく、結婚式の2次会マジックに意図的にかかってみて、
それを自分でもわざとらしいくらいに、楽しんでみただけだ。
そして、色んな事を考える。
色んな事を。
久しぶりに、色んな事を考えた。
今も昔も将来も。
そんな時間が出来ただけで、私は結構満足しているのかもしれない。
そして、あえて私の満足の要因を付け加えるとするなら、
そのメールの主(35歳独身)が、文句無く私の好みのタイプであったことである。
それにしても、なぜに彼がこの歳まで一人で居るのだ?
謎は深まるばかりである。
妹など、そらホモかマザコンだ、と半ば確信している。
同じタイプの男に幾度か痛い目に遭っている私は、今度も妙な緊張をおぼえてしまい、
今はただ、そんな自分の進歩のなさにただただ苦笑するしかないのである。
4月13日 結婚式
同級生の結婚式に呼ばれて東京へ。
素晴らしい式で、これまでのどの結婚式よりグッときた。
やはり新婦との関係が近ければ近いほど、その感動は増すものだ。
別の友人の結婚式では、新婦と20年来の友人、という子が、
号泣嗚咽のスピーチを披露していたからな。
私はエレクトーンの演奏を頼まれていた。
昔とった杵柄というやつで、彼女もよく覚えていたもんだな、
私が楽器を弾けることを。
それを思い出したのがいつだか知らないが、式の2週間ほど前に
頼まれてしまって、私は結局慌てふためいた練習で2キロほど痩せた。
まさに一石二鳥である。
母の洋服を借りて出席した。
30年近く前に、彼女が新婚旅行先の八丈島で着た服だ。
宝石類を持たない私は、妹に真珠のネックレスを借り、
指輪はこれまた母の結婚指輪を借りた。
どういうわけだか、ダイヤを断った母のその指輪には、
鮮やかなピンク色のルビーの石が乗っている。
7月生まれの私の誕生石はルビーである。
そろそろ、そういうものの一つも持たねばな、と思うこともある。
2次会も3次会も楽しかった。
思えば、結婚式にフルコースで出席したのは、これが初めてかもしれない。
新婦への思い入れが、そのまま大きな感動と喜びとなり、
私の心は満たされる。
こういう結婚式に、あとどのくらい出会えるだろう。
それは、私の生き様をそっくりそのまま写す証のような瞬間でもある。
4月5日 祝?
出世した。
同期で一番乗り、だそうだ。
肩書きがついて、給料が少し増えた。
6月に病院実習で1ヶ月の休暇を貰い、その上8月にも、
スクーリングのための休みを貰う。
それでもいいのか、と上司に問うと、それを承知で頼んでいるのだ、
と、なんとも有り難いお言葉。
勝手に名簿に「●」を付けられてチーフになって3ヶ月。
眠れない夜と、目覚めの悪い朝を何度も経験して手にしたのが、
この昇進だ。
嬉しい反面、足に鎖を付けられたような、そんな疑念が残る。
我慢強くなって、人間もまるくなって、皆の信頼もそれなりにうけ、
それでも、どういうわけか、私は自分がつまらない人間になったような、
そんな気がする。
何かフツーで、何か退屈で、何か不満げで、何か無愛想で。
まぁ、贅沢言わずに喜んでこれからも頑張って働けばいいのか。
ほら、こういうのが、何か退屈な感じだ。
4月3日 ピンチヒッター
この春4年生になる我が家のパソコン君が、とうとうダウンの兆し。
ホームページビルダーを入れたのは、いつだったか。
その後ウイルスにやられ、ウイルスバスター装備。
メモリ増設するも、今度はCドライブが限界か。
壊れた、買っちゃえ、そんなPC市場には虫酸が走る。
というわけで、しばし、Webページの更新はなしでやってみます。
5月中旬には、パワーアップしたパソコンから、
また日記を更新する予定です。
最近さぼりっぱなしでごめんなさい。
またそのうち、こまめに更新するようになるでしょう。
では、しばし、この「平穏な日々」でよろしくです。
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