2000年8月のお仕事日記(下)
8月17日 イメトレ
ジミー・スミスというオルガニストの存在を教えてくれたのは、数日前に出張で来た、ある人だ。
その時聴いたCDを買おうと思ったのだが、何しろあの夜はかなり酔ってしまって、
ジャケットにネコのシルエットが描かれていたことしか覚えていなかった。
曲名どころか、ジミー・スミスという名前まで忘れてしまったのだから、始末が悪い。
レコード屋で30分ほど探すも見つからず、本屋で「ジャズ辞典」を開く。
私は基本的に電子オルガンを演奏する際、オルガンの音色を多用する。
だから、世にはオルガニスト、ってのがたくさん居るんだと思っていた。
ところが、幸か不幸か、著名なジャズオルガニストってのは、意外と少ないのだ。
よかった、何十人もいなくって。
辞典にのっていた3人のオルガニストの中で、1番最初に書いてあった「ジミー・スミス」の名を覚え、
レコード屋に戻るまでの道のり、ずっと、ブツブツその名を唱えながら歩いた。
数日来、見放されっぱなしのツキが戻ってきたのか、早速「The
Cat」を発見。
神様の音色を聴きながら、目を閉じて、ステージに立つ自分を想像する。
所詮無理なことだとわかっていても、それでも、そんな夢を見た。
8月20日 そして、舞台
2年ぶりに舞台に上がる。
リハーサルでさらっと弾き終えると、側にいた若先生から「ジミースミスって知ってる?」と声が掛かる。
ひょっとして、私の音、ジミーに近かった?などと調子に乗っていたが、やはり本番は辛かった。
その舞台の大きさに関わらず、いい加減な気持ちで舞台に立ってはいけないのだ。
そのことを思い知らされて、会場を後にした。
そして、もう、ステージには立つまい、とも思った。
予想していたとおり、ひどく疲れた。
それでも、ひどく腹が減って減って減りまくって、男にわがままを言った。
少し離れた所にあるステーキ屋で、すごく旨い肉を食った。
ふつうなら旨いものを食えば忘れてしまう嫌な感じがなかなか消えず、
浴びるようにワインを飲んでいたら、男が潰れてしまった。可哀想に。ごめんね。
8月26日 忘却
この数日の記憶がほとんどない。
ただ泣いていたことだけ、覚えている。
毎晩泣いている、と思う。
忘れてはいけないことだ、と思うのだが、やっぱり覚えていない。
仕方がないから、書きとめようとするけれど、
覚えていないから、書きようもない。
何も起こらなければいいのに。
何も無ければいいのに。
誰もいなければいいのに。
誰にも会わなければいいのに。
もう、無かったことにしよう、何もかも。
もう、終わりにしよう、何もかも。
8月27日 寿命
大牟田って、知ってますか?
4年半、福岡県に住んでいて、ただ1度だけ訪れたことがあります。
三池炭坑の閉山直後でした。
西鉄電車を降りて町に出たのですが、そこは静寂の世界で、
人はいるのですが、足音がしない、と言うか、すべての音が遮断されているような町で、
私はひとり、誰からも何からも見放されているような気持ちになりました。
あの町の人たちは、あれが当たり前なのでしょうか。
慣れてしまえばそんなものなのでしょうか。
そうやって、町も人も静かに死を迎えるのかな。
なんでこんな事を言うかというと、それは近所の夏祭りで「炭坑節」が聞こえてきたからです。
誰か、歌詞ぜんぶ知りませんか?