2000年12月のお嬢(上)
12月15日 一期一会
最愛の親友であり、相棒であり、同志である人が気を使ってくれて、
食事に行こう、と言ってくれた。
行こうと思った「たしのき」が店を休んでいたので、「葡萄酒街道」へ。
何を隠そう、東京で秋吉敏子さんに生まれてこの方飲んだことの無いような、
美味い美味いワインを飲ませてもらってから、ちょっとずつではあるけれど、
ワインの本なんか読んじゃったりしてるわけで。
秋吉さんは、食っていくのがやっと、という時代にとにかく本を読みまくって、
知識という武器を身につけたんだそうだ。
で、ピアノで暮らしていけるようになったとき、自宅にワイン専用の地下室まで作って、
それまでの知識を総動員して、飲んで飲んで飲みまくったんだって。
ジャズもワインも、とにかく勉強しなきゃダメ、って言ってたな。
それで、店ではひとつひとつ、恥ずかしいけど色々質問して、教えてもらってきた。
飲んだのは「コート・デュ・ローヌ・ヴィラージュ」ってやつで、
秋吉さんが飲ませてくれたのと同じ地方のワインだけれど、味はやっぱり違ってた…。
コート・デュ・ローヌであることだけは、覚えているのだけれど、
肝心の名前を忘れちゃったから、もう、こればっかりはどうしようもない。
一期一会、って、やっぱ大事だなぁ、なんて今さら後悔しても仕方ないわけで。
これはもう、自力であの味に巡り会えるまで頑張るしかなかろう。
それもまた、人生、なんてな。
12月14日 不安
タイトルを「不安」にしようか「不安定」にしようか、なんてことで悩んでしまうくらい、
最近また何がどうなったか分からないけど、不安で不安で仕方がない。
まぁ、退職が近いからだよ、とか、季節の変わり目だからね、とか、色んな人が、
色々励ましてくれるのだけれど、それが、今の自分と当たっていても、ずれていても、
やっぱり、どちらもストレスになって、売り言葉に買い言葉になっちゃって、
それで、また相手を傷つけちゃったかなぁ、なんて、ウジウジ考え出して、
そしたら、私ってダメなヤツだなぁ、なんて思い始めちゃって、
それはもう、なんていうか、私っていらん子やん、なんて思うようになって、
そしたら、生きてても仕方ないか、なんて、世間の人が聞いたら「だったら死ねばぁ」
なんて言われちゃいそうなことまで、考えるようになっちゃって、
それはそれは、どうしようもない気分になるわけです。
わっかるかなぁ〜。わっかんねぇだろうなぁ〜。
なんてくだらないことを言っていないで、どうにかしようと思います。
12月13日 お別れ
で、結局、25年ほど連れ添った、左の糸切り歯を抜いた。
なんだか、たかが乳歯、されど乳歯である。
根っこの半分がもう露出するほど、下がってきていたのに、
それでも後に生えてくる永久歯がないから、頑張って抜けずに居てくれたのだ、
と思うと、本当に愛おしく思えてくるから不思議だ。
麻酔が上手で、何の痛みもなかったけど、でも、歯医者さんは結構な力でその歯を
抜いたように思う。
あんなに、よれよれの歯なのに、よく、最期の最期まで、頑張ってくれた。
その後には、本物の歯にそっくりな仮歯。
痛みが無くなったのは嬉しいけれど、なんだかよそよそしい感じ。
そして、年明けには、そう、12万円の差し歯デビューである。
でも、やっぱり、他人のような付き合いになるのかな。
それとも、自前の歯のように、愛着を感じるようになるのかな。
楽しみでもあり、不安でもある。
ところで、その、抜いた乳歯はと言うと、歯医者さんが見せてくれた後、
「記念なので持って帰ります」と慣れないおセンチを言ってはみたものの、
家に帰って1時間も経たないうちに、紛失してしまった。
うぎゃっ。
犬が食ったのか、ゴミ箱に葬られたのか。
いずれにしろ、罰が当たりそうな予感がする。嗚呼。
12月9日 来客
姫路から3人のお客さん。
鍋ツアー、いや、正確には「鍋オフ」というのかな。
HPで知り合った人との飲み会だなんて、初めてだわん。
とはいえ、私とHP主宰者はかつて同じ職場で働いた飲んだくれ仲間。
で、姫路からのほかの2人も、私が呼んだこちらの人間も、
同業者で、思いの外意気投合。合コン、飲み会嫌いの私も、
とてもとても楽しく飲むことが出来ました。こういうの、嬉しいです。
んもー、孫助(弟店)の寄せ鍋の、美味いこと美味いこと。
持ち込みの菊姫やら、焼酎やら、そのあとはファンファーレでバーボンだし、
その後はジムホールでギムレット2杯、そして、You's Barでまたギムレット。
一体、どれだけ飲めば気が済むのでしょう。
夕方6時から飲み始めて、家に帰ったのは4時頃だったか。
10時間も飲んでやがるわ、わたくしったら。
翌朝ケータイを見てみたら、わけのわからん着信発信履歴がわんさか。
ああ、ご迷惑をお掛けした皆さん、ほんますんません。
でも、楽しかったの、とっても。許しておくれよ〜。
12月7日 糸切り歯の値段
私には、左の犬歯、いわゆる糸切り歯がない。
じゃぁ、今ある歯はなんだ、というと、実は乳歯だったりするわけで。
実に生まれてから20数年も使っている乳歯が、今なおご健在なのです。
いつまでも生えてこない永久歯を不審に思い、ついに乳歯がグラグラし始めたのが数年前。
歯医者に行き、レントゲンを撮ると、案の定、犬歯はどこにも写っていなかった。
で、その時は「頑張って守って下さい」と言われたのだが、ついに限界。
今日、改めて歯医者に行った。
で、あれやこれや、検査をして、やはり犬歯がどこにも無いことが判明。
ブリッジとやらでセラミックの糸切り歯を付けるか、そうでなければ、
「いわゆる入れ歯、ですね」と宣告される。
入れ歯はいやだというと、では、セラミックの方になるのですが、
保険が利かないので…と、ココまで聞いて嫌な予感がしない人間が居るだろうか。
出てきた金額は、チ〜ン♪
¥120,000−でございました。
ぢゅうにまんえん、ってあんた、私これから失業するっちゅーねん。
ちなみに、犬歯はないくせに、親不知はしっかり4本鎮座ましましていやがった。
その上、角度がおかしいから、生えてきたら抜きましょうなどと言われてしまう。
生えない歯のために12万円を払い、余分な歯を抜くのにさらに…。
我ながら我が身の極めて効率の悪い体質にあきれ果ててしまう。
退職金で電子ピアノを買おうと思っていたけれど、諦めることになりそうだ。うっ。
12月6日
数日前から火種はあった。
燻った火は、消える前に大きな炎となるのか。酷い口論をする。
このまま首絞めてよ、と言えば、楽になりたいよな、と言われ、
かといって、首を絞めてももらえずにいると、行き場を失った火は先祖を呼んだ。
ほんとだよ、たぶん。
一瞬相手の目がおかしくなった。
突然正座して真正面を向いて私の手を取り、よく聞くんだよ、などと言う。
はぁ、と向かい合うと、あれやこれやと、まるで小学校の先生のように、
私に説教を始めるのだ。
ふむ、ふむ、と聞いていたのだが、ふと気が付いた。
それは遺書の朗読だった。
死ぬの、と聞くと、相手は返事をしないで、代わりに大粒の涙がポロポロこぼれた。
まずいだろ、それは。
それで、私はそいつの顔を何度かピシャピシャひっぱたいた。
ゆさぶって、ゆさぶって、ゆさぶって。
還ってきたとき、おやじが隣にいた、と一言。
こういう話、信じられますか、っていうか、信じてくれる?っていうか、
私だって信じているわけじゃなくて、今でも半信半疑なんだけど。
とにかく、つかれた。
こんなことは、2度とごめんだ、と今まで起きたどんな出来事よりも、そう思う。
12月1日 あこがれ
コンサートに出掛けた。
ピアノとエレクトーンとドラムのトリオ。
ドラムはここではおなじみ、STICKSのマスターで、ピアノは佐山雅弘さん。
佐山さんのことは、実は恥ずかしながら、どんな方か存じ上げなかったのだが。
そして、エレクトーンは松田昌さんだ。
彼の名前を知っている人が居るとすれば、たぶん、エレクトーンやってた人だろう。
子どもの頃からの憧れの人だった。
まだエレクトーンを習い始めの頃、中学生や高校生のお姉さんが、
両手両足を自在に操って、踊るように音を紡ぎだしていた。
曲名を見れば「パルピニヨン」だとか「ニューヨークパッションストリート」だとか、
書いてあって、作曲者は「松田昌」とあった。
大人にならないとこの人の曲を弾いてはいけないんだな、と勝手に思っていた。
そして、松田昌って、どんな人だろう、とずっと思っていた。
彼のかいた譜面に初めて挑戦したのは、中学生になった頃。
私は「大人」になったつもりでいたのだろうか。
それとも「大人」になりたかったから、だろうか。
結局、彼の譜面を3度ほどステージで弾いて、私はレッスンに通うのをやめた。
満足感と、喪失感が同時に訪れた。
演奏を聴いている間ずっと、そんな思いが巡っていた。
で、不覚にも途中で泣いてしまった。
まったく、松田昌という人は相変わらず、何と切ないメロディを描く人なんだ、
と苦笑いして、家路についた。