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 2001年10月のお嬢(下)


 10月31日 派遣生活再び

 明日から働くことになりました。ワクワクソワソワ。
 明朝日本一大きな電話会社の前に挙動不審なオンナがいたら、私です。
 傷つかない程度に励ましてやって下さい。



 10月30日 山再び

 性懲りもなくまた山に行ってしまった。何をしているのだ私は。絶対おかしい。
 昼には何気に三方岩岳(1736b)の頂上でおにぎりと味噌汁とコーヒーなどを。
 ほっほー。うまいじゃねーかこのやろー、ってなもんなんである。悔しいことに。
 何とかは高いところに登りたがる、というように、今度はもっともっと高いトコ!とか、
 思っちゃったりもするんである。愚かなことに。

 いやぁ、でも今回のは楽で良かった。
 登山と言うよりも、片道1時間程度の軽いトレッキング。息も上がらず、疲れも無く。
 とりあえず、頂上に立てば、それなりの満足感は得られるし。
 前回白山登山の際に、散々私に憎まれた相方も、今回はひと安心と言う感じで。
 やはり、体力のない私には、せいぜい片道2時間程度の道のりが限界である。
 っていうか、問題は体力よりも精神力、という噂があるが。

 で、来年の夏は、絶対に白山の頂上をお見せします、と相方が言う。
 うーん、まぁ、別に良いんだけどさぁ、っていうかまた4時間とかかかるわけでしょー。
 どーのこーの、どーのこーの……以下延々。
 白山ロープウェイとかないわけ?こう、なんていうの、室堂まで一直線!みたいな。
 「それならば!西穂高などいかがでしょう、姫様」
 「は?それって、白山よりも高いんじゃないのさ」
 「確かにそうではございますが、西穂高にはロープウェイがございます」
 「ほぉ」
 「あとは2時間ばかりお歩きになれば、そこは別世界。大パノラマが広がり云々…」
 「なんと!では来夏は西穂高にゆくぞ、爺、準備せい」
 「ははぁーっ」

 で、早速調査。(←準備せい、とか言ったくせに自分でせっせと調べている)
 2時間?どこが?どこからどこまでが?
 爺、わらわは何処へ行くのじゃ。どこに連れていってもらえるのじゃ。
 それはてっぺんか?それとも、白山と同じく、途中までなのか?わからぬぞ。
 あぁ、やはりこんなぐうたら人間は立山あたりをまず目指すのがいいのか。
 努力無くして頂点無しとは、まったく皮肉なスポーツやのぉ、登山て。また凹みそうだ。

 けどまぁ、なんとなく癒し系なスポーツだというのが、わかってきたような気がする。
 2時間くらいで登れる山ならまた行っても良いかなと、そう思うようになってきた。
 私みたいな人間には、結構効きそうだ、ということだ。



 10月27日 嫁行く?

 新聞で上映告知をしていた『グリーン・フィンガーズ』を見た。
 「HAPPYで愛すべきイギリスのコメディ」で、
 「女王陛下のフラワーショーに出場した囚人のガーデニングストーリー」というんで、
 ま、タダ券もあるし、暇つぶしくらいにはなるやろ、と思っていたら、意外に良かった。
 人情あり友情あり、思想あり笑いあり、そして恋愛ありの盛りだくさん。
 お金はあまりかけていない感じだが、とても品の良い、見ていて心地よい作品だった。
 まぁ、私は本や映画の感想を述べるのは下手くそだから、この辺にしておく。
 舞台となった開放処遇型の刑務所については、またいずれ記すことがあるだろう。

 夜、お食事会。
 「狂牛病がさー」「え?巨乳病?」「ワタシ貧乳病」「どれどれ」モミモミ。
 10年前には偏差値70とかぶちかましていたオンナ達が、今となってはこの有様。
 嫁なんか行けねーっての。
 「医者か歯医者おらんかなー」「医者になった奴に合コン頼もぜ」「いぇーい」。
 なんだこれは。楽しいぞ。あほすぎる。

 しかしなぁ、私に限って言えば、万が一どこかの医者と恋に落ちて結婚したとしても、
 めちゃくちゃ貧乏してそうだ。
 今の医療報酬制度では、真面目に患者のことを考えれば考えるほど、儲からない。
 いや、儲からないどころか、貧乏まっしぐらである。
 まぁ、きっと私の選ぶ相手は、身を粉にしてでも地域医療に尽くすとかいう、
 もういい加減にしてくれってくらい、むやみやたらに人間の出来た人であろうから、
 (注:こんな事を言っているから嫁に行けない、とか言わないように)
 先生は素晴らしい方でした、でも借金が10億ありました、みたいなことになりそうだ。
 あるルポでたまたま読んだのだが、先日のスクーリングで授業してくれた某先生の病院は、
 12億円の借金があるんだと書かれていて、驚いた。

 逆に、どことは言わないけれど、うちの近所の病院などは、風邪で行ったにも関わらず、
 尿検査も血液検査もレントゲンもせずに、いきなりCT撮って8000円也。
 まったく、どこの世界に、CT室の前に行列の出来る病院があるというのだ。
 この話を医者になった先輩に話すと、まぁ滅多に撮ってもらえるモノではないのだから、
 良かったと思いなよ、とわけのわからないことを言われた。
 高給取りになると、世間一般の金銭感覚からも、ずっと遠くに行ってしまうのだ。
 だから、私の憤りがわからない。
 そんな人には、たったひとりの患者の気持ちだって、わかりっこないだろう。
 男前の外科医で、そのうち月収100万とかもっともっと稼ぐようになるだろうから、
 そういう人と結婚すれば、それなりに裕福な生活は営めるかも知れんが、
 やはり私にとっての幸せではなさそうだ。何より、とにかく、腹が立つ。
 とまぁ、考えれば考えるほど、私は金に縁の無いオンナである。

 妹が古本屋で30円で買ってきた本を借りた。
 『結婚しないかも知れない症候群』。
 いや、別に、ほれ、せっぱ詰まってるわけではないのだが、ま、参考に。
 ほほほー。



 10月26日 爆弾騒ぎ

 以前の職場は、とある新聞社。
 憲法記念日を前に、それなりの警戒態勢がとられていた折、騒動は起きた。
 職場のあるビルのエレベーターの中に不審な赤色灯が置かれていた。
 落とした、というのではなく、明らかに「置かれた」赤色灯。
 どっからどう見ても怪しい。こなつさん、業務命令で交番へ。

 「おまわりさーん。不審なモノが置いてあるんですー」
 「どれどれ、じゃぁ、っと。ふくろふくろ。あ、大和のそれでいいや」
 (え゛っ?デパートの紙袋ってあんたちょっと、爆弾処理班は?機動隊は?)
 
 現場到着。不審物を前に考え込む巡査2名と支局長と同僚と私。
 お財布落とした時以来の事情聴取。かくかくしかじか。

 「で、どうします、これ」
 「ま、大丈夫やろ。署に持って帰って調べますわ」
 「っていうか、動かしたらドカン、とか、そーいうことは…」
 「いや、ま、大丈夫でしょう、な?恐らく、なぁ?」(巡査2人、責任転嫁合戦)
 「っていうか、根拠ないし。不審物には手を触れず、じゃ…」
 「まぁ、そうなんですけど、ねぇ、たぶん、なぁ?」

 とかいって、誰も赤色灯には触れぬまま、時間は刻々と過ぎ、
 「ま、署に持って帰りますわ」
 巡査、英断。
 (うそー、ちょっとマジ、逃げて良いですか、わたし!!!ぎゃー!!!)
 ひょい。
 「……」
 「……」
 「爆発……しませんでしたね。あは、あは」
 「ははは…っていうか……あは……」

 数時間後、県警公安課長?登場。
 分解の結果、結局ブツは壊れたオルゴールだったそう。
 いわゆるひとつの悪質ないたずら、というやつで、一件落着。
 巷の炭疸菌騒動で、不審な郵便物に「お嬢さん」(←バイト女)は手を触れぬよう、
 というお達しが流れたと聞いて思い出した、ちょっとした騒動の話。
 しかし、今もたぶん、郵便物を取りに行くのは、お嬢さんの仕事だろうなぁ…。
 手袋でもしてるんだろか。
 私にとっては何より、5月3日に職場で留守番しているのが、一番怖かったけど。



 10月25日 反応

 昨日の日記を読んだ某「あいつ」さんからTEL。

 「ボクはキャリアじゃないよ」
 「どして?」
 「だってこの前、検査したんだもん」
 「ほぉー」
 「検査後にしたのはキミだけだから、いま陽性ならキミがキャリアだよ」
 「……」

 自分がかかるよりも、人にうつすほうが、もっと辛いよなぁ、と思う。



 10月24日 エイズ検査に行こう

 5年前は陰性であった。
 今は知らない。
 ええっ?
 そんな乱れた、あんなことや、こんなことや、わー、そんなことまでこなつさん!!!
 とか言わないように。

 生涯たった1人の男としか寝なくても、その男がキャリアなら感染の可能性はある。
 あたしの彼は浮気なんてしないもん、とか、寝ぼけたことを言っている場合でもなく。
 1回のセックスでの感染率は0.01〜0.1%といっても、うつるときゃ、うつる。
 それはドラマの深田恭子ちゃんが教えてくれたわけで。
 逆に、そのリスクの低さに勝負を賭けて、子どもを持った患者さんもいるが、
 ま、そんなこんなで、ピル解禁の際には、とりあえず反対していた私である。
 妊娠防いでエイズ防がず、ではちょっとなー、だろ、やっぱ。
 ゴムは嫌いだが、つけない男はもっと嫌いである。
 なーんて、立派めいたことを言えるようになったのはオトナになってから。
 とはいえ、今も生の性器に触れる機会はあるわけで、感染のリスクはゼロではない。
 もし今の私がキャリアであるとするなら、感染源はあいつか、あいつか……である。
 かといって、それが誰かは知りたくもないし、調べたくもないし、知ってもしょうがない。
 ま、とにかく、あたしと寝た人も寝ない人も、これから寝たい人も、寝たくない人も、
 みんなみんな、エイズ検査に行こう。
 最近は薬も随分変わって死亡率も下がってるから、早めの治療が何より肝心。
 検査は保健所で週1回程度やっているはず。少しの採血と問診がある。

 私のゼミ論のテーマは『エイズとの共生〜タイから日本が学ぶこと』だった。
 「差別意識」にまで迫れなかったのは、グータラでおばかな私の責任。
 せめてあとがきに検査のことを書きたくて、大学近くの保健所を訪れ、検査を受けた。
 待つこと2週間。
 検査結果を聞きに行く日は、陽性の告知を受ける悪夢で目覚めた。
 知り合いに患者や感染者、ボランティアの人が山ほど居るにも関わらず、
 夢の中の私は、その誰にもカミングアウトできないと悩み、途方に暮れていた。
 私が、自分の中にあるエイズに対する恐怖心を知ったのは、その瞬間である。
 それまでやってきた、患者支援のボランティアなんて、くそくらえ、である。
 偉そうに、差別はいけませんだの、共生の時代です、だの書いた論文は、
 まるでパッパラパーの代物だった、ということに気付いたのも、その瞬間である。
 フィールドワークを大事にせよ、という教授の言葉の意味を、ようやく知った。
 
 そら、狂牛病も大変である。
 テロだって、世界の一大事である。
 だけど、エイズがさっぱり語られなくなったこの現状も、結構まずいんじゃなかろうか。
 このニュースだって、朝日と読売のHPでは未掲載だ。
 だいたい、厚生省が把握している数なんて、氷山の一角もいいところ。
 薬害エイズ訴訟の和解で、日本のエイズは終わったと、誰もが安心している日常に、
 いずれまた、10年前のような「エイズパニック」が訪れる。
 いや、見えないうちにもうパニックは始まっているのかも知れず。
 貞淑な妻にだって、生真面目な夫にだって、愛している、とか恥ずかしげも無く言えちゃう
 お年頃の彼にだって、彼女にだって、純情な人にだって、そうでない人にだって、
 わけの分からないうちに感染が広がる時がいつか来る。
 それだけ患者が増えれば、高血圧や糖尿病のような慢性疾患として認知され、
 タイのように地域医療が充実するかも知れない。差別だって減るかも知れない。
 しかし、それではあまりにも学習能力がなさすぎではないか。

 この病気は私たち人間に真っ向から挑戦状を叩きつけてきた。
 欲望に勝つか負けるか、子孫を残すか残さないか、生きるか死ぬか。
 そして、他人ををどれだけ信じられるか、という最大の難問。
 走れメロスだ。沈黙だ。
 「あなたがもしキャリアになったとして、それをカミングアウトできる友人はいますか」
 そんな、公共広告機構のようなコピーが浮かぶ。
 今日これを全部読んだのを機に、少しでも考えてくれる人がいれば嬉しい。
 とまぁ、私は微熱が続いているしばらくの間、そんなことを考えていたのであった。



 10月23日 鬱ダ氏ノウ

 こなつさん泥酔。

 遠方から来訪のお客様、スミマセンでした。
 いくら病み上がりだと言って、いくら今日一日職探しに歩いたと言って、
 いくら昨晩から仕事どうしよか、とあれこれ悩んだからと言って、
 いくら最近貧乏で街で飲み慣れていないからといって、
 一次会撃沈はあんまりでした。スミマセン。
 犀川沿い某所にある流動物は、私の作品です。
 すっごくすみっこにありますけど、
 みなさん、踏まないで下さい。
 いぢめないで下さい。
 お願いします。



 10月22日 咳をしてもひとり

 貧乏になった。
 かつて週4回5回と朝まで飲み歩いていた、あの金はどこにあったのだろうかと思う。
 あの金を全部貯金していたら、今頃いくら貯まっていただろうかと思う。
 ま、それができる人間なら、今頃ちょっとは違う人生を送っていただろうなと思う。
 しかし、たぶんそれは、いまよりずっとつまらない人生だろうなとも思う。

 街に出掛ける交通費をケチったりしている。
 電車バスで出掛けると片道510円だがバスなら400円。
 明日は電車電車の乗り継ぎで390円で街まで出掛けよう。
 で、浮いた100円とかに満足して、1800円とか2300円の本を買ったりする。
 『ロマンティックな狂気は存在するか』とかいう本を買っちゃったりするわけだ。
 『病んだ家族、散乱した室内―援助者にとっての不全感と困惑について』も。
 今調べたら、前者は文庫版が出ていたけど、そういうことは気にしないことにする。

 ラブロ片町の地下には、おかしな書店がある。
 本よりはるかに雑貨が多いんじゃないかという雑多な品揃えだが、
 全て図書券で買えます、というのがコンセプト。
 その中心部に、オタク系書籍コーナーがある。
 文学、精神、宗教、思想、エロ、グロ、その他もろもろ、他の書店では無かったり、
 探すのに往生するようなマニアックな奴らが並ぶ。
 そこであたしは真面目な顔をして、『アナルSEXマニュアル』とか座り読みして、
 ほっほー、とか思っていたりするわけである。
 たぶん、そのコーナーに居ること自体、すでに少し変っぽいから、
 あとはそこで何を立ち読みしようと、エログロ本を物色しようと怖いモンなしで、
 くそ真面目な顔をして、1時間も2時間もボケーと過ごすことがそれなりの楽しみ。
 変態かしら。
 変態だもの。
 そんな私の貧乏ライフ。



 10月21日 字を大きくしてみました

 こんな映画の上映会に行った。ってかこれ、市内某寺の報恩講。ああ真宗王国。
 ゲストはこの映画の監督と、韓国のNGOの女性、あとこんなNGOやってるおばさん。
 韓国から来たその人は、とても優秀な人で日本語もペラペラ、竹を割るような話っぷりは、
 皆をホ〜ッと言わせるパワー十分な人だったけど、結局最後は
 「日本人は加害側、私たちは被害側。相手の立場に立って考えましょう」ときた。
 うーん。あからさまにそう断定されると、こちらとしてはおえっ、となってしまう。
 そんなん初めから決めつけられたら、少なくとも私は一緒に活動するのが辛い、かな。

 日出生台のおばさんは、なかなかステキな人であった。
 海兵隊員というのは、米国の貧困層出身者がほとんどで、その多くは十分な教育も受けず、
 ただその体力を買われ、生活のために従軍している18〜21歳の青年なんだそうな。
 平時はかわいらしい兄ちゃん達なのだが、ひとたび酒が入るとこれがタチが悪いらしい。
 幼少期からの貧困と暴力のトラウマと、特攻部隊に所属しているストレスが彼らをそうするのだ、
 とおばさんは言う。
 で、当初は基地撤退を求めるビラを配っていたのを、今は兵士にお守りを配っているんだそうだ。
 あなた達を嫌っているのではない。だけれども、あなた達軍隊には居て欲しくないのだ。
 そういう意思表示に、おばさんたちはそういう手法を選んだ。

 自分の思っていること、考えることを伝えたり、実現したりしようとするとき、
 一番簡単で手っ取り早い方法は、敵と味方を創ることである。
 ところが、少なくとも私の生きたこの20数年間、敵という敵を誰かが創り、誰かが倒し、
 今度こそ敵は居なくなったと思いきや、やっぱりどこからか敵は現れて。
 気が付けば、敵は自分たちが設定したよりも、遙かに強力で計り知れない行動力をもって、
 反撃に現れる。それは決して突然変異ではなく、周到に準備された破壊力だ。
 たぶん、あちらは敵でこちらは味方、という発想が稚拙で、何の結果ももたらさないことは、
 みんなわかっているのだ。
 しかしそのやり方で築いてきたこの社会は、その手法を容易には捨てられないほど肥大して、
 もはや引き返せないところまで来てしまったのではないかと思う。
 泥酔している自分が嫌で、だからまた執拗に酒をあおる、そんな感じで。
 連鎖を切るのは容易ではない。武力を捨てられないこの社会は、実に臆病だ。
 おばさんが言っていた。
私たちは、基地に長く土地を使われている被害者だと言うけれど
それは同時に、軍事に長く手を貸してきた加害者でもあるということだ
 気付いた者から、変わるしかない。

 追伸:コレはおもしろい。



 10月15〜20日 妊娠するよーなことはしばらくしていないというのに

 微熱がずっと下がらない。
 …風邪か。



 10月12日追記 書けと?

 私の日記が休みの日にはUNPOCOの営業日誌を読もう。