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2000年10月のお嬢(上)


10月15日

「BIG APPLE IN NONOICHI」当日。
今年は秋吉敏子さんという、超ビッグなゲストがやってくるということで、大盛況だ。
彼女は満州で生まれ、ピアノの魅力に憑かれたように1956年に単身渡米。
70歳を越える今では、押しも押されもせぬ、世界に誇るジャズピアニストである。
そんな彼女が、渡米から3年を経て作曲した「LONG YELLOW ROAD」という曲を、
地元のアマチュアビッグバンド「Moonlight Jazz
Orchestra」と演奏した。素晴らしかった。
秋吉さんはピアノを弾いたり、指揮をしたりと、ステージを所狭しと駆け回った。
彼女の手はまるで、昔コメットさんが持っていたステッキだかバトンのようで、
指揮をする度、その指先からキラキラと小さな星が舞い、そしてバンドは生を受けた。
この曲は、人種のるつぼだと思っていたアメリカで、それぞれの人種は決して
ただ溶けあっているわけではない、と気付いた後、日本人、そして黄色人種のために
作った曲なのだ、と彼女は話していた。
彼女はそれ以上言わなかったけれど、その道のりの険しさは、曲を聴けばわかった。
というより、想像もつかないほど険しい道のりだったということがわかった、という方が正しいか。
なにくそ、負けるもんか。
何度もそうつぶやいて、歯を食いしばり、血がにじむほど唇を噛みしめて、涙をこらえ、
彼女は生きてきたのだろうと思う。
なんだか、その生き様がうちのばぁちゃんとだぶって見えた。
満州から3人の子供を連れて引き揚げた後、シベリアに抑留されたじぃちゃんが戻るまで、
女手ひとつで家族を守り抜いた彼女が、夜行列車でアメ横に酒を仕入れに出掛け、
金沢で最初と言われる洋酒バーを開いたのは、秋吉さんがアメリカに渡った翌年のことだ。
そんなことを考えながら演奏を聞いていたら、「銀色の道」という歌を思い出した。
「遠い遠い はるかな道は 冬の嵐が 吹いてるが」。
春は来たのだろうかと、ふと思う。


10月14日

夜な夜なライブに出掛ける。
明日の「BIG APPLE IN NONOICHI」を前に、NYからやって来た出演者が、
STICKSはじめ市内各所で、Jam Sessionをするというのだから、行かない手はない。
STICKSに足を踏み入れると、マイルス・グリフィス(Vo)がマイクをくわえて吠えていた。
なんちゅーテンションじゃ。彼はヴォーカリストという楽器だと思った。
背は私より低いくらいで、ガト−ショコラのように艶のある褐色の肌、
そして、服の下にバスケットボールでも入れてんじゃないか、というような腹を携えた
彼から出てくる音、声、表情、オーラetc…そのすべてがJAZZだった。
とても日本人にはかないっこないわ、こりゃ。
生まれ変わったら歌手、なかでも黒人のジャズシンガーになりたいなぁ、というのは、
「なっちゃんは歌がちょっとねぇ」と言われて音楽の成績が「4」になって悔しがった
子どもの頃からの夢だったけど、こんな夜には、改めてそんなふうに思ってしまう。
と、ふわぁ〜っとした気分になっているところに、新たなミュージシャン登場。
来たなり「前の店にコードと時計忘れてきてもぉた〜」とあたふたするその人、
NY在住のギタリスト、
井上智に一目惚れしてしまう。
その表情、その声、その言葉、瞳、指先、腰つき、立ち姿……
40歳を過ぎてなおにじみ出る、あの愛くるしさはなんなんだ。そして、色気満開。
そのカラダすべてが「色気」で出来ている人、というのが日本人にもいるのだ。
何よりあのギターから聞こえてくる色気には、完全に参ってしまった。無条件降伏。
しかも、演奏中の声まで聞こえてしまうだなんて。
この声も今夜の音楽の大事なソース。
大きなホールでのコンサートでは到底味わえない喜びを心の底から噛みしめる。
あ〜、わたくし、全身粘膜化。毛穴開きっぱなし。足腰立ちません。
気持ちよすぎて、目を閉じてその音に聞き入ってしまいそうだったのだが、、
もうひとりの私が、そんなもったいないことをしてはなるものか!!!と言うので、
目をかっ開いて、ずーっと彼のすべてに見とれておりました。
まさか1メートルちょっとの距離で、こんなお方を見られることになろうとは、
わたくし、運が良いにも程がございますわよ。
別の人のソロでも、ずーっと彼に見とれていたわけだから、まったく失礼なやっちゃ。
しかし、それもまたよかろう。私が許す。
最高のJAZZといい男。これ以上に何が要る?こんな贅沢な夜も他にないやろ。
……なんていうと、一緒に来てた連れが怒るかな。怒るよなぁ。


10月13日

「ナージャの村」はどうやら、赤字を出さずに済んだようだ。
と言っても、みんな、少しずつ、かぶっているだろう、たぶん、いや、絶対に。
私もチケットを何枚か買い取っているし、食事を出してくれた人、場所を提供した人、
そして、何より、みんなが限られた時間を犠牲に、いや、自ら進んで提供した。
それは当然というか、当たり前、というか、暗黙の了解、というかなんというか、
そういうのがあるから、市民運動って成り立っているのだと思う。
±0になるからといって、各イベントの実行委員会どうしでチケットを物々交換していても、
イベントは成立しないのであって、そこが不思議であったり、苦労であったり、
それでも、どういうわけか面白かったりして、やめられないわけだ。
でも、そういう理屈をわかってもらえないことも多い。
今回、ある人に「タダ券くれ」と言われたとき、私は丁重にお断りをした。
その人はきっと私を、ケチくさいヤツだと思ったことだろう。
だけど、私はその人に知って欲しかったのだ。
これといった見返りもないのに、時間と労力を惜しみなく費やす人々がいるということ。
そして、そこまでしてその人たちが見せようとする映画って何だ?と想像力を働かせることを。
実行委員のある人は、別の集まりで「関わっていること、ちょっと整理したら」と言われたと、
気に病んでいた。要するに、「ウチの活動に専念しろ」と言われたのだ。
彼女は、色々なところで色々知ることこそが私の整理の仕方だ、と言っていた。
私も同感。顔を出したいときに手伝える、疲れたときにはお休みできる、そういうのが、
市民運動が長続きする秘訣なんだろうと思う。
私は幸い、どこに行っても、そういう集まりに出会うことが出来ているような気がする。
なんか、このまま来年の秋ごろに「『アレクセイの泉』上映実行委員会」とかやってそうで怖い。
まぁ、それはそれで、イイとしよう。いや、絶対、楽しいに違いない。
と、そんな気になる、最後の実行委員会だった。


10月12日

「孫助」に行った。
またか、と思われてもいい。今度はお兄さんの店。それも、ランチである。
「兄貴は洋食屋で修行したんや」と聞かされては、やはり、
以前から気になっていた洋食メニューを食わねばなるまい。
無類のエビフライ好きである。やっぱり、エビフライ定食(¥1000)を頼む。
これがまた、あんた、美味いの何のって、頭クラクラ、足フラフラ、なのである。
いや、見た目もフツー、付け合わせもフツー、何もかもフツーというより、むしろ、
田舎臭いっちゅーか、泥臭いっちゅーか、一昔前の定食屋かお総菜?という風情。
ただし、凛とした空気は漂っていたけれど。
これが、ひとたび口に入れたらもう、しばし遠い世界に行ってしまうような味わい。
少し濃いめに色づいた衣は香ばしく、塩コショウでうすく下味がついたエビからは、
フワァ〜っと海の香りが広がり、身はプリプリ、うま味がジュワァ〜ってなわけで、
しばし言葉を失った。嘘ではありません。とにかく、食ってみて下さい。ほんと、まじ。
で、このあと、近くにある喫茶店に初めて入ってみたところ、そこのカウンターの奥には、
1個30万円という真空管アンプが2個鎮座ましまして、壁に目をやると、
そこには1個40万円という、どでかいスピーカーが2個はめ込まれておりました。
ハァ〜とため息をついておったら、マスターがクラプトンを大音量でかけてくれました。
別のお客さんが来るまでの数分間、しばし、また遠い世界に行っておりました。
最近、浮き世離れすることが多くて、いけませんな。まったく。


10月10日

「孫助」に行った。
長町の鞍月用水沿いではなく、その弟さんがやっている、犀川沿いの店。
決して腹ペコではなかったので、2,3品だけ頼んで、連れとチビチビやっていたら、
突然数人の客が、なぜが板場から現れて、ザラザラザラ、っと何かをまな板に出した。
おうおう、と言う親父さんを見ると、こちらもカウンターから体を乗り出したくなる。
そこにいたのは、10センチ足らずの、小さな小さなアユ。
たった今、犀川で取ってきたんだ、と言っていた。正直、驚いた。そんなのありなのか。
よく知らなかったのだけど、それは「落ち鮎」といって、川を上りきった後、力尽きて、
上流から落ちるようにやってきたアユなんだそうだ。
親父さんは、面倒くさい、と言いながら、愛おしげに、その小さな小さなアユをさばいていった。
あるものは串に刺して焼かれ、あるものは「そろばん」、つまりぶつ切りにされて、刺身になり、
大根おろし和えになり、そして、白子は「うるか」になった。
小さなアユだから「そろばん」にするのも、骨ごとだ。
その音は、ハモの骨切りの音によく似ていて、親父さんが一定のリズムで紡ぎ出すその音は、
まるで、バイオリンの最高音を指ではじいたような、そんな音だった。
私たちはそうやって、切られ、焼かれた落ち鮎を、頭から骨から、何から何まで平らげた。
「ナージャの村」に出てきたお婆さんは、とてもかわいがっていた山羊が犬に食い殺されたとき、
「もうミルクも飲めやしない。その上、肉まで食っちゃって。淋しいよ」と何度も嘆いていた。
別のおっちゃんは、毎日毎日ブラシをかけて大切に育てきた豚を、丸焼きにした。
そして、それを皆でとてもおいしそうに、この上ない幸せな顔をして、食べるのだ。
映画を見た時は、なんて皮肉なんだろう、と笑った私だったけど、この落ち鮎を前に、
ようやくその意味が分かった気がした。
あの激しい川を上りきって力尽きた鮎の刺身は、とても誇り高い、気高い香りに満ちていた。
「香魚」と書いて「アユ」と読むのだ、と連れが教えてくれた。
私はこの日を、この味を、一生忘れないと思う。


10月9日

昨日つけたカーテンは、安物なんだけど、遮光機能付きでホテルのみたい。
朝方になって、眠ろうと思って電気を消した後も、外の明かりが入らず真っ暗。
で、昼になって目が覚めても、部屋は薄暗ーいまま。
なんか、すごく、居心地のイイ空間をGETしたようで、とても嬉しい。
家族は「あれじゃ一生寝てるわね、あなた」と冷たかったが。


10月8日

改修工事でレールが取られて以来ずっと、簾を立てかけていた部屋に、
念願のカーテンがついた。
親父と2人でわっせわっせと作業する様は、めちゃくちゃ理想の父娘の図。
夜、新しく始まった東芝日曜劇場「おやじぃ」をこれまた一緒に見る。
頑固オヤジ役は田村正和で、やんちゃな次女(広末涼子)が突然嫁に行く、
と言い出すという、まぁ、よくありがちな展開のドラマ。
親父は田村正和が何かとしゃべる度に、細かく細かくうなずいておった。
なんか、困るんだよなぁ、こういうの。
しゃべること、ますます無くなっちゃうじゃん。


10月7日

有意義な休日。
深ーい眠りから昼頃目覚めたあとの昼飯は、
「レンガ亭」でお気に入りの「車エビフライタルタルソース」。
それから、ただただ何の目的もなく、思いつくままパソコン屋&本屋めぐり。
久々こんなにゆったりした気分になれたのは、ゆうべ聞いた室内楽のせいかな。
アンサンブル金沢の面々が揃ったコンサートだというのに、客は30人ほどしか居なくて、
その内10人ほどは外国人。君らは奏者のファミリーかい?
とにかく、貸し切りのプライベートコンサートみたいで、なかなかいい気分。
とにかく面白かった。生まれて初めて聞いた「眠くない室内楽」。
それぞれの個性を最大限ぶつけあいながら、それでもひとつの音楽になってる様は圧巻。
これまで室内楽をオーケストラやオペラと規模だけで比べて、バカにしていてごめんなさい。
たぶん、そう思ってる人が多いから、あんなにもお客が少なかったんだろうなぁ。ちと反省。


10月6日

うちの親父はもう随分長いこと役所でライフラインを管理する部署にいるから、
台風や豪雨の晩などは、必ずと言っていいほど家にはいなかった。
私はバイトとはいえ、報道機関にお勤めの身。
万が一大地震なんかが起こってしまえば、2人はしばらく家には帰れないだろう。
家に残るのは母と妹と祖母と、犬。
父の居ない、女だけの豪雨の夜は、慣れてはいるとはいえ、今でも怖い。
ましてや、地震など、いまだかつて経験したことのない災害だ。
なのに、備えはないに等しい。
今日鳥取であった地震も、遠いところの出来事、と家族みんなが思っている。
でも、そう思っていた神戸に、鳥取に、島根に、大きな地震はやってきた。
ふと、神戸市の助役が震災復興に携わる中、火だるまになって自殺したことを思い出す。
あの人はどうして死んだのだろう。
家族はどうしているのだろう。


10月5日夜

髪を切りに行った帰りに、久々ひとりで夕食をとる。
日系ブラジル(?)人のおばちゃんが作ったエビとアンチョビのパスタを食っている間ずっと、
隣に座った女が、男にビールを注がせながら、大声でしゃべくりたおしていた。
なんでも、結婚式の司会の相場は、5万くらいが妥当だそうで、板東英二の講演のギャラは100万円、
郷ひろみのディナーショーになると1本、つまり1000万なんだとさ。
女のつまらんギョーカイ自慢に飽き飽きしてたおばちゃんは言った。
「キッシンジャーの講演は高かったそうだよ、ヘンリー・キッシンジャー」
「へ?仮面ライダー?」
って、おい。
どーやったら、キッシンジャーが仮面ライダーになるんじゃい。
氏について名前以上のことは詳しく知らない私も、とりあえず吹き出してしまった。
おばちゃんが「ニクソンの側近だったスゴイ外交官よ」と言うと、女はすかさず、
「じゃ、日本で言うと、小沢一郎ね!」と晴れ晴れとしたお顔でのたまいやがったさ。
ふーん、そうなのかぁ。
なんか、よくわからんけど、とっても新しいことを聞いたような気がするのは、気のせいか。
うん、気のせいだ、ということにしておこう。
で、キッシンジャーって何やった人だっけ。検索、検索。


10月5日

数日前仕事で少しトラブった。原因はわからない。
対応策を練り、別の人に引き継いでおいたのだが、今日まで未処理のままだったので聞いてみると、
「私はちゃんと処理してたから、そんなこと起こるわけがない」とだけ言って、いなくなった。
私は別に犯人探しをしようとしたわけではない。ただ、問題を解決したかっただけなのに。
そのすぐ後に、同じようなトラブルを招きかねないその人のミスを見つけてしまい、気が滅入る。
こうなってくると、もう、何も言う気が起こらない。
その人は、この先もずっと、事あるごとに「私はちゃんとやりました」と胸を張るのだろう。
私には、そんな自信はこれっぽっちもない。そんな自信など、一生欲しくない。


10月4日

「年増の厚化粧」。
父はキンモクセイの匂いを嗅ぐたび、そう言って顔をしかめている。
遺伝だか、刷り込みだか知らないが、私もあの匂いが嫌いだ。
10月の声を聞くと、まるでカレンダーを見ていたかのように匂いだし、
遠慮もなくズカズカと人の生活に踏み込んでくる、その図々しさがたまらなくイヤだ。
外出から帰って、ようやくその匂いから解放されたと思ってホッとしていたら、
新しいアルバイトの娘がやってきた。
ひどくきつい匂いの香水を付けた女。
この狭い職場に、安っぽい娼婦のような匂いが充満して、瞬時に吐き気を催した。
TPOをわきまえられない人間にお洒落なんかする資格はない、と思った私の傍らで、
まんざらでも無い、といった表情を浮かべている同年代の男を見て、ますます吐き気を催した。


10月3日

朝夕と、犬の散歩。昼は小1時間ばかり、プール。
プールの後の昼寝の気持ちよかったことと言ったらもう、あんた、極楽さ。
と思ったら、夜、眠れなくなって、結局翌朝(4日)寝坊した。ああ。


10月2日

それにしても、痩せない。
節食しても、節酒しても、一向に痩せる気配がない。
このままスキーシーズンに突入すれば、必ず骨を折ることになるだろう。
最近だんだん切羽詰まってきて、遂にプールで泳ぎ始めて、今日が2回目である。
みな、私の突然の思い付きを、気味悪がっている。
いつまで続くのだろう。
いや、しかし、それにしても、痩せない。
このまま短いスカートやブーツを履けないまま、一生を終えるのだろうかと思うと、
何だかとても悲しい。
でも、そのために、飲んだり食ったりを我慢するというのは、もっともっと悲しいのだ。
……と、こんなこと言ってるうちは、絶対痩せないような気がしてならない。
とか何とか言って、プールの帰りに焼き肉を食ってしまった。ああ。


10月1日

今日は「ナージャの村」上映会。
偉そうに上映実行委員を名乗りながらも、実はこの映画を見るのは初めてだ。
そのうえ、不覚にも数回居眠りをしてしまった。まったくもって失礼極まりない。
それでも、監督自ら「居眠りしちゃってイイんです」と言っていたから、まぁ良しとしよう。
監督は、上映後の講演で、撮影を進めるうちに村人たちが次第に演技するようになり、
果たしてこれがドキュメンタリーと言えるのかどうか悩んだのだ、と言っていた。
でも、結局はカットすることなく、彼らのそのままの姿が映画となった。
そうなんだと思う。
人間は、その時々の状況に応じて、演技もすれば、嘘もつく。
それが偽りの姿か、と言えば、そうではなくて、それも含めて、本当の姿なんだろう。
でも今「じゃあ、今いるお前は、本当の姿なんだな」と問われれば、私は「否」と答えるに違いない。
それもまた、己の真の姿なり、ということか。