2001年4月のお嬢(上)
4月15日 何が許せないって、その傲慢さが許せないのよ。 なんて言葉を吐いてしまった。 そう言う私も傲慢だ。 だけど、傲慢であるという自覚を持たずに傲慢なほど、罪なことはない。 そのことを知って欲しかった。 伝わっているかどうか。 私の言葉では通じなかったかも知れない。 確かに私も言い過ぎた。 しかし、私にそこまで言わせてしまう自分に目を向けてよ、いい加減。 それがケンカの原因。 しばらくわだかまりは残るだろう。 4月14日 楽しい時間というのは、何がどうなっても楽しいもので、それは、 たとえむかついても、ケンカをしても、ましてはたからどう見えていようとも、 当人達はやっぱり最終的には楽しいのであって、それに敵う物はない。 久しぶりにそういう時間を過ごしたはいいのだが、あとになってどっと疲れに襲われた。 いかに、最近、刺激のない毎日を送っているかということが証明されたようで、 辛いと言えば辛い。 それでも、得たものは大きい。 こういう刺激的な時間の中でずっと暮らしていけたらいいのに、と思う。 4月13日 昨日、運の強さを祈る、なんて書いたのだが、 実は、運なんてもの、あまり信じていない。 多くの場合、それは経験に裏打ちされた、瞬時の確かな判断力と実行力だ。 例えば試験問題が解けることも、人の相談に的確なタイミングと内容で答えるのも、 自分が難局を乗り越えるのも、みんなそうだと思っている。 自分がどれだけの引き出しを持っているか、ということだけが、その結果を決める。 と、そこまではわかっているのだが、引き出しの数と中身は決してわからない。 漠然と、あ、最近増えたかな、ちょっと減ってるな、ということはわかっても。 けれど、対他人となると、そういう甘えは許されない。たぶん。 役に立った、ありがとう、と言う人が居る反面、傷つく人が居るのも事実。 しかも、後者の多くは貝になるから、こちらはやきもきするばかり。 やっぱり、良くないよねぇ、中途半端なお節介。 自分の力不足に、頭が痛い。 4月12日 ちょっとしたお節介をしてしまった。 まぁ、お節介した相手からは、今のところ何の反応もないので、 どれくらいのお節介だったのか、よく分からないのだが。 余計なお世話と、そうじゃないお世話の境目は、多くの場合「運」だと思う。 いや、運というかタイミングと言うべきか。 同じ言葉でも、言われるタイミングで作用は随分違うし、良かれと思ってしたことが、 迷惑がられる、ということも無いわけではなく。 私がその人に言葉をかけたタイミングは、果たして正しかったのだろうか。 言葉は多すぎなかっただろうか、足りなくはなかっただろうか。 ウダウダ考えている。 まぁ、言った後にこれだけモヤモヤするくらいなら、声などかけなければいいのに、 それでもやめられない、というのは、私にお節介の血が流れている、ということで、 これは、運とかタイミングとは違う、紛れもない事実。 あとは、運の強さを祈るだけか。 4月10日 桜が満開で、まぁ、なんというか春らしい日々。 息が詰まるが、まぁ、みんなは気分が良さそうだ。 知り合いの記者が書いていたが、日本人ほど花見好きな国民も、珍しいのだとか。 犬の散歩中に、どこかの保育園児の花見に遭遇した。 これが、どういうわけか、2列縦隊で公園内を歩いている。 子ども達は桜を見るわけでもなく、ただぼんやり先頭さんの後をついて行くだけ。 桜の木の下に、ござでも敷いて、ままごとでもやった方が、ずっと楽しそうだが。 そういや、どこかの精神病院のパンフレットに、「運動風景」という写真が載っていて、 そこには体育館を2列縦隊で往復している様子が写っていた。 なんだかなぁ。 それぞれ色々な事情があるのかも知れないけれど、それにしても、なんだかなぁ。 例えばお天気のいい春の日に、2列縦隊での花見を強いられたら、 私はひとり列から離れて、大きな桜の木の下に座り込んでみるだろう。 例えば私が年を取って老人ホームだの老人病院に入ったとき、 看護婦さんやヘルパーさんに幼児言葉で話しかけられたら、私はバカにするなと へそを曲げ、屁理屈こねてごねてやる、と思うだろう。 私がわがままなだけだろうか。 これって、尊厳とか、そういう話とは、やっぱり違うのだろうか。 こういう考えでは、みんなと生きてはいけないのだろうか。 4月4日 痛い話 ネット上には「恋愛系」と呼ばれるサイトがゴマンとある。 たまにステキな所もないではないが、まぁ、「痛い」所のほうがはるかに多い。 テーマは「遠距離恋愛」か「不倫」で、「私たちふたりはネットで知り合いました」ってのが 大体のパターン。 ほんとマジで、北海道と九州とかでネット遠恋してたりするからスゴイ。 ほんの幾度かしか会ったこともないのに。 で、口を揃えて「運命の人に出会いました」なんて言っちゃってるのが、これまたスゴイ。 「運命の人」なんて、そうそう滅多におらんっちゅーの。 しかも、彼らの場合、運命の人が短い周期で次々と現れてくるから、笑える。 大抵は、数ヶ月で浮気だの二股(←これまた相手はメル友だったりする)だのが発覚、 ネットの「人生相談室」に駆け込んでくるのが関の山。 で、すぐに「誰か助けて」だの「私にはもうわかりません」などと言う。 自分のまいた種、見ず知らずの他人に丸投げするなよな。 その上、自分の思うとおりの回答がもらえないと、今度は逆ギレだ。おいおい。 悪いけどさ、そんなさ、軽々しく生きるなよ。 私だって、淋しいのはわかるよ。人恋しいのもよくわかる。 どうしたらいいのかわからなくなって、真っ暗闇に落ちることもある。 だけど、答えはそんな近くにあるモンじゃないし、そんな簡単に見つかるモンでもないし、 ましてや、他人が見つけて「はい、どーぞ」って持ってきてくれるモンじゃない。 私たちは、生きている限り、自分で探し続けるしかないんだと思う。 探すことを放棄してしまったら、それは自己の崩壊。おしまいだ。 ここは、私が「探す」ためのひとつの手段。だめか? と、まぁ、最近あんまりな人たちを見る機会が多かったので、ちょっと語ってみました。 が、ひょっとすると、ここも端から見れば「痛い」サイトのひとつかも…。おぉ、こわっ。 4月3日 望郷 4月2日 茶色いの 4月1日 4月バカ |