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2000年11月のお嬢(上)


11月15日 幹事長は誰だ

職場の同人会幹事から、忘年会の場所をどうしたらよいでしょう、と、相談された。
どんな店ですか、と聞けば、おいしければどこでもイイです、と言う。
では、予算はいくらですか、と聞けば、結構な金額を言ってくる。
料理の内容も、時間も、はては日付まで、どうしましょう、と聞いてくるので、呆れてしまう。
では一体どこまで、私が準備をすればいいのですか、というと、全部お任せします、と言うので、
はいはい、と言って、結局お気に入りの「孫助」に予約をいれた。まぁ、余は満足じゃ。
幹事には、地図と予約内容を書いたメモを渡した。
そしたら、その人はその小さな小さなメモを、掲示板にそのまま張っていた。
おいおい、忘年会とも、なんとも書いてない、メモだよ、それ。呆れてモノも言えない。
さてさて。
実は、私の妹という人も、今年から会社の親睦会の世話役になった。幹事やね、これも。
妹の会社の忘年会は社員250人近くが総出で温泉に行くという恐ろしいイベントで、
その準備のために、この2週間ほど、毎日夜遅くまで残業して帰ってくる。もちろん、無給だ。
どういうわけだか、我が家の人間はみんな、いつもどこかで必ず幹事をやっている。
一昨日、数カ月ぶりに行ったバドミントンのクラブでも、開口一番「宴会部長、忘年会は?」
と言われてしまって驚いた。終身雇用っちゅーか、名誉職っちゅーか。光栄だ、と言っておく。
しかし一体、誰の血なんでしょう。これって。
そういえば、昔バーを経営していたうちの婆さんは、客の電話番号はもちろんのこと、
車のナンバーまで記憶していたらしい。で、街でその車を見かけたら、とにかく頭を下げたらしい。
すると、ほとんどのお客さんは、その晩「ママ、昼間はどうも」と店に現れたんだそうな。
ま、幹事とは関係がない話なのかも知れないけれど。


11月14日 ぎっくり腰になった日

寝返りを打つ度に目が覚めて、一晩中、熟睡できずに朝を迎えた。
そう、腰が痛いのだ。それも、かなりだ、今回は。明け方には声を上げてしまった。
原因はわかっている。
ゆうべ数カ月ぶりに、バドミントンの練習に行ったのだが、ずっと練習をさぼっていて、
体が動きもしないのに、シャトルの飛んでくるコースがわかってしまって、
条件反射で体が勝手にシャトルを追うのだ。悲しいことに。
そりゃ、15年も同じスポーツを続けていれば、ある程度は当たり前。
あとは、自分の出来る範囲で楽しめばいいのだが、そこまで自分で調整できないのが、
素人の素人たる所以。
こういうときは、本当に経験を恨みたくなる。
起きられないほど痛かったので、会社を休んで病院に行ったら
「急性腰痛炎、いわゆる、まぁ、ぎっくり腰ですわ」と言われてしまった。ショックだ。
ぎっくり腰なんて、一生なるものかと思っていたのに。
格好わるい、格好わるい、かっこうわるいよーーー!!!
明日会社に行ったら「急性腰痛炎」だった、と言おう。
それってぎっくり腰?とか言わないでくださいね、みなさん。


11月10日 クスリの話

ここ最近、クスリ漬けの生活をしている。
職場内の集団風邪に巻き込まれ、漢方を飲み始めたのが最初だった。
いつもは「早めの漢方」で完治するはずの風邪が、今回は少しこじれて熱が出た。
それで、会社にあったパブロンの一番高いヤツを飲んだ。眠い、眠い、本当に。
熱と眠気でボーッとしながら書いた原稿には、間違いがちょこちょこあって、後で書き直した。
ようやく風邪が治ったと思ったら、今度は家族とのいざこざで、胃が痛み、眠れなくなった。
胃痛は高校時代からの持病みたいなモノだ。ちょっとしたことで、キリリとすぐに反応する。
愛用の三共胃腸薬と、半年前から処方されている安定剤を飲んで3日ほどを過ごした。
そしたら、こんどは生理痛である。腰まで痛くて、歩くのも難儀だ。あーやだやだ。
自分に合う鎮痛剤を探し歩いた末、最近たどりついたのがナロンエース。
そういうわけで、この10日間で、薬を飲まなかった日はない。
こんな事を言ったら、「ダルク」の仲間たちがあきれて笑うだろうな。それとも怒るだろうか。
薬物依存からの回復を目指す彼らは、依存を断ち切るため、一切のクスリを絶つ。
一度中毒になった体は、ごく微量の薬物にも敏感に反応し、フィードバックしてすぐ壊れてしまう。
彼らは酒はもとより、鎮痛剤、解熱剤、風邪薬など、麻薬や覚せい剤でなくても、全てを拒否する。
歯医者で抜歯するときも麻酔を断り、ひたすら痛みに耐えるのだ。
痛い目に遭うのはとてもイヤなのだけど、薬物依存からの回復願望はそれに勝る。
変な話、彼らは、そういうストイックなことができる人たちだったりするのだ。
彼らは、そんな自らの厳格さに耐えきれなくなり、クスリに救いを求めたのだ、と私は解釈している。
そんな奴らはただの弱虫だ、とせせら笑う人もいるだろう。そんな人は笑わせておけばいい。
私は彼らと出会ったからこそ、手元にある数十個の安定剤を処方を守って服用できているのだ、と思う。
過去でも未来でもない「今日一日」を生きよ、というダルクの精神が、私を癒す。


11月9日 事実は小説より…

アメリカの大統領が決まらないなぁ。
まぁ別にどっちが当選しようが、私にゃどうでもいい事なんだけれど。
開票が始まった一昨日なんか、職場のみんなはテレビにかぶりついていた。
どうなった、どうなった、といつになく目を輝かせながら。
私は、どうしてみんながそんなに盛り上がるのかさっぱりわからなくて、その理由を聞いた。
何てったって世界のリーダーを決める選挙だからさ、と吹き替え映画のような台詞を聞いて、
ますます、どうでもいいじゃん、と思ってしまったのは言うまでもない。
やめときゃいいのに「この結果が日本に何か影響あるんですかぁ?」などと言ってしまった。
そりゃ、あるさ、もちろんさ、と言われたが、何にどう影響するのか、ちゃんと教えてくれる人はいなかった。
逆に、ブッシュ候補が、前の大統領の息子だとはっきり認識していなかった私が、
とんでもなく無知な人間として、珍獣でも見るような目で見られてしまった。まぁ、これは自業自得だ。
聞くところによると「政策のゴア、人柄のブッシュ」なのだそうだ。(←これもみんな既知のことなのか?)
ゴア候補は討論会で、ブッシュの発言中に何度もため息をついたとかで、支持率が落ちたんだと。
こっちの総理と話す機会があったら、ため息つきすぎて貧血になるんと違うか。
かたやブッシュ候補は、相手の話をきちんと聞いていて、いい人じゃん、と人気回復したそうな。
しかし、やぞ。ブッシュも舞台の上で他人を「大リーグ級のバカ」かと言っちゃうようなオヤジだし、
ゴアはゴアで、頭はいいのか知らんが、家庭円満?だかなんだかをアピールするために、
舞台の上で嫁と踊ってチューしてご満悦。あららぁ。
頭は良くても性格・行動がいまいちのと、人は良さそうだけど、実際大して良くもないし、その上トロそうな人。
よその国の、バラエティー番組ばりの究極の選択なんて見てられるかい。まったくくだらん。
と思っていたら、投票箱がどっかに消えたとか、選挙をやり直そうとか、結構おもろい話になってきた。
事実は小説よりも奇なり。でも、実はこれ実写版「トゥルーマンショー」だったりしてな。
みんな、シナリオ通り。全部フィクション。テレビ局なんか、相当儲けてそうだ。
一国の長を決める瞬間さえも、ショーとして商品化してしまうのだとしたら、大した国だ。
ということは、あの国の丁稚としていつまでも仕えているこの国も、もちろんフィクションなんだよね。
うわ、それって面白すぎて笑えないじゃないのさ。


11月8日 夢

重信房子さんという人が逮捕された。
「〜さんという人」というのは、何となーく名前だけ知っている、という程度の人を、
呼び捨てにするのも、知ったように「さん」付けして呼ぶのも嫌だからだ。
決して「未決拘留者の人権侵害はいかん」と言って「麻原サン」と呼んでいた石塚氏ほど、
高い志があるわけではないので、悪しからず。
さて、重信さん(以下略)のこと。
ひょっとすると、物心ついて初めて覚えた「悪い人」の名前ではなかったか。
最近では指名手配のチラシも、みんなオウムの皆さんに代替わりしてしまって、
彼女の手配写真を見るのも、随分久しぶりだった。
それにしても、美人である。できるものなら、取り替えて欲しいくらい、好きな顔だ。
凛として、自信に満ちて、この世に怖いモノなどあるわけない、というあの目。
それこそが、仲間達でさえ彼女が何をしでかすか分からず「魔女」と呼んだ所以だろう。
全盛期から四半世紀が経ち、彼女もおばさんになった。
整った風貌は以前のままで、目にはやはり大きな力が潜んでいるように見えた。
彼女は、手錠をかけられた両手を上げて、親指を立て、誰に向かってか、闘う、と言った。
でも、どうしてだろう。哀れだ。その声は、空砲。
あの人たちが何を目指したのか、私はほとんど知らない。
今なお、彼女が「それ」を目指しているのだとすれば、その意志は尋常ではない。
きっと、若い頃から、その意志の強さが彼女の全てであり、魔力だったのだ。
でも、魔力なんかとはとんと無縁の人間が、淡々と日常生活をおくるこの社会に、
彼女はあまりにも馴染まない。
こんな事を言っては怒られるかも知れないけれど、皇族の人を見ているような気がした。
川嶋紀子さんがテレビの無い家で育った、と聞いて、妙に納得してしまった、あの感覚だ。
公安でなくても、彼女には聞きたいことがたくさんある。
一体、どこで何をしていたのですか。あなたは、何をしたかったのですか。
そして、あなたの夢はなんですか、と。
聞いたってわかりっこないんだろうけど、やっぱり、聞いてみたいと思ってしまうのは、
やはり魔力のなせる技かな。


11月6日 恩師?の話

何気なく朝日新聞をめくっていたら、「論壇」に大学で世話になった先生の顔を見た。
あの人と出会ったから今の私がある、と言っても過言ではないと思っているのだが、
そんなことを言うと「やめてくれる、そーいうの、忠孝、仁義、人の道、みたいなこと。さっぶぅ」
とかなんとか言われそうだから、本人には言っていない。
石塚伸一という。現在は龍谷大学法学部教授で、専門は刑事政策・犯罪学。
アジア研究を専攻していた私は、別に彼のゼミ生でもないし、授業もろくに受けてない。
ある日、ひょんなことからお邪魔したのが、担当教授の研究室の隣にあった石塚研究室だ。
怖いモノ知らずだった私は、何だか色んな事を質問したようだ。よく覚えていないのだが。
法学部の3年にもなって、娑婆も法律もまるで知らない私と話していて、
「まれに見るとんでもないバカが来ちゃったなぁ、と思った」と言っていた。
とにかくよく怒られた。怒られたと言うより、いじめ、いや、いぢめられた、という方が近いな。
あれだけ心を込めて「おまえ、ばかだねぇ〜〜〜、うわっ、さいあくだね、それ」と言える人も希有だ。
研究室に足を運ぶ度、無知を責められ、恥をかかされ、屈辱を味わった。
私って奴は、今にもまして態度でかかったんだなぁ。「屈辱」とか、まじで思ってたし。
家に帰ると、なにくそ、と資料を読みあさり、今度こそ、と反撃に出掛け、またやられて帰ってきた。
その合間合間に、一緒によく明け方まで飲んだ。お互い、浴びるように飲んだ。
もらとりあむ、とか、あんちてーぜ、とかいう言葉も知らなかったあの頃の私に、
とにかく色々なことを教えてくれた。何、っていうわけでは無いのだけれど。
でも、その「何」を説明できるようになるまで、この先もずっといぢめられ続けるような気がする。
「新聞読んだぜ」というメールを送ろうかとは思うのだが、「相変わらずヒマだね、あんたも」
という返事が来たとき、懲りずに屈辱を覚えてしまいそうなので、いまだ出せずにいる。


11月4日 ペットブーム

昨日、中島に行く道すがら、金沢の郊外に出来たペットショップに寄った。
世はペットブームということで、仕入れた犬が結構売れているのだそうだ。
奥のショーウィンドウ(と書くのも虫酸が走るが)をのぞくと、子犬様が20匹ほど。
一番安い4万円の柴犬から、20万円くらいの珍種日本テリアまで、
蛍光灯にこうこうと照らされたガラス張りの箱で、ぐったりとお昼寝中だった。
若いお母さんが、3歳くらいの子どもに「可愛いでしゅね〜、このワンちゃん」などと、
気に入った犬を見せていた。
買うなよ、お前、と、秘かに心の中でブツブツ言ってしまった。
近所の人が最近、ラブラドールレトリバーを飼い始めた。
2世帯同居の家族で、嫁さんは看護婦さん。3人の子どもは、爺さん婆さんが見ている。
その上、犬を飼うというのだ。しかも、言い出しっぺは、その嫁さんらしい。
この前、そのワンちゃん「ラルク」に会った。
2ヶ月ちょっとしか経っていないのに、すでにうちのさくら(柴犬♀3歳10s)よりでかい。
躾はまったくしていないらしく(と言うより、方法がわからないんだとさ)やんちゃ放題だ。
嫁さんは犬小屋を洗うのに夢中。その横で、娘(3歳)がお漏らしをして、半ベソだ。
娘は母親にうるさがられるのが怖いのか、お漏らしを申告できないでいる。
母はいつまでもその娘に気付かなかった。なんだそれ。
婆ちゃんは、ウチの嫁は家事も育児もしないのに犬まで飼って、とぼやいているし、
爺ちゃんは、「ラルク」という犬の名前を口に出すのに四苦八苦している。
そんな家で暮らす犬は、果たして幸せな一生を送れるのだろうか。
さて、うちのさくら姫が来てから、丁度3年になる。
始めの1年は、家族も家もみんな傷だらけになって、大人5人が疲れ果てていた。
昼間は下痢やおしっこを一日中拭いて歩き、夜は夜泣きするのをこらえて、
ひとりで寝る練習をさせるのも、厄介だったけど、今ではいい思い出だ。
彼女は今、我が家で育って幸せだと感じているだろうか。
一度でいいから、本音を聞いてみたい。
そして、直せることがあれば、改善してやりたいと思うのだ。
少なくとも、家族はみんな、彼女に癒されているのだから。


11月3日 文化の日

中島演劇堂に仲代達也の「セールスマンの死」を見に行った。
演劇には疎い。
経験と言えば、半年ほど前に、地元劇団の創作「アマデウス」を見たくらいだ。
そんな私には、無名塾の舞台、そして、この作品は随分長く、重かった。
一幕が終わったとき、体がこわばってしまい、大きく伸びをした。
休憩に飲んだ二口のウーロン茶で、幾らか正気に返った、と言う感じだ。
そして、二幕が終わったとき、私は完全に腑抜けになっていた。
足腰がフラフラだった。
それに引き替え、役者達はというと、舞台で鳴り止まぬ拍手を聞いて、光っていた。
キラキラと言うより、ギラギラと。
これまで、生の舞台を見る、というのは、それが音楽でも、演劇でも、舞台から刺激を受ける、
つまり見る側の人間がリフレッシュするモノだと思っていた。
例えば、「アマデウス」を演じた風李一成などは、演技を終えたその瞬間、
こちらの満足感と引き替えに、一瞬とても素に戻っちゃったようで、
なーんだ、飲み屋で会った時の方が役者じゃん、などと思ってしまったものだ。
ところが、今日の役者達は、違った。
満席の観客からエネルギーを吸い取って、舞台で発散したと同時に、
吸い取ったエネルギーを確実に自分のモノにしてしまった。
とにかく、私は満足を通り越して、憔悴しきっていた。
なんだか、凄いモノを見てしまった、という感想だけを持って、中島を発った。
役者は妖怪なのだ、と思う。
人はきっと、その尋常ならざる様を見るために、昔も今も劇場に足を運ぶのだろう。


11月2日 エリート

土砂降りだ。
雨は嫌いだ。気が滅入る。
入社して丁度1ヶ月経ったある男が話しかけてきた。
以下、会話の記録である。私は機嫌が悪い。

「ネタないですかぁ〜、いいネタ」
「は?それを探すのが記者の仕事でしょう」
「いや、まぁ、そうおっしゃらずに、教えて下さいよぉ〜」
「じゃぁ、どんな分野ですか。私は市民運動には少しつてがありますが」
「え、僕はどちらかというと、市民運動を取り締まる方がいいんですけど〜」
「は?市民運動を取り締まる?何言ってんですか、あなた」
「いや、デモとか、そういうの、規制って言うか、防止っていうか…」
「その発言、不愉快です。あなた一体何を意図しているんですか。勘違いしてませんか」
「あのぉ、そーいうの、学生の頃から関わってらしたんですかぁ?」
「は?そんなの、どうだっていいじゃないですか。質問に答えて下さい」
「いやぁ、役所の発表モノ書くのにも、飽きちゃいましてねぇ」
「そういう、公式な広報ルートを持たない市民をサポートするのもメディアの役割ではないですか」
「うわぁ、素晴らしい〜」

彼は27歳。東京大学法学部という所を出られた、日本が誇る「秀才」だ。たぶん。
でもアホだ。これだけは、間違いない。
職場にはもうひとり、同じ所を出られた人が居る。彼も27歳だったか。
その人はかつて私と意見が対立した日の晩、「あの訳知り顔の小娘がぁ」と言い放ったそうだ。
それも、私と極めて仲の良い人の前での発言というのだから、かなり笑える。
東大というところを出た人間には、正しいケンカの仕方も知らん奴が多くて困る。
上野千鶴子は、遙洋子にケンカを教えている場合じゃないだろう。まぁ、それはいいとして。
彼らは幸か不幸か階級に支配される。
上司がこう言ったから、先輩がこう言ったから、みんながこう言ったから、と。
きっと数学の公式も、「教科書に書いてあって、先生がそうだと言うから」と覚えられたのだ。
わたしは、いつまでもその理屈を考えて、結局ひとつの公式も覚えられなかった人間だ。
やっぱり、そんな私には、会社勤めなんて向いていないのか?
今のところ「勝ち組」にいる東大出の連中、おっと、皆様を見ていていると、ついそう思ってしまう。
そういう社会なのかなぁ、この国は。
しかし、どうしても、あいつらに負ける気がしないのは、どういうわけだ。
その理由が知りたいと、心から思う。