2001年10月のお嬢(上)
10月14日 知り合いに、執念深い妻、というのがいる。 どこに、とは言わないけれど、いる。聞くところによると、巷にも結構いる、らしい。 自分の亭主がモテると思っているのか、亭主の素行が不審なのかは知らないが、 とにかく旦那の監視に全勢力を向けるような、そういう妻、悪いけど、迷惑ですわん。 家族のことは、家族で解決して下さいよ、まったく。 まわりに居るこっちが気遣うっての。ほんと。世間話もできやしない。 みんなの前で監視されている亭主の姿の情けないことったら、ないわ。可哀想に。 そういう亭主のプライドとかそういうのを、自分からぶち壊しておいて、 それでもなお逃げる亭主を追いかけて追いつめて、自分のもとに置こうとする。 あー、ほんと、みっともない。 っていうか、今日あなた髪の毛といた? っていうか、なにその洋服? っていうか、いい加減、化粧でもしないとその顔見られないってば。 っていうか、女捨ててる? みたいな話であって、もっと言えば、キミには勃たないぜベイベー、な話なわけで。 子育てが忙しいから、とか言い訳だけは泉のように湧き出すその脳味噌を、 少しは旦那を思いやるとかそういう方向に使えないものかね。 旦那が協力してくれないから、とか言う人も世の中には多いけど、 (まぁ大抵そういうお宅のの旦那も旦那で、仕事仕事と言っていたりするけど) 自分は結局旦那の稼ぎでのんべんだらりと昼寝むさぼりつつ暮らしているわけで、 そういう合意がなされていると、旦那も思ってしまっているのだよ、完全に。 ならば、その現状を打開するべく、話し合うだのなんだのすりゃいいものを、 私が忙しいのにアナタが趣味に勤しむなんてけしからん、見張ってやる、てなもんだ。 あー、うざい。ほんと、うざい。 ああいう人種が、おばさん連中の間では「正義」として存在するから、なお、うざい。 悪いけどあなたの旦那にゃ、どこのだーれも手ぇ出しませんから。安心せえ。 家帰って、お互いの姿をよーくよーく眺めてご覧なさいってば。 ったく、胸くそ悪いっての。 そんな日もある。おえー。 10月13日 みんなで焼き肉を食べる会開催。 近所にある市内でも人気の、いつも行列が出来る焼き肉屋が空いていると気付いたのは、 少し前の夕方の散歩の時であった。 狂牛病騒ぎでも、まぁ、あの店は大丈夫だろうなぁ、と思っていたのだが、いやいや。 土曜日なんて、3〜40分並ぶのは当たり前だったのに、一組待っただけですぐに座れた。 いやぁ、拍子抜けである。 並んでこそ旨い、というか、並んでいる間に嗅いでる匂いで食欲をそそっていた部分が 大きかったのだと、今さらながら気付く。有り難みが少ない焼き肉は味も落ちた気がして。 いや、旨かったんだけどさ。 ただ、店舗改装を機にサラダをリニューアルしたのはいただけない。 前のサラダの方が、ずっと美味かった。 最近、赤い肉を食べなくなったなぁ、と思う。 焼き肉に行っても、カルビとタンを一皿ずつ頼むくらいで、あとは鳥だの豚だの、 あとはシロ、軟骨と言った肉ではない物が中心になった。 (↑そんだけ食ってりゃ充分だろ、というのはさておき) 歳だなぁ、と正直に思う。 親が以前、そんなに肉ばっかり食いたくない、と言っていたのが分かる歳になってきた。 たかが焼き肉なのに、なんでこんなに切なくならなくてはいかんのだ。憤慨。 そういうノスタルジックな思いに浸ったのは、メンバーによるところでもあり。 中高の同級生2人というメンバーは、それぞれとサシで飲んだことはあるけれど、 3人揃ったのが数年ぶり。前に会ったのは新宿の居酒屋だったか。 あの頃はみんな学生だったけど、今は皆それぞれ違うことをやっていて、 転職してるのまでいるんだから。 はあ。 そろそろ、安い肉を大量に食う歳でも無いって感じだなぁ。 かつてはあんなにうまいうまいと食っていた肉を、味が落ちたと感じるのは、 行列を並ばなかったせいか、狂牛病騒ぎのせいか、歳のせいか、はてさて、ってかんじ。 10月12日 市内某精神病院訪問。 社会復帰担当の方に1時間ばかり話を聞く。 これといって驚くようなエピソードも出来事も聞かなかったが、 印象的だったのは、心理士であるその方の話し方、とでも言うか、その雰囲気。 威圧感を与えないために面接では被面接者に対して正面でなくやや斜めに座るのだが、 職業柄、患者でない私にもそのように位置して、目を合わさずに話される。 一種独特な雰囲気。かえって緊張する。 が、時間半ば過ぎて、その雰囲気もほぐれ、一安心。 本当は病棟を覗きたかった。 しかし、プライバシーの問題もあるし、だいいち目的が不純である。 いくら学生です、勉強のために、と言ったって、結局は個人の好奇心なわけだから。 というわけで断念。 で、せめて勉強会や家族教室に参加させてもらえませんか、と言ってみたのだが、 これもやんわりとお断りされてしまった。はぁ。 夏のレポートで散々、無知と偏見が差別を呼んで云々と声高らかに叫んでみたが、 どうにもこれでは言ってるコチラが現場に切り込む術を持てない。 エイズも薬物依存も、私はいつも現場で学んだことの方が多かったのだが、 今回ばかりはその現場にたどり着く道が容易ではない。 運良く当事者と知り合えたりすればいいんだろうけどね、と言われたけれど、 そんな運を待ってるよりか、私が患者になる方が早いんじゃないか、とか思ったり。 んな、あほなことを言っていないで、早く信頼されるスタッフになれ、ということだ。 ところで、廊下で何人もの入院患者さんとすれ違った。 年輩の人もいれば、高校生くらいの子もいたのだが、共通していたのは、 流れる時間の穏やかさ、とでも言おうか、ノターリマターリした空気。 ちょっとろれつが回っていなかったり、ふらつきながら歩いていたりするけれど、 なんか懐かしいなぁ、という感じがした。 近所にひとりやふたり、そんな人が歩いていたような気がするのは気のせい? みんなどこへ行ってしまったのだろう。 10月7日 貧乏ヒマだらけ 少し前に太宰治の『人間失格』を読み終えて、昨日1軒目に行った店で感想などを。 くっだらない、バカじゃないの、ダザイって。 すると、他人をそんなに頭っから否定するもんじゃないよ、と諭される。 死ぬのは勝手やけど、他人を巻き込むんじゃないよ、バカタレ、このメーワク男。 すると、それもそうやが、それをよしとした女もおったわけやから、とな。 納得がいかない。 ええい、こうなったら世界のミシマ文学に挑戦。(←意味不明) 『仮面の告白』を読み始める。 っていうか、こんな歳になってどっちも初めて読む私って?って感じ。 ああ、そうそう。 昨日彼女と別れた後に、別の友達と場末で飲んだ。 皆が「バスエ、バスエ」と言っていたのは「Bar 須江」という素敵なバーだった。 なんともはや。 10月6日 「secret base〜君がくれたもの〜」はいい歌だと私も思っていたけれど 片町にあるとある焼鳥屋ののれんをくぐると、いきなり苗字で呼ばれた。 夜の街では「なっちゃん」だとか「こなつ」だとかしか呼ばれないのに、苗字はビビる。 しかも、カウンター席の奥行きが、人の肩幅ほどしかない場末(失礼>店主様)の焼鳥屋。 何事かと思って声の主を見ると、現在は地元のTV局で働く中学の同級生だった。 それに気付くのに、10秒ほどかかった。 互いに、まさかこの店で!?と思っていて、彼女も、人違いだと困るから苗字で呼んだという。 彼女に会ったのは1年少し前。 その時から10キロほど太ったんだと言っていたけど、確かその時も彼女は「前」に会ったときより 7、8キロ太ったよー、とか言っていた気がする。 気付かないのはワタシのせいだけではないだろう。 その「前」というのは就職活動の時だ。 アナ志望の彼女は淡い色のスーツに綺麗な薄化粧をして、なんともまぁ、清々しかった。 ちなみに報道志望だったワタシも、今より8キロほど少なくて、よく言えばキレのある、 悪く言えば刺々しい雰囲気を漂わせ、彼女との偶然の再会を喜んでいたのだった。 彼女は数年の報道記者経験を経て、現在は情報番組の制作をやっている。 実業団の相撲部員と美味しい店を紹介するコーナーの担当で、 店が出す料理を残すと悪いから一緒になって全部食べていたらこうなった、という。 報道時代は、飼いワニ脱走や不発弾発見といった、事件というよりハプニングのレポートを 担当させられることが多かったのだと話していた。 緊迫した表情で街の住民の不安をこれでもかとレポートしたワニ騒動では、 見つかったワニは全長20センチほどで、住民や警察官の笑いを買い、 「不発弾処理のため、周囲の道路では厳重に交通規制がしかれています!」とレポートすれば、 その後ろを車が通過する、というようなオチまでつく、まさに名物記者だったようだ。 私は妹ほか3人と飲んでいた。 妹が彼女に女優の田畑智子によく似てるね、と言うと、彼女は狂喜乱舞。 なんでも生まれてこの方、似ていると言われたのは、プロレスラーの長州力と、 石川国体マスコットの元気くんしかいないのだという。 「それって、女優?女の人?人間?ホント?ホントに?」とひとしきり騒いだ挙げ句、 「もう好きな物なんでも食べちゃって〜!!」と言って、本当にその場にいた6人分を支払い、 へべれけになって帰ってしまった。 礼は要らないが強いて言うなら次回バーベキューに招待してくれ、という。 お安いご用である。まかせとけ。 彼女が去った後に思ったのは、会社の判断は今となっては正解だったと言うことだ。 もし私が試験に受かって記者になったところで、私程度の人間は掃いて捨てるほどいるだろうが、 彼女ほどのキャラの人間は、世の中そうそう居るもんじゃない。あっぱれ。 おー、そう言えば、互いに細かった中学1年の頃、私と彼女は交換日記をする仲だったのだ。 なんともまぁ、不思議なご縁ではある。 どことは書かないけれど、あの店で彼女と偶然会うことが、その全てであるような気がする。 10月4日 代打主婦の憂鬱 (禁・食事中かも…) 主婦業は意外に嫌いでない。 ただ、合理性を追求するために完成された自分のルールを邪魔されるのが嫌で、 他人と一緒にはやらないから、通常は「飯もつくれぬダメ長女」なわけだ。 炊事で言えば、三角コーナーや排水溝の細かいゴミをネットで防がないことや、 冷蔵庫が整理されていないのが、私の神経をいらだてる。。 妹と母はよく似ており、たくさん作り、残りを冷蔵庫に入れ、それを忘れて腐らせる。 それを始末するのが、片づけ好きの祖母と私だ。 片づけ好きと言えば聞こえは良いが、祖母はむしろ「捨て好き」「廃棄職人」だ。 母の居ぬ間を狙って、夕べのおかずを翌朝捨てる、なんてことをやってのける。 別段、嫁いびり、というわけではなく、いわゆる「価値観の相違」ってやつですな。 これが戦時中の食糧難を乗り越えた人間の姿かと疑うほどの捨てっぷり。 当たり前だが、要る物を捨てることもあり、これまた良くない。 母も母だが、祖母も祖母。我が家には中庸という概念がない。 母が沖縄旅行にでかけ、父も出張、妹は仕事、祖母はデイケアで、誰もいない午後。 生協の配達日でもある今日、私は淡々と冷蔵庫を整理する。 とんでもない代物が出た。 土曜にやったバーベキューの残りのシロである。別に洒落ではない。 プラスチック製の密閉容器に入ったシロは、微妙な表面張力で器にへばりつき、 それはもう、蓋を開けるのがそら恐ろしいような雰囲気ムンムン。 ひょっとして臭いもムンムン?お色気ムンムン?とか言っている場合ではない。 ココで逃げても、状況は悪化の一途。 母や妹が掃除をするわけもなく、後日これ以上の状況に遭うのも、どうせ私に違いない。 それなら、今が勝負の時である。 いざ、蓋を開けようではないか、諸君! では、張り切って、どうぞ! …あえなく即死。 なんなんだ、あの臭いは。バタンキューである。吐くと思った。ってか、凹んだ。 小学校で硫化水素の臭いを「卵の腐ったような臭い」とか習ったけど、 実際、腐った卵とか知らないじゃん、見たこと無いじゃん、嗅いだこと無いじゃん。 けど、そんなもんじゃなくて、もう、なんていうか、もう、完全、ひとり涙目。 運良く、もとい、運悪く、桐野夏生の『OUT』を昨晩読み終わったばかりなだけに、 尚更わけが悪い。 おえー、絶対、遺体の腐敗臭って、あんなんだよー、ひどいよー、こわいよー。 妹には、バーベキューの時に買ったうどんが残っているので、姉ちゃん食ってしまってよ、 と言われていた。 しかし、焼きそばは好きだが、焼きうどんは嫌い。かといって、だしをとるのも面倒だ。 何より、賞味期限が10月1日とあるではないか。それを食えと?妹よ。 我が家の人間はみな、賞味期限はあくまでも「ご賞味できる」期限であるからして、 それを過ぎたからと言って、食えなくなったわけではないと言う。それってどうよ? ますます涙目。 さらに、ボールには冷や飯がてんこ盛り。 しかし、焼き飯は昨日食ったし、今晩はカレーの予定だから、丼物も気が引ける。 何より、さっきの一件で、食欲どころか、気持ち悪くなってきた。台所に近付く気もしない。 代打主婦 開ける冷蔵庫 地獄絵巻 (字あまり) あ、洗濯終わった。 10月3日 あたしはバカだったけど、学校が嫌いじゃなかった こんなニュースを見て思い出すのは、K君のこと。 修学旅行で訪れた北海道のメインイベントのひとつ、札幌市内フリータイムで、 密やかに華々しく?ソープデビューを飾ったK君は、その日の夕食時の「行動発表」で、 ひとり壇上に立ち誇らしげな笑みを浮かべて、こう言った。 「明日からボクのことを『ミカド』って呼んで下さい」 彼の行った店が「帝」という名前だという事情を知る人間だけが、一斉に爆笑した。 私もその一人だったのだが、面白かったのは、すぐ隣に「おかあさん」と皆に呼ばれる、 気のいい女性教師がいたことか。 「ねぇねぇ、どしてK君はミカドなの?ねぇねぇ?」と、まるで知りたがりの子どものように、 無邪気な顔してしつこく聞いてくる。 いやぁ、まぁ、ほら、色々あるのよ、彼にもさ、とわけのわからん返答でかわしたら、 「もー、いやぁねぇ、あんたたちったら」と不満げだったが、彼女も結構楽しそうだった。 今思うと、全然大したことではないのだが、皆で共有した秘密の楽しかったことといったら。 数日後に訪れた函館に「レストラン・帝」の看板を見つけたときは、狂喜乱舞して写真を撮った。 もちろん、卒業アルバムにK君との合成写真が載ったのは言うまでもない。 あー、ここ、同級生も読んでるかな。ま、もう時効だろうということで。 で、件の教諭と生徒である。 定時制高校だから、生徒の年齢が気になるところだ。10代か、それよりずっと年輩か。 それにしても「センセー、ソープ連れてってくれよー」はどうよ?黙って行け、黙って。 ったく、教師に引率されてソープ行って楽しいかっての。 その上、教師がアホだ。 「まぁ、聞かなかったことにしてやるから、テキトーにやってこいや」くらいにしときゃ良いものを、 何をご丁寧に店まで引率して、喫茶店で待ってんだ? 待ってるくらいなら、一緒に店入ってやってまえ。 どうせクビになるなら、その方がずっと楽しい想い出になるじゃん。 そしたら生徒は絶対この先生のこと、忘れないよ、きっと。なのに、この半端具合ったら。 監督責任、とか、完全に意味はき違えちゃってんだろうなぁ、このセンセーたち。 さらにその上、どうしてこんな話が「保護者からの訴え」で発覚するのさ??? 家に帰って、オレさーススキノでソープ行ってよー、とか話しちゃってんのかしら? それはそれで、明るい家庭の風景のような気がしないでもないけど。 それとも無理矢理童貞捨てさせられた子が、恨み晴らそうと親にチクった?ゲッ、まさかな。 いずれにせよ、まったく、どれもこれも私には理解不能な出来事であるわけで。 それがどのくらい理解不能かというと、みんな平等だとかなんとかつまんない事言って、 運動会のかけっこで順位がつかない最近の学校くらい理解不能、って感じで。 あたしはバカだったけど、学校が嫌いじゃなかった。 10月2日 生き苦しい日々 去年と同じネタもどうかと思うが、やはりキンモクセイが憎い。 (今年は去年より少しお早いようで) なんだってあれだけズケズケと人の鼻孔奥深くまで入り込んで来る? 夕方の犬の散歩が苦痛で苦痛で仕方ない。 仕方がないから、なるべく鼻で息をしないようにしないように歩く。 じゃぁ、その30分間、私は一体どこから息を吸っているんだろう? 私が、秋が苦手でキンモクセイが苦手で、毎年のように体調を崩していることを 覚えていてくれるのは、たった一人の人だけで、後はみんな、チクチク嫌味を言うばかり。 甘え?弱虫?ぐーたら病? 薬の後遺症で口が始終モゴモゴ動く婆さんが、私の心にあるのと同じ愚痴を吐く。 年寄りだからか、生来のわがままお姫様だからか、誰にも遠慮なく愚痴れることが、 結構羨ましくもあったりして。 愛想を尽かして説教することの多い家族の中で、私ひとりが、そーかそーかと愚痴を聞く。 母が旅行に出掛けた今日、妹と私で夕食の準備をすると、 あんたたちはなんて良い子だ、とホロホロホロと涙する。 いや、母さんも毎日同じ事やってるからさ、母さんにもそれくらいの感謝を。 というのは少し厳しいか。母さんも母さんで、我が道を行っているからな。 っていうか、夕食の準備より、毎日婆さんの話聞いてる方が、苦しいよ。 正直、家でのひとりカウンセラーに限界を感じる今日この頃。 このままでは私が壊れてしまいそう。 10月1日 野球の話 西武の西崎幸広投手が引退発表。 先日の近鉄優勝の時もそうだったのだが、思い出すのは阿波野秀幸投手のことだ。 整った顔立ちで人気を博した西崎とは違い、地味な雰囲気だった阿波野だが、 どういうわけか、私はこのピッチャーのファンだった。ちょうど中学生の頃の話。 熾烈な新人王争いが記憶に残る。 それから、野村克也がヤクルトにやってきたのは、90年のこと。 ヤクルトは3年経ったら優勝するよ、と、それまでの熱狂的巨人ファンから転向した。 そしたら3年経って、本当にヤクルトが優勝したんで驚いた。 あのころは、各チームのローテーションまで覚えているほど、熱中していた。 私は長嶋茂雄の活躍を知らない。 今日が監督としての最終戦だとかで、テレビでは特番のような中継。 しかし勝負を伝えることを放棄したスポーツ中継ほど間の抜けた番組はないわけで、 コマーシャルごとに流れる過去の映像がうざいったらありゃしない。 っていうか、ジャイアンツ、阪神に完封負けって、オイ。やる気あるんかい。 あくまでも主役は選手であるべきで。 悲喜こもごも、バラエティーはオフシーズン限定のお楽しみだったはずだ。 近鉄は梨田監督が率い、巨人の新監督が原辰徳、中日は山田久志って。 おぉ、みんな現役時代を知ってるよぉ。 梨田・山田両氏はともかく、原ってまだ若いよなぁ。篠塚とかやりにくくないのかなぁ。 まぁ、んなこた余計なお世話なのだが。 ジャイアンツの今年のコーチ陣を見ると、それはそれは懐かしい名前がわんさか。 松本、淡口、篠塚、原、水野…で、阿波野(番外)もいるし、こりゃOB戦か! しかし各球団からOBを募って試合をすると言ったって、 巨人ファン時代に最も恐ろしかった投手、津田恒美がいないのが、何より悲しい。 あの頃、プロ野球は熱かったよなあ。 今だって、個々の選手はとても頑張っているんだろうが、プロ野球はちっとも面白くない。 選手の給料はここ数年べらぼうに高くなったけど、誰にも落合みたいなオーラはない。 高校野球の方がずっとずっと面白く感じる。下手くそだけど。 どうしてだろう。 理由は、単に私が歳をとった、というだけではないよなぁ。 結局ドラマは作るもんではない、ってことなんだろう。 近鉄の、選手達も想像しなかったであろう、あの決勝本塁打を思うたび、 作られた、作られようとしたドラマの胡散臭さを思うのだ。 っていうか、せめて近鉄くらいは、夢を壊さないでくれー、と思うのは私のわがままか。 |