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 2002年2月のお嬢



 2月13日

 もうしばらく前のことになるが、『アルジャーノンに花束を』を読み終えて、
 今は『天声人語8(1973・4〜1975・11)』を読んでいる。
 言わずと知れた朝日新聞朝刊の1面コラム。
 最近はあまりにつまらないので、読むのをやめてしまったけれど、
 この、私が生まれた頃に書かれたコラム集は、30年近く経った今もなお、
 その剃刀のような切れ味と、どこまでも人を愛してやまない筆者の暖かさに溢れている。
 このうちのどれかが明日の朝刊に載っていたとしても、それが30年前に書かれたものだとは
 思われないだろう、という作品も多い。
 どれだけ物が溢れ、物価が上がり、便利な道具が生まれ、生活が豊かになったとしても、
 最後は人間がどれだけ素晴らしく、どれだけ残酷なものか、ということに尽きるのだろう。
 筆者である深代惇郎は、1975年11月1日までの3年半にわたって、このコラムを書き、
 同年12月17日、急性骨髄生白血病のため、この世を去った。
 今の世ならば、骨髄移植だってあっただろうに、などとつい考えてしまう。
 生きていれば今年73歳になっている彼は、今ならどんな文章を記すだろうか。
 私はそんなことをぼんやり思いながら、ただただ日々の出来事を駄文に綴るのみ。



 2月12日

 お局内部分裂、の巻。
 オンナの世界は怖いっすね、ということで。
 人間、陰ではどんなことを言われているか判らないものだ。
 他人の悪口は極力言わないようにしよう、と改めて思う。



 2月11日

 と、3連休を取ってはみたものの、結局ずっと寝込んでいた。
 思えば、めまいがしたのが10日前の金曜日。
 土曜に半日出勤して、そして、日月曜と寝込んでしまい、火曜に復帰。
 それから何とか4日の勤務を終えた金曜日、
 カニとワインを囲んで、かすれた声でワンマンショー。いぇい。
 で、寝込んでしまった。
 おまけに声が出ない。
 かすれた、とかいうレベルではなくて、まさに無声映画。空気の音がかすかにするだけ。
 ついに日曜には当番医に駆け込む始末。
 まったく、いい歳こいて、なにをやっているのだ、私は。
 というわけで、オリンピックは、女子モーグルの予選を見たのみ。
 ああ情けない、情けない。
 

 2月8日

 オリンピックを見るために、3連休を取ろうと思う。
 さて、世間の人は、どう思う?

 それは結構結構、と思うか。
 仕事が忙しいのに、3連休だなんて、と思うか。
 まぁ、好きにすればいいんじゃないの、と思うか。
 答えは何処にもない。
 あたしは、3連休を取ることにする。

 そんなこと、考える必要の無いことかも知れない。
 考えるだけ無駄なことかも知れない。
 だけど、あたしは、考えてしまうし、悩んでしまう。
 それでも結局、あたしは3連休を取ることにする。

 仕事は確かに溜まっている。
 あたしは週末も働くべきかも知れない。
 それでも、あたしは、3連休を取ることにする。

 そんな意味を考えては、毎夜、仕事の夢を見る。
 これをして、不健康というのか、充実した社会人生活というのか。
 あたしには、さっぱりもって、わからない。



 2月8日

 ふと、このHPの存在を思い出す。
 そういえば、こんな場所を運営していたのだな、と。
 思い出して書く。
 さして書くべき事ではないことであっても。