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2000年6月のお仕事日記(上)


6月2日 病院に行く

何かと忙しいせいか、どうも最近体調が思わしくない。
やけに汗をかいたり、息苦しくなったり、宇宙遊泳をしているかのように足下がふらついたり。
現世から離れていくような感覚が気持ち悪くて、仕事を終えてから電話帳で適当に選んだ医者に行った。
診断によると、我ながらかわいそうなことに、「ストレスが原因の自律神経失調症」だという。
幸か不幸か、私は見た目が丈夫そうなだけに、職場でも「元気だけが取り柄」などと言われる人種である。
精神安定剤を飲みながらの勤務だとは誰も信じまい。別にいいけど。
「最近こういう症状の患者さん増えててねぇ」と先生。
待合室には仕事帰りと思われる30代から40代の男性が入れ替わり立ち替わりやって来る。
「こころの時代」だなんて誰が言ったか知らないけれど、
「充実する」時代なのか、「病む」時代なのか、真意は如何に。


6月5日 久しぶりの「市民運動」

2週間ほど前、とある知人から「『ナージャの村』の上映実行委員会に入らないか」という電話を受けた。
で、今日はその第1回の実行委員会。
「ナージャの村」は、チェルノブイリ原発の爆発事故で甚大な被害を受けた地に、
今なお暮らし続ける家族の姿を写真家の本橋成一さんが追ったドキュメンタリー映画である。
(写真集しか見たことのない私が言うのは図々しいと承知の上で話すことを許していただきたい)
そこには原発「反対」も「賛成」もない。ただ、淡々と生きていく人間の姿があるだけだ。
「なぜ放射能に汚染された村に住み続けるのか」。
そんな疑問を忘れてしまうほどに、「いのち」のありようは鮮烈である。
会合には浄土真宗のお寺の奥さんをはじめ、教師、織物職人、ケーキ屋さん、新聞記者らが参加した。
話し合いは、まとまらないようでいて、それでもそれなりにまとまった。いい感じ。
一致団結する集まりは胡散臭くて嫌いだ。
「みんなちがってみんないい」(金子みすゞ)


6月6日 HP制作研修

本社の方針を受け、わがセクションも明後日からHPを立ち上げることになった。
制作を担当することになった私は、本社から派遣された指導担当者による研修を受ける羽目に。
この指導担当のオヤジってのがまたイヤな奴なもんだから、
実は数日前からマニュアル本で予習に励んでおった。
嫌いな奴にデカい顔をされないためには、とにかく先回り先回り。
一夜漬けで身につけたHTMLの基礎知識は、対オヤジ戦略としてはかなり大きな力を発揮し
「いやぁ、君にはもう教えることないよぉ。覚えが早くって僕なんて居なくたって平気平気、だいじょーぶ」
などと、ニヤニヤしておとなしくしておった。
そうかと思えば、ほかの人間にはさんざん偉そうな顔して、ありったけのささやかな知識をひけらかす。
瞬時に上下関係を嗅ぎ分け、弱きものには威張りたおす。

こんな奴が日本をダメにしてるんだ、あー、やだやだ。
オヤジは満足げなお顔をして、2日後にお帰りあそばされた。ご苦労さん。


6月8日 素人娘の投票行動(1)

全国の皆さん、こちらでは25日、衆参同日選挙が行われます。
プロレスラーの馳浩さんが参議院から衆議院にくら替え出馬することになったからです。
野中さんは馳さんに「君は謝らなくてもいいよ、党の決定だ」と、言ったんだそうです。
なんだかとってもこわいです。
参院補選告示の今日、わたくし、業務(と言っても、動員されたわけじゃなくてよ)で某元職議員の出陣式に行って参りました。
数少ない金沢の観光スポット、加賀藩主前田利家ゆかりの尾山神社に集まった支持者、推定平均年齢70歳。
たすき授与の儀式やら何やら、必勝特別神事(?)を進める神主さんの声が大音響で響きわたり、
みなで揃って柏手を打ちます。あぁ、やっぱりここって上ノ国、いや上の句に、違うって、神の国だわ。
(「かみのくに」って一発変換できないって、なんか嬉しいな)
炎天下で長老議員の誰かが倒れはしまいかと、余計なことも気になります。
で、その候補者の演説を初めて聞きました。
腹話術人形みたいな風貌のじいちゃん候補で、私は今まで悪口ばかり言ってきましたが、結構見直しちゃいました。
「この社会において、日の当たらない陰の部分にいる人こそ、政治の光を求めていると知りました」。
70歳すぎてようやく気付いたのか、おい、という批判はさておき、
その言葉を聞いたとき、あ、この人は政治屋ではなくて、政治家なのかな、と感じました。
と、いうわけで、選挙権を持って6年近くになりますが、今回は我ながらちょっと変わった投票行動に出そうな気がします。


6月13日 心躍る

総選挙の公示日である。
忙しくなるべー、と朝から気が重かったので、ダラダラ会社に向かった。
午前10時半出社。
珍しくボスがテレビの画面を見つめていた。いつもはその前で居眠りしているだけなのに。
なんだなんだ、とのぞき込んだそこには、政府専用機らしき飛行機が1機。
あぁ、そうか、今日は南北(北南?)会談の日。
と、何だか息が苦しくなってきた。
不安でも、恐怖でも、まして、悲しみでもない。
安堵にはまだ早すぎる、ともわかっている。
しかし私はあいにく、歓喜にはやる体を制御するすべを知らない。
甦る15歳の記憶。
ベルリンの壁が崩れたときと同じ、あの感覚。
人が社会を創り、人が社会を乱し、人が社会を・・・どうしていくのだろう。
参院補選、そして総選挙の投票日は25日。
一票の重みを改めてかみしめてみる。


6月14日 引っ越しですよ

わけあって、一時的に家出することになった。
ここにくるまで、ひと悶着もふた悶着もあったのだが、はなはだ腹立たしい内容なので、ここでは記さない。
新居は犀川を臨む高台にあって、そばには上るのにも下りるのにも往生する急坂がある。
この車社会にありながら、車の進行を許さない勾配を誇るこの坂は「御参詣坂」というんだそうな。
そういえばここから30分も歩けば、有名な禅寺があったわな。
拡張工事が進む近くの道路や、冷めたコンクリート建築の我が母校もなかった時代に、ここを歩いた修験者は、
「男川」と呼ばれる川の流れを聞きながら何を思ったのだろう。
私は時々、あの流れに飲み込まれてしまいたい衝動に駆られる。


6月15日 オモニの味

引っ越しの掃除を一手に引き受けてくれた「掃除大臣」が引越祝いに飯をおごってくれると言うので、
妹まで呼びつけてうまいと評判の韓国料理屋「オモニ」に行った。
いや、それにしても、すごい活気。客の数だけが理由ではない。親父さんの機嫌がいいのだ。
南北会談があったからだな、と直感したが、聞けなかった。
そんなわけないだろ、と言われるのが怖かったからだ。
再び店が混み合ってきたためカウンターに移るように頼まれて、ホイホイと席を替わったら、
親父さんが「君らが居れば21世紀は大丈夫だ!」と声高らかに言った。
やっぱり、嬉しいんだ、と確信した。確信したから、あえて聞かなかった。
と思ったら帰り際、神露の小瓶を1本近く空けたヘロヘロ大臣が親父さんに質問した。「やっぱ、嬉しいですか?」。
親父さんは、もちろんだよ、と答え、統一への思いを話してくれた。
北と南はスエズ運河のようなもの、時間はかかるけど、同胞の問題は同胞で解決するよ、と。
そして「将来は君らに任せるぞ」と言われたとき、飲み過ぎたせいかな、思わず涙が出そうになってしまった。


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