home もどる つづく

2000年10月のお嬢(下)


10月31日 ダメな会社

10日ほど前、ウンポコの営業日誌を読んで、お気の毒にねぇ……と思っていた。
そう、協栄生命の話。
今日、郵便受けを見たら、協栄生命からの封書が届いていた。
中身は分からなかったけど、たぶん、そういうことだろう。おそらく。
宛名はうちの両親だが、全部カタカナで書いてあった。しかも、小汚い字で。
なんか、無性に腹が立ってきた。
安っぽい、薄っぺらなスケスケの封筒で、しかも、宛名がカタカナだ。小汚い字で。
あー、むかつく。
「そういう」知らせを寄こしてきたんでしょう。おそらく。
社員の方も、「そういう」知らせをしたくは無かったでしょう。
それでも「そういう」ことを説明する文書を顧客に送る事態になったとき、
少なからず、申し訳ないな、という気持ちになるでしょう。
そしたら、あんないい加減な宛名書きはできなかったでしょうと、ホントに腹が立った。
きっと顧客のことより、自分たちの将来と、自分たちの業務の簡略化しか頭にないのだ。
別に綺麗な字で書け、と言っているわけではない。
でも、コンピュータから出力された、カタカナの名簿をそのまま宛名書きに使ってしまう、
そういう顧客に対する傲慢さが、今の事態を招いたのだっちゅーことを知れ。
まあ、うちはかけ捨てだったようだから、大して損害もないようだが、
うちの親も「あそこの幹部はホントにアホ面だった」とプリプリしていた。
そういえば、雪印の食中毒事件が起きたとき、被害者に謝罪の電話を入れたのは、
会社が委託した派遣会社の人だったそうだ。
今回も、宛名書きのバイトさんが雇われたのかなぁ、なんて思ってしまう。
たぶん、いや、きっとそうだと思う。


10月30日 休息

起きたら昼の3時半だった。
先日来の風邪が良くならないので、前の晩に薬を飲んだせいだとは思うが、
要するに疲れていたのだろう。
ようやく、カラダがホッと一息ついたような、そんな感じだ。
なんだか、数年前とは違って、新しいことに取り組む際のエネルギーが足りない。
決してやる気がないのとは違うのだが、パワーの源が足りないのだ。
足りないことに気付かず、というか、気付かない振りをして昔の勢いで色々やっちゃうと、
数日後に必ずカラダがへばっている。いかん。まだ20代だぞ、わたし。
学生の頃なんか、こんな日でも、部活をして、バイトをして、朝まで飲んで、また部活…
その繰り返しだったのに。
まぁ、それが変、という見方もある。たぶん、その方が正しい。それが若さというものだ。
でも、かつてしていたことが出来なくなる、というのは、やっぱりちょっと淋しい。
もうあの頃には戻れない、ということがわかっているから。
ま、わけのわからんノスタルジーより、体調を整えるのが先決か。
戻れないなら、進むしかないのだから。
今日、明日と、ゆっくり休もう。ゆっくりと。


10月29日 長女のぼやき

例によって家族揃って東芝日曜劇場「オヤジぃ」を見る。
今日の主役は長女を演じる水野美紀。長女の反乱、ってなわけだ。
成績はいっつもトップクラスで、お行儀も面倒見も良くて、家族の信頼を集めるお姉ちゃん。
はいはい!ここにもいます!そーいう人!ここです、ここ!
と思ってしまった私は、すでにTBSの戦略にはまっているのだろう。
彼女は妊娠4ヶ月。相手はどこのどいつやら。産むか堕ろすか、ここのところずっと悩んでいた。
それでも、家では彼女はいいお姉ちゃんとして、みんなの面倒事を一生懸命処理してた。
でもある日とうとう、彼女はキレた。
もううんざりよ、いい加減にしてよ、と声を上げ、妊娠を告白し、そして家を出る。
兄妹たちそんな彼女の姿を容易には信じられない様子で、彼女を止め、理由を尋ねる。
お姉ちゃんはこう答えるのだ。
あなたたちが生まれたとき、家族みんなの愛情が奪われるんじゃないかと、不安だった。
そうならないために、いい子にしてたんだ。そうならないために、勉強も、お手伝いも、
誰にも負けないように一生懸命やってきたんだ。でも、もういい子で居るのはごめんだ、と。
なんで私がこんなことを書くのかというと、それはまた話すと長いのだけど、
これ以上書けそうもないから、ここまでにしよう。
何が言いたかったのだろう、わたし。
字に出来ない思いは困る。


10月23〜25日 特別企画

「旅日記〜秋吉敏子トリオwith井上智ツアー追っかけ編」(…は、まだ工事中)


10月22日 青空ビール

昨日はSTICKSの後、「Fan Fare」で3時過ぎまで飲んでいたような気がする。
っていうか、あんまりよく覚えてないけど、とてもいい気分だった。
そのつけが回ってきて、日曜出勤は地獄のような辛さ。
そのくせ、昼間っから仕事をさぼって迎え酒。新天地でお祭りをやるというのだ。
「新世界」とか「新開地」とか、どうも「新○○」って、怪しいイメージを持ってないですか。
今となっては、とても居心地の良い町のひとつだけど、私もはじめはそう思っていた。
思えばあそこに初めて足を運んだのは、4年前のちょうど今頃。
ちょっとアウトローな気分に酔いしれて、いい気になるには丁度いい場所だと思っていた。
「『新天地』で飲んだ」と話して、家族にとても不審な目で見られて、ほくそ笑んだ覚えがある。
あれから、色んなことがあった。本当に。
漠然としたイメージだけど、あまり良いことはなかったような気がする。
だからかどうかは知らないが、私も変わったと思う。良くも悪くも。
最近巷で秘かにブームとなっている「営業日誌」を書く
ウンポコのマスターに手を振ると、
この日記の感想を言ってくれた。「あんたもきついっちゅーか、なんちゅーか、ごにょごにょ」。
結局、評価のほどはよくわからなかったというのが、正直なところ。ごめんくさい。
でも、こんな駄文を読んでくれている人がいるというのが、とても嬉しい。
「詩集みたいで、いつものキレがない」と言う人、
「お前は『普段明るく、歌暗い』中島みゆきか?」と言う人、
「君には物書きの素質がある」と言う人。みなさん、本当にありがとう。
青空の下、新天地の路上で生ビールを飲むだなんて、考えたこともなかった。
でも、考えてもなかったことが実現する様を見るのは、とても嬉しい。
なんか、「夢」とか「可能性」とか、そういう月並みな言葉が思い浮かんで、
照れくさくなってしまった。酔っちゃったかしら。
そんなことを思っていたら、夕方から冷や汗やら脂汗やら、動悸やらでひどい思いをした。
昨日からの酒の逆襲じゃ。若くはないわね、私も。


10月21日 カリスマ

秋吉敏子さんのインタビュー記事が新聞に載ったので、早速「
STICKS」に持っていく。
偶然そこには
MJOのメンバーが5、6人座っていて、カウンターには既にその新聞が
立てかけられ、みんなでそれを眺めて恍惚の人になっていた。手を合わせてる人までいる。
打ち上げをやってもやっても、打ち上がらないのだそうだ。
さて、ということで、15日のステージを撮影したビデオ上映会の始まり、始まり。
社長、と呼ばれるバンドマスター(なのかな?違ってたらごめん)は、
秋吉さんの指揮のひとつひとつを暗記してしまっているようで、
「トシコがこうするぞ」「トシコがあぁするぞ」と身振り手振りを交えて予告しながら、
でっかい声で実況解説をしてくれる。
あとのメンバーはみんな、今にもよだれが垂れてしまいそうなだらしない顔で、
ニヤァ〜っと画面を眺めていた。
数人いた他の客ははっきり言って引いていた。かなり。
途中、初めて来た、と言う人がパスタを食っていたが、もう2度と来ないかも知れない。
そんな異常な盛り上がりだった。
はっと気が付くと、私の口も開いていた。
しかも、あとちょっとでよだれが垂れるところではないか。まずい。はまっている。
そんな調子で日付が変わってしばらく経つまで、結局3度も同じビデオを見た。飽きることもなく。
私は、たった1人で皆をこれだけ狂わせたカリスマ「トシコ」にもう一度会いたくなった。
来週はツアーの最後、東京での公演だ。
ダメ元で「行きたいなぁ」というと、いとも簡単に「行ってくれば」と社長が言う。
社長はというと、上京資金を獲るつもりで行ったパチンコで勝ってしまったら、
それだけで満足してしまって行く気が失せた、と言っていた。なんじゃそれ。
そういうわけで、私の追っかけ計画がにわかに動き出した。おもろいことになりそうだ。