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 2001年7月のお嬢(上)



 7月15日 勝負

 県のバドミントン社会人リーグに出てきた。
 リーグ戦にはあまり良い思い出がない。
 大学時代に体育会に所属していて、試合前になると順位決めの部内リーグ、
 それから、ダブルスのパートナー選び、そして何よりプレッシャー。
 何をそこまで神経をカリカリピリピリ尖らせなくてはいけないのだ、
 と常々疑問に思っていたが、今思えば、それが大学の体育会だったのだろう。
 仲間との関係は好きだったが、決してバドミントンが好きなわけではなかった。

 うちのクラブは、今年初参加のため、6部からの出場。
 私のパートナーは、家庭婦人の全国大会でもトップクラスの実力の42歳。
 2試合こなして、1点も奪われることなく、試合を終えた。
 確かに6部だから、レベルはレベルなのだが、それでもこの10数年間、
 1日に1点も取られなかった日など無かったように思う。
 迷惑をかけまいと、緊張はしていたけれど、これだけ相方を信頼して
 コートを駆け回ったことも初めてだ。楽しかった。

 確かに体力はなくなった。
 筋力も落ちたし、太っちゃったし、動きは遅いだろう。
 でも、たぶん、今の私は、学生時代よりずっと巧くなったんじゃないかなぁ。
 試合に出る度に、学生時代の数倍のことを学んで帰ってくる。
 それだけ歳を取った、というだけかも知れないけれど。




 7月13日 玉の輿

 お中元シーズン真っ盛りである。
 我が家は諸般の事情により、お中元を受け取らない。
 余程親しい知人からのモノ以外は、配達屋さんにお持ち帰りいただく。
 とはいえ、断っても断っても、来るモノは来る。
 特に業者からのモノは絶対受け取らないもんだから、贈り主サマは最近、
 個人名で持ってきたり、直接本人が持参してきたりと、試行錯誤。
 とにかく日に3度、多い日には5度以上も玄関のチャイムが鳴る。

 毎日、家から出るのはイヌの散歩とバドミントンの練習だけ。
 もちろんすっぴん、寝ぐせ頭で、パジャマかヨレヨレのTシャツ姿。
 そんな、出来損ないのひきこもりのような生活を送っている私は、
 とにかくその対応が苦痛で苦痛でしょうがない。
 朝からピンポンピンポン鳴らされ、勘の鋭い業者さんなどは、
 私の居留守を見透かしたように、「宅配でーす。宅配ですよー!」などと
 ご丁寧に叫んで下さる。
 こうなるともう、母が留守の時を狙って来ているとしか思えなくなってくる。

 今日も朝から2つほど居留守をかましてやっていたのだが、
 夕方の来客にうっかり出てしまった。
 わーおー!
 あなた、絶対あそこの御曹司でしょ!そうでしょ!そうでしょ!
 と思ったときは、時すでに遅し。
 私は薄汚いジーンズに汗まみれのTシャツ、顔は脂でテカリまくってるわ、
 髪はおばさん結びだわ…。おーのー!私の玉の輿!
 どんなに愛想を振りまこうと、お上品に振る舞おうと、
 恐らく彼が今日一日で見た人間の中で、一番汚らしいヤツだったろうよ。
 うっ。明日からせめて眉毛くらい描いておこうかね…。
 今日はもう寝る。



 7月12日 無礼者

 またひとつ、歳をとった。
 年齢を公表したことはなかったが、隠してもしょうがないような気もするし、
 それでも、知らなかった方が良かった、と言う人もいるかも知れないから、
 今日は公表しないことにする。
 掲示板に要望かなんかが書き込まれたら、公表することにしよう。
 何人も、というか、何人かの友人がそれぞれの方法で祝ってくれた。
 どれも、とても嬉しかった。ありがとう。

 さて。
 祝って貰っといてなんなんだが、私はよそ様の誕生日を覚えられない。
 その上、貰ったプレゼントまで1年経ったら忘れてしまう始末。
 いつかも書いたが、まったくの恩知らずの無礼者である。
 薄情な人間だとは思っていないが、無礼であることは確かだ。残念ながら。
 実際、今日祝ってくれた人の何人かの誕生日が、もうすでにわからない。
 いや、わからないんじゃなくて、「忘れてしまった」のである。
 だからお返しをしそびれる、いやいや、お返しが「できない」のである。
 こんな自分が恨めしい。ごめんよー。友よー。

 そういうわけで、私は毎年お祝いをして貰うたびに、申し訳ない気持ちになる。
 だからといって、もう祝ってくれなくていいです、というのも無礼な話だし。
 今年だって、自分よりも喜んでくれてる人がいて、すっげー嬉しかったし。
 やっぱり10年日記とか買おうかなぁ、買うべきだろうよ、やっぱ、
 などと真剣に考え始めた、2?回目の誕生日でございました。



 7月10日 マニュアル

 「酒場の恋は長続きしない」(本日付けasahi.comより)のだそうだ。
 いじくらしいこと言う学者やなぁ。ほっといてくれ。
 んなこと研究して、どうなるっちゅーねん。
 長続きしようがしまいが、出逢いがどこだろうが、どういう状況だろうが、
 それが行きずりだろうが、ステディになろうが、どっちでもイイ話。
 この研究結果を見たからといって、「酒場で始まった恋は信用できないわよね」
 なんて言い出す人間が出て来るんじゃないかと思うと、寒気がするわ。

 ちなみに、長続きするカップルは、というと、こうだ。
 (1)共通の目標があり
 (2)知的な交流ができて
 (3)身体的な魅力に極端な差がない
 なるほど。これにはちょっとは納得するかも…と思ったが、(3)は謎だ。
 要するに「分をわきまえろ」ということか?美女と野獣じゃダメなのか?
 ブスはブサイク、デブはデブと付き合えと?わっからんなぁ〜。

 ワタシは面食い…なんだそうだ。←複数の知人の証言による
 確かに、好みのタイプと言えば、藤木直人(NHK朝の連ドラ「あすか」のハカセ)
 だの、小橋賢児(同じく「ちゅらさん」の文也クン)だの、こう、なんというか、
 端正で品のある知的なお顔立ちにめっぽう弱いらしく(←NHKの思う壺)、
 あ、あと、芸術家っぽかったり、イジワルっぽい雰囲気も好きで、
 毎日ダラダラとよだれを垂らしながら、テレビに釘付けですがね。えへへ。
 じゃぁ、そういう顔の人と付き合ったからと言って上手くいくかというと、
 これがまた難儀なもんでね、まったく。
 いやーん、あんたなんかぜんぜん好みじゃないわよ、このっ!という人の方が、
 上手くいったりすることが多いから不思議。ミラクル。ファンタスティック。
 まぁ、顔だけじゃない、色々な要素があるから、当然と言えば当然なのだが。

 恋愛の過程が学問により解明され、学説通り、シュミレーション通りに
 恋愛が進むのであれば、誰も恋わずらいなどしなくてすむわけで、
 でも、そんな苦労がなけりゃイイ人生か、というと、あたしゃそうは思わない。
 この学者先生は、何を知りたくて、この研究を25年も続けてきたのだろう。
 失恋しない方法?世界人類60億総ハッピー化計画?
 とにもかくにも、ただただご苦労さん、と思うばかりだ。

 ところで「チーズはどこへいった」をはじめ、「○○な人、△△な人」とかいう、
 外国産の生き方マニュアルみたいな本がベストセラーに並ぶたび、
 とめどなく反吐が出そうな気分になるのは、ワタクシだけでしょうか。
 そげなマニュアル、クソ食らえ、である。
 失礼。



 7月9日 現実逃避

 なんというか、ダメ人間だなぁ、と思うわけで。
 やらなくてはいけないことがあればあるほど、
 別のことをやりたくなるのであって。

 普段はテニスはさほど好きじゃないのよ、なんて言ってるくせに、
 いやぁ、やっぱりウインブルドンは見逃せないよ、なんて言っちゃったり、
 ふと思い出して、好きだったマンガ全12巻を一気に読んでしまったり、
 その上、このタイミングで妹が、別のマンガを借りてきたり、
 まぁ、そんなこんなで、段々ワタシは追いつめられつつあるわけで。
 そう、レポートはちっとも進んでないわけで。

 ウインブルドンのせいで(←責任転嫁、という)完全に昼夜逆転。
 毎晩眠るのは、薄明るくなるころで、
 白む空を見上げては、朝が来ると絶望するんだよ、なんて目を閉じる。
 いかん、脳が腐ってくる。
 テニスも終わったことだし、少しはまともな暮らしをするか。



 7月8日 48歳の男、挙手求む

 「部長 島耕作」を読んでいる。
 課長、じゃなくて、部長である。
 巻頭に弘兼憲史が書いているが、島耕作も48歳になったんだそうな。
 っていうか、顔変えなよ、少しは。
 周りの人間はどんどん老けていってるのに、島耕作だけは30代のまま。
 柴門ふみといい彼といい、ストーリーはともかく絵がちょっとねぇ。
 いや、決して下手なわけじゃないのだけれど。

 驚いたのは、島耕作の恋人、大町久美子が20歳も年下だ、ということだ。
 「課長…」のころから、てっきり三十路の姉さんかと思っていたのだが、
 どうやらワタシと同年代らしく。
 身近に48歳とかいう人が居ないので、彼女の状況はさっぱり見当が付かず、
 ましてマンガの中の島耕作は、今でも課長時代の30代半ばの顔立ちで、
 ますますワタシの頭は混乱しているわけで。

 「部長 島耕作」をドラマ化するなら、誰に演じさせる?
 で、48歳のいい男ってどんなヤツ?と、キョロキョロしている今日この頃。
 48歳のイケてる芸能人をご存じの方、または、我こそは、イケてる48歳!
 と思いこんでおられる方、おられましたら是非お申し出下さいませ。




 7月4日 うちの家族

 柴犬のさくらが、本日またネズミを捕まえた。
 朝、庭に出たがっているさくらを見て、父がサッシを開けた途端、
 庭の築山に駆け上り、ピョンと飛び上がった獲物をパクリ、
 ブルンブルンと2、3度振って、即死させたのだそうだ。
 それを見た父は、被害者をその場に吐かせ、散歩に連れ出した。
 母に一言、
 「片付けとけや。グチャグチャじゃないし、大丈夫や」と、言い残し。
 「グチャグチャじゃないなら、自分で片付けてよ!」と母。涙目。

 昨年のことである。
 今日と同様ネズミを捕らえたさくら嬢は、というと、
 2階の座敷に獲物を喜んで持って上がり、そして、凌辱の限りを尽くし、
 耳はあちら、しっぽはこちら、壁にもふすまにも内臓ぶちまけ、
 そして血まみれの顔に何とも誇らしげな笑みを浮かべて、皆の前に現れた。
 私が帰宅したとき、母は半泣きで、それはもう半狂乱になって、畳を拭いていた。
 申し訳ないのだが私は、大爆笑するだけして、結局手伝わずじまい。
 だって、気持ち悪かったんだもん、ほんとに。まさに殺人現場。
 涙を浮かべる母を尻目に、父と私は、よく頑張ったねぇ〜、偉い子だねぇ〜と、
 さくら(←母ではなくて、イヌである。念のため)を褒めちぎっておった。
 もちろん、父が後片づけを手伝っているわけがない。

 ところで、昨日から婆さんが日記を付けている。
 最近日付や通院日、しまいにゃ住所も忘れてしまったりということがあって、
 家族全員に、手を動かせ、頭を使え、呆けてもしらんぞ、と言われ、
 しぶしぶ始めた日記である。
 やれ、ネタが無いだの、字が書けないだの、文句ばかり言っていた割には、
 「今日はネタがたくさんあるから、いっぱい書かなきゃ」などとはしゃいでおる。
 で、今日の書き出しはこうだ。
 「この世の中の動物で、何が嫌いかと云って、ネズミほど嫌いな物はない」
 こんな婆さんだから、死体処理を手伝うなんて考え、毛頭ない。
 ちなみに友人に言われたのだが、文章が私とそっくりだ、とか。
 おそるべし、隔世遺伝。

 それからそれから、妹は帰宅後、開口一番こう言った。
 「さくちゃ〜ん、ねじゅみ、ちゅかまえたんでちゅか〜、えらいでちゅね〜♪」
 
 そういうわけで、この家にいる限り、母のネズミとの孤独な闘いは続く。
 母にしてみりゃ、この家に嫁に来たことを、これほど悔やむ瞬間も無かろうが。




 7月3日 夏休み

 レポートなぞちっとも書けてないくせに、勝手に脳は夏休み気分である。
 何処へ行こうか、何をしようか、誰に会おうか、何を食おうか。
 毎年恒例、夏になると、なんだか落ち着かなくなる。

 ジャズピアニストの秋吉敏子さんが、原爆被災者のための鎮魂曲を
 完成させたそうだ。初演は8月6日の広島だ。
 行き先は決まった。あとはチケット、チケット。

 彼女は昨年の来日の際、金沢で朝日新聞のインタビューに対して
 こう語っている。(2000年10月21日石川版より転載)

 私はトシコスタイルをつくったか?
 私の存在価値は何なのか?
 私はジャズプレーヤー以外の何者でもない。
 一方、アメリカ人とは異なる伝統を持つ日本人である。
 日本人として、今までジャズになかったエレメントを入れるのが、
 私の仕事じゃないか。
 それが一生の仕事と思った。

 一生の仕事か。
 最近、そういう言葉に弱い。
 弱い、というか、しんどい、というか、重い、というか、だるい、というか。
 まったく、年中夏休みの脳味噌で、困ったもんだ。
 迷っているのかな。
 それともこれでいいのかな。
 一生の仕事、なんて探してる振りして、ホントは楽になりたいだけなんだ。



 7月2日 わからない

 最近立て続けに、頑張りすぎだ、と言われてしまった。
 何も頑張ってなどいないというのに。
 もっと楽に生きろと。
 こんなに楽して生きているというのに。
 もっと人を頼って甘えて良いのだと。
 これ以上、人に甘えていいはずがないだろう。
 だいたい、甘えてみろと言われても、
 私には、そのやり方が、わからない。



 7月1日 おめでとう

 やっと見つけたんだもん。
 新婦のその言葉を信じて、新郎はこの結婚に辿り着いたんだとか。

 41歳の新郎には3度目の、26歳の新婦には初めての結婚式。
 それでもざっと150人ほどが彼らの祝福に集ったのだから、
 二人は幸せ者と言うよりほかに言いようがない。
 決して真似したいとは思わないが、羨ましくないと言えば、ウソになる。
 会場のほぼ全員が、いざという時は新婦の味方、というのも面白い。

 結婚生活なんて、たぶん、好きよ好きよ大好きよ、では片付かないことが、
 ほとんどじゃないか、と思うと、これぐらい腹の据わった度胸ある決断の方が、
 あとあと良いのかも知れないなぁ、なんて思ったりもする。
 10月出産予定の彼女は、しっかり、どっしり、という雰囲気で、
 いやはや何とも頼もしく見えた。

 それに引き替え旦那はまるで少年のよう……って、なんか褒め殺しみたいやな。
 いやいや、新郎自ら舞台に立ったライブは、とても素晴らしかった。
 これは褒め殺しではなくって、心からの賛辞で。
 何はともあれ、末永くお幸せに。
 やっと見つけたものを、お互い無くされませぬように。