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 2001年9月のお嬢(下)



 9月27日 ステキな夜を

 >日記の冒頭には、「禁・食事中」などの注意書きを記しておくこと。

 白山登山記を読んだ方から、そんなメールが届いた。すいませんでした。
 私のお下品度も、暗黙の了解ができるほどではなかったのだ、と少し安心しましたが。
 え?ちょっと違う?

 雷の鳴る夜、犬が私の両足の間にうずくまり、細かく震えながら時を待つ。
 ずっとずっと泣いて過ごしていたワタクシは、そんな彼女に微笑みを与え、
 昨日のことを忘れるに足りる酒を飲み、やがて訪れる眠りを待つ。
 そういう、不毛な、夜もある。
 ぐん・ない。



 9月26日

 「誰も自分から完全に逃れることはできないのだ」
 (レイモンド・チャンドラー 『プレイバック』より)

 んーなこと言ったって、婆さんにはわからんだろうなぁ。
 いい加減「死ぬぅ、死ぬぅ」と暴れるの、やめてください。こちらが死にたくなります。
 死にそうだから病院に行かななりません、と言う人が、「この服でいいかしら?」とかも、
 言わないで下さい。こちらが着替えて寝込みたくなります。
 先週、高血圧で倒れたことをすっかり忘れて「今日のように酷いのは生まれて初めて」と
 言わないで下さい。同じセリフを先週も、その前も聞きました。
 騒動をおさめて、ふぅ、と溜息をつくと、父親が「ワーカーなんて無理だ、お前には」と。
 あー、そうですか、そうですか。
 っていうか、身内の事が一番厄介。うちにワーカーさん、来て欲しい。まじで。助けて。

 『コレリ大尉のマンドリン』をレイトショーで観る。
 こんな夜に誘ってくれた友に感謝。
 これは良い。とても良い。
 戦時恋愛モノ、というのは、あまり観たことが無かったが、まったく、これは良い。
 大嫌いだったニコラス・ケイジも、これまた良い。めちゃくちゃ良い。
 たぶんもう1回くらい、観ちゃうね、きっと。
 なんだかボキャ貧ですみませんが、あーでもない、こーでもない、
 というのは苦手なので、気になる人は観て下さい。

 その代わり、といってはなんだが、NHKの「その時歴史が動いた」を見逃した。
 日独伊三国軍事同盟締結の裏話、ってんで、楽しみにしていたのだが、
 すっかり忘れて映画に出掛けてしまった。しくじったなぁ。
 1月、フランクフルト経由のルフトハンザ航空機でイタリアに行った。
 1週間滞在したイタリアと、往復の乗り換えで6時間ほど滞在したドイツで会った人々は、
 それはそれは雰囲気も立ち居振る舞いも、やることなすこと似ても似つかず、
 何ともけったいな、それでいて何とも愛嬌のある人たちだった。
 私は、あの同盟は結ばれるべくして結ばれたのだろう、と思った。
 国民性は似ても似つかない三つの国だが、互いにその大らかさ(単に適当なだけ)、
 その冷静さ(要するに神経質なだけ)、そしてその柔軟さ(優柔不断とも言う)を求め、
 尊敬し、そして、時代が互いを近親憎悪に導いたのではないかと。

 ファシズムに帰れ、というつもりは、もちろんない。
 だけど今、あの同盟を紐解くというのも、この国のひとつの選択肢ではないのかな。
 なぜかと問われると、それはただ、ハンバーガーよりカルパッチョ、使い捨てよりリサイクル、
 という感覚が、日本人である私の中に元来宿っている気がする、というだけなのだけど。



 9月25日

 目覚めると、私の髪は細かく細かくブロッキングされて、輪ゴムできつく結われていた。
 一体だれがこんな事を!
 誰の仕業か分からぬままに次の朝を迎えると、今度は同じようにブロッキングされた髪が、
 銀行のATMから最後に出てくる感熱紙のお取り引き明細みたいな紙で、
 クルクル巻かれて、細いツノが何本も立っていた。
 こんな酷いことをするのは誰だ!
 っていうか、そこまでされてる間に、起きろよ自分!
 と、むしゃくしゃしながらPCに向かっていると、一通のメールを受信。
 親友からのそのメールを開くと、画面がチカチカし始めて、もしやクラッシュ!?うそん。
 「えーと、騒ぎが大きくなったから言い出しにくかったんだけど、やったのははワ・タ・シ。
 なんかすっごい怒ってるみたいけど、それほどでもないじゃん、この程度」とかなんとか、
 悪びれる風もなく、チカチカする画面の中で、文字が上へ下へと動いてあるく。

 もう、ほとんど、殺意に近い怒りを感じたところで目が覚めた、という、今朝の夢。
 疲れているんだね、私。
 ただひとつ、無欲ゆえに次々と成功を遂げる彼女に嫉妬しているというのは、
 恐らく私の中にある、最も醜い、真実だ。

 太宰の『人間失格』を読み始める。
 序盤しか読んでいないけど、これといって、大した本ではないなぁ。
 っていうか、よくある、当たり前の話じゃないのさ、というのが率直な感想。
 ただ、誰もが感じるごく普通のことを、あれだけウダウダ悩み抜けたという点に於いて、
 彼は非凡であった、ということか。
 ま、とりあえず、続きを読みましょう。
 その次には、妹が買ってきた飯島愛の『プラトニック・セックス』を読むことにしている。
 実は結構こっちの方がおもろいんじゃねーかー?



 9月24日 あれまぁ

 何事が起きたかと思うほど、ココのお客様が急に増えたんで驚いてたら、
 コチラ(初めまして>愛・蔵太サマ)で紹介して頂いたみたいです。あー驚いた。
 小心者なので、かなり怯えています。
 つまらないことばかり書いてるんで、大目に見て下さいませ>大勢の読者様

 さてと。
 便秘解消です。ものすごい勢いで。
 もともと便秘症ではないのですが、昨日丸1日腸が動いていませんし、
 そのくせ、食べる量は登山前・中・後で、普段の倍近くだったかと思われますから、
 それはそれは、大変な量が蓄積されていたことでしょう。
 その上、本日はイタメシ屋に昼夜2度も行ってしまいました。メニューは以下の通り。

 <昼>イル・ガッビアーノ(野々市町)
  前菜:豚肉のテリーヌ?オリーブオイルがけ
  パスタ:ポルチーニ茸のトマトソース
  メイン:仔羊の香草焼き
  ドルチェ&コーヒー

 ウィーンの森バーデン市立劇場によるオペラ「セヴィリァの理髪師」鑑賞

 <夜>ラ・ヴィータ(金沢市)
  前菜:岩ダコのトマトソース和え
  パスタ:鴨ソースの手打ちパスタ
  メイン:手長エビの網焼き
  ドルチェ&コーヒー

 っていうか、私、イタリア人?

 さてさて。
 今日の腹の調子で、1月にやった麻痺性イレウスを思い出しました。
 「イレウス」とは腸閉塞のことで、手術後などに傷口が癒着してなるタイプと、
 私のように、腸の動きがピタリと止まってしまうタイプがあるそうで。
 あの頃は死んでいたので、日記を書いていませんが、そもそもは胃腸に付く風邪でした。
 食べては吐いてしまうので、1週間ほど水分だけで生きていたようなものでして、
 当然胃腸に固形物はまったく届かない状態でした。
 で、まぁ、食ってないから、出ないのも当然か、くらいに思っていたのですが、そのうち、
 胃も腸も腰も痛み出し、ちぎれたイモムシの様にもだえ苦しみまして、受診、検査、点滴。
 動くことを忘れた腸を動かす薬(世の中色んな薬があるもので)を飲んで、数日後、
 それはそれは久しぶりに出る屁の臭いことってあんた、嗅げたもんじゃないわよ。
 ところが、久々に出ると、たとえそれがどんなに臭かろうと本当に嬉しいもので、
 あぁ〜手術後のおならもきっとこれなのねぇ〜、と、もわぁ〜んとしておりました。

 そしてやがて、真打ち登場。
 これがまた、なんというか、泥水みたいなのが果てしなく出ましたなぁ(←感慨深げ)。
 そうかそうか、君らも辛かっただろうねぇ、と同情までしたくなるような勢いで、
 それまでの10日間の苦しみがすべて癒されたように、涙もジワリとにじんできてねぇ。
 とまぁ、こんな事を言っているとキリがないし、パソコンが臭くなりそうなのでやめる。

 とにかく、食欲の秋なんで、胃腸には気を付けるぞ、と心する今日この頃。
 さっき体重を計ったら、体重はともかく、体脂肪率が下がっていたので、ぴっくり。
 恐るべし、白山登山め。



 9月23日 白山登山記

 山登りなんて嫌いだ。
 なのに登り始めてしまったのだから、登らなくてはしょうがない。
 リーダーが、2本ある登山道のうちの険しい方を選んだため、
 引き返すくらいなら登り切った方がましだ、という消極的理由で登り進めるしかなかった。
 室堂までの5時間ちょっとの間に、3ヶ月分くらいの気分の変動がやってきて、
 途中の鬱の時期が、何より一番酷かった。
 私は山に来た自分を恨み、誘った彼を恨み、憎み、蔑んで、罵った。
 それを口に出せないのが、本当に辛かった。
 すれ違う人々が皆幸せそうな顔をしていて、それも恨めしくて、腹が立った。
 すれ違うたびに「こんにちはー」「こんにちはー」って笑わないでよ。
 そしていつものおきまりコースだが、そんな自分に一番苛立ち、悲しくなった。

 「5分」と言えば20分、「あとちょっと」は2時間くらい、と登山者の時間感覚は、
 私にはさっぱり理解できない世界にある。それに初めから苛ついていた挙げ句、
 室堂到着が遅れそうなので今日は頂上に上がれない、と言われたとき、本当に腹が立って、
 どうしてそれを先に言わないだの、頂上に行かなければこの苦労は何なんだだの、
 散々悪態をついた私は、まったくもって登山者失格、最悪である。
 この場を借りて、改めてごめんなさい、とお詫び申し上げたい>リーダー様
 だけど、歩くことが苦痛以外の何ものでもない私にとって、頂上を見ない登山なんて、
 何のご褒美もない、奴隷労働そのものでしかなかった。
 本当に、2人きりで登って良かった。他の人が居たら、私は絶対に潰れていた。

 室堂で遅い昼食。
 お湯を入れて15分で出来上がる白飯の出来上がりを待つ間、しりとりをする。
 「エロしりとり」でもない、ただのしりとりだから、永遠に終わらない。
 不思議と気持ちが落ち着いて、あとは、旨いのか不味いのかよくわからない、
 すき焼き丼を食べて、さほどゆっくりする間もなく、下山を始めた。
 …と、相方がこけた。
 丸い、両手の平に収まるくらいの石に足を取られ転倒、というか、飛んだ。
 飛んで転がって、頭から落ちて大きな岩にぶつかって止まった。
 丁度人通りが多く、20人くらいが、ワーとか、キャーとか、大騒ぎになった。
 けど、私は意外と驚かなくて、それは別に彼が平地でもよく転んでいるから、とか
 そういう事実も実際あるけれど、なんというか、私の習性で悲鳴とかが出ないのだ。
 どこかで、この人がここで死んだら、あたしはどうやって下山するのだろう、と思っていたり。
 幸い、眼鏡が曲がった以外は、ケガは軽く、頭もバカになっていないようで、下山続行。
 膝が痛み出して辛い。
 しかし、彼の鼻の下に貼った絆創膏がちょびヒゲに見えて、何とか気が紛れた。

 下山途中に日没を迎え、辺りは真っ暗闇となった。
 懐中電灯を忘れたので、頼りは月明かり。
 やがて星がひとつ、ふたつと見えてきた。
 そして、最後に吊り橋を渡って山から抜けたとき、見上げた空には満天の星。
 私は生まれて初めて、天の川を見た。

 こんな褒美が付くのなら、また登ってみてもいいかしら、とでも言えばいいのだろうが、
 そんなら、晴れた日の真夜中に登山口まで車で行けばいいよなぁ、とも思ったり。
 じゃぁ、今度は早起きして頂上目指そうよ、と言われると、それもそうかと思うけど、
 あんな酷い思いはこりごりだ、という気もするし。
 そういうわけで、今回のリーダー氏主催の登山が、3週間後にあるのだが、
 出欠の返事は未だ保留中である。
 はてさて。どうしたものか。

 余談であるが、登山中は尿意便意ともに催さなくなるんだそうだ。
 なるほど、確かに、そういやそうだ。
 下山後なにがどうって、互いの屁が臭く、車中で大変な目に遭った。
 ほんの数分前まで、天の川だよー、きれいだよー、と言っていた2人が、である。
 このギャップ。
 なんなんだ、いったい。

 登山とは、まさに、カオスである、ということで。
 再挑戦するか否かの答えもまたカオスの中にある。



 9月22日 うちの母さん

 オルってだれ?
 いや、オルじゃなくて、マルって言ってよ母さん。
 そんな毎日です。

 母は「ディズニーランド」と言えません。
 いつだって「デイズニーランド」です。
 「フィクション」は「フイクション」。
 そうか。
 母さんは小さい「イ」が苦手なんだ、と子どもの頃からずっと思ってました。

 でも、どういうわけか「デイケア」は言えません。
 いつだって「ディケア」です。
 となると、言えないのではなくて、単に勘違いして覚えているだけなのでしょうか。
 なんなんでしょう、一体。

 ところで、ここ最近の母の目標は、先週訪れたイタリア料理屋の名前、
 「イル・ガッビアーノ」をスラスラ言うことです。
 苦手な小さい「イ」は入っていませんが、とても険しい道のりになりそうです。
 言えるようになったらココで報告いたします。

 ちなみに母は、かつて英会話の先生に「Hi!」のセリフを割り当てられ、
 大きな声で「ひー!」と言った強者です。
 あんまり外国語に堪能になるのも面白くないので、しばらく黙ってみていようと思います。



 9月21日 北風と太陽

 アメリカ人の中には、原爆が落ちたら机の下に隠れればいいと思っている人が
 居るのだそうだ。無論、世界で唯一の被爆国である我が国でも、
 最近のアンケートでは「終戦の為には原爆投下は仕方なかった」と答える人が
 少なからず居るご時世だから、落とした側の無知など仕方のないことか。

 アメリカも思っていた以上に執念深いなぁと思った。
 なにもテロへの報復に向けての志気を高める議会演説で、わざわざ真珠湾攻撃を
 持ち出さなくったってよかろうに。今でも根に持ってるんだな、やっぱり。
 ああ、あの国とは、一生同盟関係なんて結べっこない。結びたくない。
 日本はアメリカの51番目の州だ、なんて冗談をよく聞くけれど、そんないいもんじゃない。
 もっと憎むべき、もっと蔑むべき、もっと辱めるべき、そんな国だと思われてる。きっと。
 だから原爆ドームの世界遺産登録に、駄々こねて最後の最後までまで反対したんだ。
 ま、そんなこと、今に始まったことではないけれど。

 ビンラディンという人が、数年前にアメリカのテレビのインタビューに答えていたのを聞いた。

 どうして軍人と民間人を区別せずに殺害するのですか?
 −−それは、あなたがたの国自身が、誰もが平等だ、と言っているからですよ。
 民間人に対する無差別殺戮に罪悪感はないのですか?
 −−あなたがただって、日本に原子爆弾を落としたではないですか。

 お前がやるからオレもやる論法はさておき、この人についてくる兵士が何万人もいるのが、
 わからないでもない、と正直少し思った。
 沖縄で海兵隊員が事件を起こした時に、裁判に通訳つけろだの、本人が否認しているだの、
 散々身柄の引き渡しを渋ったアメリカが、証拠もないのに無条件で身柄を渡せと怒っている。
 同じ事を日本がアメリカ人にやったら、大いなる人権問題だと大暴れするだろうに。
 人間、自分のやっていることがわからなくなったら、おしまいである。

 世界がみんなイケイケである。
 中でも英国のブレア首相は紳士な顔して、かなりノリノリである。
 「ロンドンの大空襲のとき、一番助けてくれたのがアメリカだから、今度はお返しを」。
 だったら、東京大空襲をくらった我が国は、いったいどうしたら?
 ブッシュは、アメリカかテロか、どっちを選ぶかさっさと決めろ、と世界に迫る。
 なんなんだ、その傲慢さは。なんなんだ、その図々しい選択肢は。
 対義語として、まったく成立していない。

 テロリズム【てろりずむ】(名)暗殺・暴行・粛正などで、政治上の反対者をたおすこと

 これはあなた達がこれからやろうとしていることではないですか。
 我が国にはもっとまともな選択肢はないのか。もっとまともなアイデアはないのか。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
 広島の原爆慰霊碑に刻まれている言葉である。
 これを見て、「過ちを犯したのは日本じゃなくてアメリカじゃねーかよ」と言った政治家がいる。
 別に誰とは言わないけれど、こんな人たちがこの国を仕切っている間は、
 この国はまともな道を歩まないし、歩めない。
 私たちに何が出来るのか。

 ジョン・レノンの「Imagine」がアメリカで放送自粛されているという。
 今こそあのメロディが世界中に静かに流れればいいのに、と思う。
 そして、米国中で売れまくっているというノストラダムスの予言本を読む暇があったら、
 家で静かに『北風と太陽』を読めばいい。



 9月20日 新婚さんいらっしゃい!

 一家揃って「新婚さんいらっしゃい!」の熱心な視聴者である。
 母はさほどでもないが、父・祖母・妹・私の4人は、日曜の午後、茶の間に揃う。
 0時15分からNHKの「のど自慢」を見て、2人居るゲストのうち、ひとりの歌が終わるのが、
 0時55分。そこでチャンネルを変えると、三枝とまみちゃんが「いらっしゃ〜い!」である。
 この絶妙なタイミング。この際、のど自慢のチャンピオンなど、誰でもいい。

 今日は、その公開録画が金沢で行われた。
 昨日血圧が上がって倒れた祖母は無念の欠席となり、観覧は私と妹とその友人の3人。
 プー太郎ゆえ席取りを命ぜられた私は、4時15分に会場前へ。ちなみに開場は4時45分。
 なめて掛かったわけではないが、しかし、既に500人近くの人ヒトひと…。
 っていうか、おばさん、おばさん、おばさん…。
 なんなんだ、この客層は。ほとんど50〜60歳代の女性ばかりじゃないか。
 見渡す限り若い子(注:私と同年代、の意)なんておりゃせん。浮きまくってます、ワシ。
 しかも、一人で並んでいるもんだから、なんかすげーすげー孤独で。
 一人でこんなもん見に来た独身女って、ちょっと痛いじゃないかー、我ながら。
 ま、そんなこんなでも、きちんと3人分の席を確保し、開演。

 2週間分の収録なので、4組の新婚さんが登場したのだが、
 以前仕事で会ったことのある知人夫妻がとにかく群を抜いて可笑しかった。
 何と言っても、体重が2人合わせて200sってんで、居るだけで可笑しいんである。(失礼)
 三枝師匠だって、2回もイスから転げ落ちたくらいである。
 「転がる三枝」鑑賞を今日の主目的としていた私たちは、それだけで大満足なんである。
 内容は10月14日の放送を見ていただければいいのだが、
 収録は放送と違って、1組に4〜50分の時間をかけてのインタビューだったので、
 あの面白さは収録に行かなければ、絶対わからないと思う。

 何よりやはり、桂三枝師匠である。
 素人夫婦の魅力をあそこまで引き出す話術は、ただただ素晴らしいの一言に尽きる。
 だてに30年も「いらっしゃ〜い」とは言ってないんである。
 まみちゃんも、ずーっと、デブデブ言っててごめんね。すごく可愛かった。細かった。
 もう、とにかく、超おもしろいんである。オススメなんである。
 そう言うわけで、番組を見たことない人(←妹の友人はそうだった)はまず、日曜の昼、
 そしてそれではまっちゃった人は、機会があれば是非公開収録に出掛けて欲しい。
 大阪の人はいいなぁ、毎週公開録画やっていて。
 行かれなかった婆さんがとても無念そうだったのが、可哀想だった。
 こうなったら、あとは、妹あたりを出演させるしかなかろうな。



 9月19日 皆さん無事ですか?

 なんだかとんでもないウイルスが来ちゃったようだ。テロですか?
 今のところ、私のパソコンもサイトも無事なようだが、何と言っても、感染したサイトの閲覧や、
 メールのプレビューだけでこちらも感染するというのだから、気味が悪い。
 常時接続とかいって、のほほんとネット遊びしていられる娑婆では無くなったと言うことか。
 ハードディスクが少しでも長くクルクル動くと、怖くなって接続を切ってしまう。

 我が家に帰省中の従兄弟が勤める某大手外資系企業も被害にあった。
 被害拡大防止措置でメールのやりとりが一切できず、電話で用事を済ませている。
 大変なことだ、と大騒ぎしているけれど、まぁ、全社的なシステムはともかく、
 身近なことは電話で解決が付いているようだ。
 (もっとも、全社的システムのダメージがどえらい被害なんだろうけど)
 しかし、さっきまで使えていたモノを奪われると、携帯を家に忘れてきたときのように、
 なんとも不安でソワソワ落ち着かなくなってしまう。
 携帯なんて持たなかった頃は、互いが絶対に分かる場所で待ち合わせて、
 遅刻だってしないように行動していたものだ。
 それが、着いたら電話するねー、だの、何分遅れるねー、だの、
 よく言えばファジーに臨機応変に、悪く言えば、どんどんいい加減にテキトーになった。
 どたキャンだって増えたような気がする。
 携帯が繋がらないと、普通の電話が留守電に変わるのとは全く質の違う苛立ちを覚える。
 折り返しの電話がないと、その人の人間性を疑ったりまでしてしまう。
 執拗に他人を追いつめ、そして自分も追いつめられる。
 なんだかバカみたいだ。

 ウイルス騒動から、ネットに繋がる時間が減った。
 何か困ることがあっただろうか?

 それがちっとも無いということが、とりあえずわかってしまった。



 9月18日 危機管理

 志賀原発まで50q、原発銀座と呼ばれる福井県の敦賀までは110qというところか。
 我が家にはヨウ素剤はおろか、いわゆる避難グッズを詰めたリュックすらない。
 はてさて、NYのように飛行機が落ちたらどうなるんだろう、と考える。
 逃げるったって、親戚の少ない我が家には、行き先がない。
 数少ない親戚だって、都心の中央線沿線の雑居ビル住まいで、これはこれで危なそう。
 母親に、あんたどうやって逃げるつもりさ、と聞くと、えー?うーん?どーしようかしらねー、
 と、赤ちゃんはどこから産まれてくるのと子どもに聞かれた時のような対応で、
 てんで相手にされず、挙げ句、わっかんないわー、あっはっは、と立ち去られてしまった。
 えー?なにー?私そんな変なこと言ったかしらー?ちょっと妄想入ってる?

 飲みに出掛けてこの話をすると、あー志賀原発なら大丈夫や、と軽く励まされた。
 なんでも、風向きの都合で、放射能は金沢にはあまり飛んでこないのだと。ホントかよー。
 海風なのか何なのか、とにかく、富山の人の方が危ないんだそうだ。ふーん。
 日本の原発は、上に飛行機が落っこちてきても大丈夫なくらい頑丈だ、とも聞いた。
 しかしホントに我らは逃げなくて良いのか?
 訓練とか、まるでやったことがないんですけどー。
 今から既にあたふたしてるんですけどー。

 父はライフラインを管理する職に就いている。最後まで逃げられない役職だ。
 っていうか、そこで逃げるくらいの人間ならば、今すぐ辞めた方がいい。たぶん父は残る。
 当然、母は父と祖母と一緒に残るだろう。
 2人とも60歳前後の歳だから、直撃でなければ被ばくの影響も少ないだろう。
 私たち姉妹に、いいから、あなたたちは逃げなさい、とか言って。おお、美しき親子愛。
 で、年寄り3人残して逃げれるかよ、まったく、とかなんとか言って、結局私も残る、かな。
 どうだろう。こればっかりはその時になってみないと分からない。
 結局、備えあれば憂い無しとは言うけれど、その場にならないと分からないことだらけだ。
 そういうわけで、うちには、未だに避難グッズのひとつもない。
 いや、これは、反省に値する。たぶん。
 っていうか、真っ先に親父が先頭になって「逃げるぞー!」とか言ってたりして。
 そん時は、みんな、ごめん。

 まぁ、こんな呑気な事を言っていられるのは、私が独身で、てんでさっぱり結婚の予定もなく、
 子どもが欲しいとも思わず、この歳になってまだ、長生きなんてしたくないとか言って、
 アメリカで起きたことなんて絵空事のような感じで、もっと言えば、1日の歌舞伎町の火事を
 既に忘れつつあるように、今度のテロのことも日に日に遠いことの様に感じ始めてて、
 だから、まさか日本でテロなんて起きるわけなーいじゃーん、とか思っているからだろう。
 平和ボケ。
 だけど、やがて、報復の日がやってくる。
 自衛隊だって、今度こそは現地に赴くだろう。
 そうすれば、この国だって、間違いなく攻撃の対象になってくる。
 国に大打撃を与える、テロ攻撃。
 狙うはやはり原発か。(←もうすっかり思いこんでいる)
 私はその時、どうしていいのか、さっぱりわからない。