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2000年8月のお仕事日記(上)


8月1日 葉月でござる

ちょっとちょっと、8月になっちゃったわよ。
むせ返るような暑さのせいか、はたまた、ふっと吹き抜ける秋の匂いのせいなのか。
どうも、焦りで心身ともに不健康になっていくのがよく分かる。
子供の時もそうだったよ。
夏休みなんて、楽しいのははじめの10日間くらいだけ。
家にいたって、ラジオ体操に行けだの、お手伝いしろだの、うるさいったらありゃせん。
何で休みに早起きしなくちゃいけないんだよぉ、何で自発的にするべき「お手伝い」を命令されるんだよぉ、
などと、屁理屈をこねようもんなら、鬼母に「だったら何処にも連れていかないわよ」などと脅される始末だ。
大人なんだから、夏休みの子供相手に取引なんてやめなさいよ、まったく。
なーんて事を思っていた可愛げのない小学生だった私は、
唯一の趣味ともいえるエレクトーンの発表会に向けて、ひとり黙々と練習に励むのでありました。
毎年、実力以上の曲を渡されながら、8月にはいるまで一切手をつけずに放っておいた挙げ句、
迫りくる発表会と積み上げられた宿題に追いつめられる夢まで見て、日に2時間3時間と練習していたわな。
朝イチで弾いて、飯食って弾いて、昼寝して弾いて、晩飯食って弾いて、で、寝る前にも。
そんなこんなで、ステージ前は半日くらい、ずっと楽器の前にいたものだ。
迂闊にも5月か6月のいつだったかに「今年は出演します」などと自ら申し出てしまったことを後悔しつつ、
自分の8月が20年前と何ら進歩していないことを嘆いてみる。


8月5日 若者たちと飲む夜

高校の部活のOB会に出かける。
何を隠そう、私は幹事だ。
どういうわけだか、昔から面倒事を押しつけられて、断れない。
これも「地元にいるヒマ人」などという、理不尽な選考理由で押しつけられた役だ。
何試合かこなした後の、現役高校生たちとの懇親会。
彼らは、汗まみれになった私たちを、まるで汚物にまみれた醜い生き物を見るような目で、
少し離れたところから見ていて、決して話しかけてはこなかった。
高校生と別れ、夜の街に繰り出した私たちは、つかの間、楽しい酒を飲んだ。
でも、気が付いたら、今度は私ひとりが、その醜いものに化けていた。
悲しくて悲しくて、一晩中泣いていた。


8月6日 ヒロシマ

ひどい2日酔い。
水を求めて目が覚めた。
テレビは今日が広島の原爆忌であることを報じている。
初めて見た慰霊式。
彼らは水を求めて死んでいった。
私は何杯もの水を飲んでは、それを吐く。
死にたいなどと、つまらないことを口走りながら。
きっと、誰かが私を叱るのだろう。
だけど、誰が私を叱るのだろう。


8月8日 立秋

立秋だってさ。早いねぇ。
アナウンサーって奴らは、必ず「暦の上では」って言うんだよな。
でも、現実には暑いわけで、暦なんてこの際無視しちゃったらいいのにね。
もー、昼飯に「スタミナ定食」なんか食べちゃったよぉ。
何がどーなったって、8月は暑いんだからさぁ。ったく。
と、強がってはみるものの、甲子園が始まる、と聞くと、
このクソ暑いにも関わらずやっぱり秋を感じてしまう。
いや、これって、絶対刷り込みだよな、そうだよな。
こんなにお日様が照っているのに、秋なんて来るわけ無いよねー。
それにしても、なんでこんなに夏の終わりが寂しいのか、
なんでこんなに必死になって秋を否定しているのか
自分でもさっぱりわけがわかんないけど。


8月12日 ご縁

別れた男と厨房に立つ。
モヤシのヒゲを取るか取らないかで議論になる。
モヤシのヒゲは時間の許す限り取り除くべきものだ、と言う私。
そんなもんどうでもいいじゃないか、と言う男。
結局彼は「ヒゲ取り以外の仕事なら何でもやる」と言って、別の野菜を切った。
思えばあの頃、私たちにはそんな議論さえなかった。
衝突も理解も納得も妥協もないままに、ふたりの関係は終わった。
でも、それで良かったのだろう。
モヤシのヒゲひとつで赦しあえないふたりの先など、所詮知れたものだ。
衝突してばかりいる別の男と、最近一緒にモヤシのヒゲを取ったことを思い出して、
心からそう思う。


8月13日 処方箋

失恋直後だという友人が遊びに来た。
ひょっとして、傷心旅行か!?
しかし何を隠そう、私はこの手の相談が苦手である。
その辛さを知るだけに、言葉の「励まし」なるものの無意味さも知っている。
「男なんていくらでもいるってば」なんていう常套句など、
別れた男への愛やら未練やら恨みやらで万人がストーカーと化す失恋直後には、何の効果もない。
結局、彼女を温泉に連れていき、寿司を食い、酒を飲み、観光しまくり、土産を買いまくる、
という過酷スケジュールで引きずり回し、悩み相談の機会を意図的に奪い取ることにする。
結局、少しでも「あいつ」のことを考えないでいられるようにすることが、「友人」の役割ではないかいな。
「いや、わたしゃ、やっぱり聞いて欲しかった!」と言われたらどうしよう(笑)
まぁ、賛否両論あろう、ということで。


 8月14日 歯車

自慢じゃないが、結構運の強い人間だと思っている。
しかし、そうでない日もあるようだ。
観光の最後に東山界隈に向かった私たちは腹ぺこだった。
洋食の老舗「自由軒」で遅いランチを食べようと思ったが、駐車場探しに手こずる。
結局浅野川沿いに路駐し、店に着いたそのとき、14時48分。
店の看板は「ランチは14時45分まで」と告げていた。
おかしい。私の人生、こんな事は未だかつて無かったぞ。
10秒前の滑り込みセーフはあっても、3分差で飯を逃すだなんて。
仕方がないので、別の洋食屋を目指す。
玄関で「ステーキ丼1200円」の張り紙を確認し、入店。少し待たされる。
で、着席したそのとき、15時02分。
まさか。
「あの…ランチは…」
「はい、終わりました」
なんなんだ東山。私に恨みでもあるのか、おい。
もう2度と行くもんか、と思いつつ、「自由軒」への未練を断ち切れずにいる。


8月15日 歯車(2)

昨日からの運の悪さが、まだ尾を引いている。
わけあってスピード写真なるものを撮りに行って散々な目に遭う。
ひとつ目の機械では、なぜか1000円札を受け入れられず、仕方なくジュースを買って小銭を作った。
880円のおつり。
しかし、写真の機械には「500円玉は使用できません」とあった。
まじですか。
500円玉でお茶を買って、さらに両替して撮影に臨むが、出来上がった写真の顔は
疲れ果てていた上、上着を着ていないことに気付き、家に戻る。
縁起が悪そうな前の機械をさけ、別の機械を目指す。
投入しようとした1000円札は、なんと、2000円札ではないか。
また、コンビニでお茶を買う。
で、いざ、今度こそ。。
「はい、撮りまーす」という人工音声に従って、顔をつくり、はいポーズ。
いやいや、これで万事OK、と立ち上がったその時。
「はい、撮りまーす」。
え゛、まだ撮るんかい!!!
「はい、撮りまーす」
おい、いつまでやっとんねん、ぼけ。今度こそ終わりか?
機械とはいえ、先に「3回撮りますよー」とか言うのは義務だろーが!!!
おかげで、3枚のうち2枚は、ぎりぎりイスに辿り着いた、慌てふためいた顔の私が写っておった。
あまりにも情けないので、意地になってもう一度金を投入してしまった自分を慰める術は、何もない。
使用総額1900円。
どうにも再利用のしようがない9枚のアホ面だけが、手元に残った。


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