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2000年12月のお嬢(下)


12月31日 大・大晦日

職場で迎える3度目の、そして、最後の大晦日。
何が楽しいんだか、ここで夜を過ごすのが好きだった。
特に1年目の半ば以降、飲みに出た帰りにはオフィスに寄り、
飲みに出ない夜は職場で宴会を開き、朝を迎えたことも幾度かあった。
それから2年近くの時を経て、職場のメンバーは変わり、会話も減ったし、飲み会も。
ましてや、職場での宴会なんて、ほとんどなくなった。誰も笑わないし。
それでもどういうわけか、大晦日はみんなが我が家のおせちを待っている。
惰性なのか、それとも、本当に楽しみに待っているのか。よくわからない。
そう言えば、去年はおせちだけを持って帰った人も居たっけ。
そんなつまらないことを考えていたら、どんどん酒が進んでしまって、
ひどく酔いが回って、そして、とてもとても憂鬱な気分になってしまった。
そして迎えた午前零時。
21世紀を迎えた瞬間、私は今にも流れ落ちそうな涙を堪え、パソコンに向かっていた。
ネットで誰に話しかけるというわけでもないのだけれど。
何がそんなに憂鬱なのか、何がそんなに怖いのか。
子どもの頃に思い描いた21世紀は、もっと華々しく輝いていたはずなのに。
周りのみんなも、腹が膨れて以降はそれぞれ好きなことをやっていた。
結局、新世紀なんて特にめでたいものでも面白いものでもなかった、ということだ。
傍らでデスクが元旦紙面に文句をつけていた。
思わず、そんなもん別にどうだってイイじゃないですか、などと言ってしまい、険悪になる。
新聞にとっては「この日」が大事なのだ、と言う。
だったら私は、すべてが「この日」だと思って生きていこう。
期待もしないかわりに、落胆もしない穏やかな毎日を、ただ誠実に過ごしたい、と思う。


12月27日

6年生の従兄弟が、東京から一人で遊びにきた。
叔父が47歳の時に出来た子どもだったから、とにかく目に入れても痛くないほどの
可愛がりようで、まったくすくすくとわがまま王子に育っていた。
朝に夜行バスでこっちに着いて、どっか連れてけ、連れてけ、と大騒ぎだ。
僕がはるばる来たというのに、何処へも連れてってくれないのか、などと言われ、
こんな忙しい時期に来るんじゃねぇ、この野郎、と言いそうになる自分と闘う。
元々子どもが嫌いな私に小学生との会話は無理だと判断し、映画に連れていく。
「『バーティカル・リミット』がいいよー」「はいはい、アニメじゃないでしょうね、それ」
のっけから、親父が死ぬシーンで始まる映画だった。叔父は、今年59歳で亡くなった。
従兄弟は私がまだ知らないモノを背負って、これから生きていくわけだ。
どういうわけだか、私は父親を早く亡くしたり、父親不在で育った人と縁があるようで。
父親に溺愛され、その挙げ句、今頃になって反抗期を迎えてしまった私には、
その人達の気持ちをどう受け止めたり、理解したらいいものやら、さっぱりわからないわけで。
ぶっちゃけた話、付き合う男、付き合う男、みんな父親と過ごした時間が短い人だったりすると、
ひょっとすると、彼らは私を愛すると同時に、その向こうにある父の姿を見ていたりするんじゃないか、
なんて、勝手な思いこみに走ってしまったりもするわけで。
まぁ、わけがわからなくなったから、もうやめるけど。
映画はと言うと、なかなか面白かった。
見ていない人がいると悪いから、ストーリーについては、今日も書かないことにする。


12月26日 おデブ警報発令

冬休みに入ってしまった。
1月末に契約が切れるからと言って、ここぞとばかりに有給を取った。
3日までの9連休だ。アホになりそうだ。
夕べは忘年会で、死ぬほど焼き肉を食ってしまった。
そうやって、また飽食を嘆くのか、私。
っていうか、気持ち悪くなるくらい食ったのに、肉をお持ち帰りしてしまって、
そして今晩は家で焼き肉をする運びになって、結局また食ってしまった。
昼過ぎまで寝て、起きてまたゴロゴロして、晩飯に焼き肉を食えば、
そりゃぁ、ブタにもなるだろう、といいつつも、やっぱりバクバク食っている。
しかも、青汁も飲めないくらい腹一杯になってしまった。うげ。
これが学生の頃なら、さっさと消化して蓄積されることもないのだが、もう若くはない。
こうやって、おデブの悪循環は始まります。
今冬こそは、これ以上、太らないように気を付けよう、と固く心に誓う。


12月25日 

実は昨日、ドンペリを空けたのは、家の中だった。
風呂上がりのボサボサ頭で、ヨレヨレのトレーナーを着て飲む酒のうまいこと。
ホゲ〜ッとテレビを見ていたら、トム・ハンクスのインタビューをやっていた。
実のところ、言ってることが結構難しくて、酔っぱらいの私には、半分くらいしか
分からなかったような気がする。
でも、あの人はすごい役者だなぁ、と思った。あらためて。
それくらいのオーラが漂っていたことだけは、しかと覚えている。
「フィラデルフィア」(1992年・米)という映画がある。何度も何度も見た映画。
エイズを理由に事務所を解雇された弁護士が事務所を訴えて云々、というストーリー。
詳しくは、映画を見て頂きましょう。
エキストラに多くのエイズ患者が参加していたということを、この日初めて知った。
そして、その多くが既にこの世を去ったこと。
おそらく撮影中に具合を悪くした人もいたことだろう。
そんな生の経験が、彼にあのアンドリュー・ベケットを演じさせたのだ。
終盤の演技は、もはや演技ではなく、まさに末期のエイズ患者そのものだった。
いつだったかここで、役者は妖怪だ、と書いたことがある。
妖怪である所以は、自分を殺すことさえできる、ということかも知れない、と思う。
そういう自己完結手段を持てたら、本当に素晴らしい。
死んでしまいたい、だなんて言ってボケボケしている私なんて、くそくらえ、だ。まったく。


12月24日 プレゼント

性懲りもなくドンペリを空ける。
しかも今年2本目のドンペリだ。まったく、図々しい話。でもやはり美味は美味だ。感謝。
クリスマスイブが日曜日、ってなわけで、世間の人々はどう過ごしたのだろう?
23日に前倒しでやっちゃうのか、それとも、何が何でも24日なのか。
どうでもいいけど、街にはカップルが多い。
私なんか、その内何割が「とりあえずクリスマスだし的即席カップル」なんだろう、
とか勘ぐっちゃうのよね〜。すみませんねぇ、性格歪んでて。
ヴィトンやらグッチが、それはそれは大繁盛で、まぁ、すごいことになっていた。
まぁ、駆け込みで付き合っても、10万円のバッグを買ってもらえるなら、
多少のダメ男でも付き合う価値アリ、って思う人も世の中には居るんだろうね。
モノにあまり執着のない私は、そんな商業世界からどんどん置いていかれてしまう。
靴もバッグも要らないから、愛を下さい。
なーんて私が書くと、救急車が呼ばれそうだけれど、これがまんざら嘘ではない。
クリスマスだから、アレが欲しい、コレが欲しい、というんじゃないもの。
そう。
靴もバッグも要らないから、永遠の愛を下さい。

ピーポーピーポー………


12月23日 泥水の味

最近おとなしく家で食事をすることが増えた。
ダイエット、という意味もあるし、家庭不和、いや、家族と私との不和の解消、
という見え透いた目的のためかも知れない。まぁ、それはいい。
最近、実は「青汁」を飲んでいる。
八名信夫がコマーシャルで「うぅぅ〜、まずい〜。もう一杯!」とやってた、アレだ。
「姉ちゃん、太りすぎ。やばいよ」と言う妹に勧められて飲み始めたのだが、
これが、本当にまずい。まずいなんてもんじゃなく、まずい。
泥水なんて飲んだことないけど、泥水ってきっとこんな味だろうな、という味だ。
この1年、食って食って食いまくって飲みまくって、去年より6sも太った挙げ句、
痩せたいからと言って、泥水を飲んでいる、というわけだ。
そんなつまらない人間になってしまったのか、と自分を嘆きつつ、
顔をしかめる家族を尻目に、何とか自分を正当化するために、その「泥水」を一気に飲む。
正当化する根拠も理屈も、ありっこないのに。だいたい、自分の何を正当化しようというのだ。
あんなもの、本当は人間の飲み物じゃない。そういう意味では、究極の飽食だ。
私の食い倒れも、とうとうこんな所まできてしまったか、と思う。


12月22日 下ネタ

お食事中の方は、ご注意下さい!
誰にでも、隠れた趣味、というのがあるとは思う。
隠すからには、ちょっと恥ずかしいことだったりして、それでも、
最近流行の編み物の広瀬先生くらいになると、男の編み物、ってのも、
市民権を得つつあるようで、結構格好良く見えてくるから、あら不思議。
で、私も今まであまり人に話したことがなかった趣味、いや興味あること、ってのがある。
トイレとうんこ、です。ごめんなさい。小学生の頃はTOTOに就職するのが夢でした。
親にお願いして買ってもらったのは「トイレなぜなに大百科」だの、「うんちの秘密」だの、
「ふしぎふしぎ人のからだ」そんなのばかり。
くさい臭いの成分はインドールとスカトールで、魚のおしっこはアンモニアの垂れ流し。
大した知識ではないのだけれど、意外とみんなが知らない、ということを知って、
最近また色々調べようかと思い始めている。
トイレに関してはとても良いHP(
ウタリクリエイツ筑波研究所)を見つけました。見てね。
世界29カ国のトイレが紹介されている、素晴らしいHPです。はい。
そして、先日、仕事中ついにネットで「うんこ」と検索をかけてしまいました。ごめんなさい。
そしたら膨大な数のアダルトページが出てきて、エライことになっちゃって、まったく。
純粋にその成分やら、通り道やら、生い立ちを知りたかった私はとてもショック……。
幼児語の「うんち」の方が、良い検索結果が得られます。はい。って、何言ってんだ、私。
妹は、姉ちゃん、今からでも遅くない、そっちの学者になればいい、とまで言い出した。
母も、そうね、お姉ちゃん、子どもの頃からうんちとトイレが大好きだったもの、と。
婆さんまで、うんちを見れば、体調がほとんど分かるってね、なんて言っている。
さて皆さん。味噌野菜鍋を食いながら、そんな話をしている我が家は、変でしょうか。


12月20日 宴の後

11月の日記にも書いたように、ウラ幹事を務めた忘年会当日。
やはり「孫助」の料理は絶品じゃ。
とりあえず、旨いモン食ってる間は、どんな嫌なことも忘れる自分という人間が、
悲しくもあり、可笑しくもあり。
最年長の人が私の隣にいた私と同い年の男の子に話しかける。
「ほれ、彼女を見てみぃ、あれぐらいたくましくないといかんぞ、この世の中」。
ワタシ?タクマシイ?
もうさー、そう言うの言われるの、ダメなのよ、本当に。
ほら、気が付いたらまた2次会の手配までしちゃってるじゃないの、私。
しかも、かなりテキパキしていて、我ながらスゴイと思ってしまう。
店は電話1発で決まり、皆さんを先導してご案内。
でも結局、いつもの1/3以下の酒量で、自ら席を立った。
みんな、驚いていた。なんだなんだ、どうしたんだ、お前が帰るなんて変だぞ、と。
どうしたんだ、っていうかさ、どうしてそこまで言わなくちゃいけないの。
どうして誰か一人でも気付いてくれないの。


12月19日

君は本当は大勢の人と居るのが苦手なんだね。
君は本当は知らない人の群に入るのが上手じゃないんだね。
君は本当は新しい世界に飛び込むのが怖いんだね。
君は本当は臆病なんだね。
こんなことを言ってくれる人が居るしあわせ。


12月18日 そう言えば

実は昨日、就職試験を受けていた。
ってか、なんで勉強キライなのに、試験を課すところばかり受けてるんだ、私。
ま、結果は年明けまで分からないから、しばらくまた寝て暮らそう。
それにしても、景気の悪い顔した人が多かったなぁ……。
まるで病院の待合室みたいによどんだ空気が漂っていて、
まさにケガか何かで通院している間に、インフルエンザもらって来ちゃった、
ってな雰囲気。
学歴不問、ただし年齢が22〜30歳くらい、という条件だったから、
大学4年生と、転職希望者や、私のような失業者予備軍が集まっていたみたい。
転職希望組はともかく、大学生の顔が暗いったら、もう、本気で病気うつりそうだったわ。
この時期に就職が決まってない学生さんのスーツってのは、シワシワのヨレヨレで、
見るも無惨な姿。私は決まってなくてもシャンとしてたぞ、っていうのは思いこみか?
目は虚ろだし、作文の試験が終わってちらっと周りを見てみると、
半分くらいしか埋まってない人がちらほら居たりして。
これまでどんな就職活動をしてきてん、お前、とかいじっかしいことを思ってしまった。
それより、問題はこの歳になってもまだウダウダしてる私やってか?
はいはい、あんたも結構、お節介やね。ほんま。ありがとう。
ちなみにクレペリン検査っちゅーやつで見えた自分の型を父親に言ってみたら、
「協調性がない型」と判定された。親父はさぞかしショックだったことだろう。


12月17日 死を描く

「バトル・ロワイヤル」を見る。
妹の彼氏が突然東京に転勤することになり、出発前最後のデートだというのに、
なぜか私が同席し、しかも、「バトル・ロワイヤル」。これってどーよ、マジで。
付き合いも長くなると、そんなもんなんだろうか。
いや、付き合いの長さの問題じゃないな、これは。
なんか、そのゆったりした気持ちがとても羨ましい、っていうか、私にはないもの。
私なんか遠距離恋愛なんぞ、成り立つはずもない、と思っている人間で、
それはきっと、相手を信じると言うことが出来ない人間だ、ということの証明。
ついでに、相手を信じることが出来ない人間は、自分のことも信用していないわけで、
結局私はまだ自分が信じられるモノを何一つ手にしたことがない、というわけか。
映画には途中から飽きてきてしまって、だるくなってきたけれど、そのうち、、
実はそのだるさまで計算して作った映画なのかな、と思うくらい、色々ぼんやりと考えた。
まぁ、ひとつ言えるのは、私だったらすぐ死ぬだろうなぁ、ということかな。
人を殺してまで生きたくはないし、生き残ったところで、幸せな余生があるわけでもなし。
あの状況で殺されない、って他人を信用できるほど、幸せに生きてきたわけでもなし。
なんだか、色々思い出したくもないことまで思い出しちゃって、頭の中で燻っていた。
ここにはまだ書けない、乗り越えられない憎しみとか、妬みとか、怒りとか、悲しみとか。
それを解いたのは、アレだ。
見ていない人がいると悪いから、書かない方がいいのかな。
別にネタバレってわけでもないけど。
私はアレを見るためだけになら、映画の数倍もの入場料を払ってもいいや、と思ってる。
映画を見る気がなくて、でも「アレ」は何だか気になる、という方は、直接聞いて下さいな。


12月16日 油断大敵

今日オヤジがズワイガニを5ハイ5000円で手に入れてきた。
韓国産だと、同じ生きたカニなのにグッと値段が落ちるのだそうだ。
なんともまぁ差別サマサマ、ってか、アホやな、韓国産だからっていう理由だけで買わない人。
海は一緒やっちゅーねん。
そういうわけで、お客人をおひとり招待して、今夜はカニ鍋。
さて、世の中には、どうしようもないくらいそそっかしい人というのが、存在するらしく。
今日のお客人は、その筆頭。
まさに天然記念物モノのおっちょこちょい。ごめん。
その楽しさと言ったらもう、初めて我が家で食事をともにした日に、
みそ汁のお椀をひっくり返すわ、おっちょこちょい改善のために、と習い始めたお茶のお稽古中に、
鼻息でお茶飛ばすわ、お菓子ぶっ飛ばすわ、と、この世にその人が居る限り、
私は笑いに飢えることがないんじゃないか、と思えてくるような華やかなご活躍ぶり。
その人は、今日も期待を裏切らなかった。
それは、食事も終盤、残りのだし汁で作った雑炊を食べているときのこと。
その人はきっと、いやぁ、今日は無事に食べ終わった、と思っていたことだろう。
かくいう私だって、そう思っていたもの。
でも、そう、そう思った、その瞬間である。
その人が持っていたお椀は、見事に天地逆さまになってはまっていた。
どこに、って、それが、大根寿しの入っていた、麹だらけの茶碗。うげっ。
家族は5秒ほど何が起きたか分からず、そして、その後、大きな声で笑い出した。
その人は、今にも泣きそうな顔をして、大根寿し入っていた器に入った雑炊を食べた。
恥ずかしい、って、消え入りそうな声で言いながら、いじめられっこのように。
うん、確かに恥ずかしかったでしょう。悲しかったよね。でもね、いいんだよ。
あんなにみんなを楽しませてくれるお客さんは、あなたの他に居ないような気がするよ。
これに懲りずにまた来て下さい。ほんと、みんな、あなたを待っているから。