フォト紀行X

イグアスの滝、ブエノスアイレス、ナスカとリマ、クスコ、マチュピチュ


 南アメリカ大陸を初めて訪れた。そこは豊かな文化をはぐくんでいた。旅はハードだった。家を出てから初めてのホテルに入るまで44時間かかった。その間地球の裏側まで放浪していたことになる。しかしそれほどの距離が、そこに住む人々の暮らしを見ると一気に近くなってしまう。それはかつて13万年前にアフリカに誕生した現生人類が1万3千年前に南アメリカに到達したが、それらの人々と日本人との人類学的な近さのせいなのか。
 

平成2346 水曜日 晴

寒かった今年も急に暖かくなった。南米への旅行に備えて、午前中は今年の東京の桜を見ておこうと思い、飯田橋から四谷までの土手と千鳥ヶ淵をサイクリングしてきた。まだ満開には早かったが、それでも綺麗だった。午後7時半前にスーツケースを引きながら家を出た。午後935分羽田集合で、1時間近く前に着いたので、昨秋に開店した江戸小路を見た。退職したらオセアニアと南アメリカには是非行きたいと思っていた。オーストラリアには一昨年8月に行って来た。今回は南米への旅となった。23人とガイドの計24人のツアーだ。翌7日午前零時5分発の全日空1006便で定刻に出発した。初めての海外旅行のときと同じ太平洋横断だった。まずロサンゼルスで乗り換えだ。ロサンゼルスは日本より−16時間の時差で、着いたのは6日午後555分、8時間50分の旅だった。途中サンフランシスコの上空を通過して、金門橋やベイブリッジを見ることができた。ロサンゼルス空港では、アメリカの空気を吸いに空港ビルからちょっと外に出てみた。バスや車が米国の雰囲気を醸し出していた。米国での出国の検査は厳しかった。すべてのポケットの物を出させた上に靴を脱がせてチェックしていた。スマートフォンで日本へのメールとウェブを試してみた。何とか繋がった。午後10時前にロサンゼルス空港を出発した。

 


サンフランシスコ上空


 
チリ沿岸の南太平洋

 

平成2347 木曜日 晴

リマは日本との時差は−14時間で、8時間35分のフライトで午前8時過ぎに着いた。飛行中、隣の席にペルー人で米国に在住している77歳の男性と一緒になった。ペルーの大統領選挙が410()に行われ、ケイコ・フジモリを応援するためにペルーに行くのだという。リマに着く前に島が見えた。男性が寝ている姿に似ているという。確かに似ている。髪型までよく似ていた。リマでブエノスアイレス行きのLAN航空に乗り換えた。ここでもセキュリティチェックは厳しかった。少し遅れてリマを午前9時過ぎに発った。しばらくは海上を飛んだ。チリの海岸から再び南米大陸に入った。ほとんどが樹木のない黄土色の大地が続いていた。蛇行する川があるとそれに沿って所どころに民家らしきものが見えた。ブエノスアイレスには午後3時過ぎに着いた。時差は−12時間で、飛行時間は4時間半ほどだった。ブエノスアイレスは雨が降っていた。入国審査を済ませてから、国内線に乗り換えるためにバスで国内線空港に移動した。市内と郊外を分けるハイウェーを走った。かなり渋滞していた。国内空港では順調とはいかなかった。ブエノスアイレスからイグアスに行く195分発のAR2736便は全員分の座席が確保できないために2120分発のサボダス行きの便に変更した。前の便が出なかったために座席が確保できなかったらしい。それでも結果的にはよかった。イグアス行きの便はその後、欠航になったので、変更していなければイグアスには行けなかった。しかしサボダスからイグアスまではバスに乗り換えて3時間はかかるという。2220分にサボダスに着いて、23時過ぎにバスに乗り、ホテルを目指した。

 

平成2348 金曜日 晴

バスで3時間と聞いていたが、途中で道を間違えたこともあり、ホテルカタラタスに着いたのは午前3時過ぎだった。道を間違えたときにバスを降りたところ、夜空には素晴らしい星空が広がっていた。天の川と南十字星がはっきりと見えた。こんな天の川を見たのは初めてだった。思わぬプレゼントに回り道を喜んだ。ホテルに着いて、すぐに風呂に入って、午前5時前から午前7時過ぎまですっかり寝てしまったので、目覚めたときはすっきりしていた。計算すると6日に家を出て、初めてのホテルに入るまで44時間、地球を半周、放浪していたことになる。東京から地球の裏側はブエノスアイレスの東1400キロほどの海上になる。これ以上遠いところはこの地球上にない。ホテルでバイキングの朝食を摂った後、午前9時にはイグアスの滝を目指して出発した。皆さん元気だ。バスでトロッコの駅まで行って、トロッコに乗り換えて、終点でもう一つのトロッコに乗り継いで、そこから遊歩道を歩いた。なだらかな大河を渡りながら行くと白い煙のように水飛沫が上がっているのが見えてきた。ますます近づいて行くと飛沫が降り注ぎ、雨具なしでは進めないところまで来た。持参した雨合羽で身を包み、そのまま遊歩道の先端まで行くと、滝が何百メートルにも亘って轟音と共に落ちていた。悪魔の喉笛と言われている所だ。下は水飛沫で何も見えなかった。すごい迫力だ。この音と水飛沫が打ち付ける感覚は何とも言えない凄さだった。水飛沫の中を鳥が群れをなして飛んでいるのが見えた。滝から戻って、トロッコとバスでヘリポートに着いた。次はヘリコプターに乗って、上空から滝の全体を見ることになった。少し上昇して視界が開けてくると一面のジャングルの上だった。そして一筋の川が目に入った。遠くから白い煙のように見えるところが近づいてきた。少しずつ滝の全貌が現れてきた。滝のすぐ上に来るとヘリコプターは右に左にと旋回した。その度に大きく傾いた。滝が斜めに見えて、全体の大きさを実感した。フライトはわずかに10分だったが、最高の10分になった。

アルゼンチン、ブラジル、パラグァイの国境を見学した。手前がアルゼンチン、川の右向こうがブラジル、左がパラグァイだ。ブラジル側から見学するために国境を越えた。国境の検問の手続きは
30分ほどで済んだ。ブラジル側も遊歩道が整備されていた。対岸を広く見渡すことができた。遊歩道が川の中央付近まで突き出たところがあり、そこはあらゆる方向から水飛沫が降り注いでいた。ついには滝のすぐ下まで遊歩道が作られていて、エレベーターで上に出ると今度は上からの豪快な滝を満喫できた。最後のイベントはボートに乗って滝壺の近くまで行くことだった。雨具とライフジャケットを着けて、滝壺の10メートルほどの近さまで寄った。もう少しで滝に飲み込まれるほどだった。ボートも右に左にと急カーブを切って、大きく傾いた。観光客向けのサービスで、スリルを味わった。この日は普通の時間に宿について久しぶりに落ち着いてディナーにありついた。マレーシアからのツアー客が声をかけてきた。

 


遊歩道

悪魔の喉笛

アルゼンチン側から望む

ヘリコプターから望む悪魔の喉笛
 
ブラジル側からの眺め

ブエノスアイレス、コロン劇場

大統領官邸

ボカ地区 
 

平成2349 土曜日 晴

すっきりと目覚めた。時間があったので、ホテルの庭を散歩した。よく晴れていた。ホテルカタルタスは裏に綺麗なプールがあって、脇にはビーチチェアが並んでいた。芝生の奥の森には黄色い小鳥が何羽も鳴いていた。いろいろな蝶にも出合ったりで、見たこともない昆虫や鳥の種類が多い。午前930分にホテルカタルタスを出発した。帰りはサボダスではなく、イグアス空港だったので、30分ほどで着いた。全く苦労することはなかった。イグアスからブエノスアイレスまでは1時間50分程のフライトだった。ガイドに迎えられ、バスで市内見学をした。世界3大オペラ劇場の一つというコロン劇場の前で下車した。たくさんの人で賑わっていた。アルゼンチンはスペインとイタリアを中心とした白人がほとんどを占めているので、南欧にいるようだ。79日大通りは車窓からの眺めで、片道12車線もあるという。ボカ地区まで行って再び下車した。ここはタンゴ発祥の地で、至る所でタンゴの演奏と踊りをしていた。官能的な踊りとメロディーに足を止め、記念にピアソラのCDを買った。路地のような三角形になった地区を一周した。ボカ地区の雰囲気を楽しんでから、ブエノスアイレス空港に向かった。1955分発リマ行きのLA2428便で5時間のフライトで、2250分過ぎにリマ空港に着いた。それでもホテルニューコルパックに着いたのは真夜中の12時少し前だった。

 

 

平成23410 日曜日 晴

すごい日程だ。午前3時モーニングコールで午前345分過ぎにバスで出発した。12人乗りのセスナ機が2機都合がつくのが午前730分までにピスコ空港に着くことが条件だという。それでも午前1時過ぎから3時のモーニングコールまで眠れたのはよかった。暗い中をピスコに向かった。320kmもパンアメリカンハイウェーを南下した。乾燥した大地で、砂漠であったり、なだらかな山であったりで、ほとんど人の姿を見かけなかった。明るくなるにつれて街の様子もわかるようになると四角い住居が並んでいた。とても豊かとはいえない粗末なものだった。ガソリンスタンドでトイレ休憩を1度した。昔のミゼットのような三輪車がタクシーとして走っていた。車輪が小さく、ハンドルはオートバイと同じ、ガソリンは5リットルほどのペットボトルで入れて、エンジンは紐で引っ張るか、足で蹴ってかけているようだった。ピスコ空港では1機の整備が昨日は間に合わなかったのと、今日は大統領選挙で休みで、結局は1機で12人しか乗れないので、2班に分かれて、それぞれ2時間ほど待つことになった。ナスカはピスコ空港から30分ほど飛んだところにあった。上空に到着すると右、左に旋回しながら、丁寧に地上絵を見せてくれた。それでも見つけるのに一苦労した。幾何学模様はたくさんあったが、地上絵はそんなに大きくはなく、ときどき山の斜面や谷の間に現れた。クジラ、サル、犬、宇宙人、手、木、オウム、フラミンゴ、コンドル、クモ、星、2個所のハチドリなどを見た。見つけるときはみな真剣だった。この遺跡は線の上を掃除をするくらいで、ほとんど人の手を加えてないらしい。それぞれの形もユニークだった。人を表わす唯一の地上絵の宇宙人もかわいらしかった。旋回するときのセスナの傾きも相当なので、もう少し長かったら酔っていたかもしれない。1時間40分ほどで戻って来たときにはほっとした。再びバスでリマに戻った。戻る途中、レストランで民族料理を食べた。イカやタコなどが豊富に入ったサラダとパエリアのセビーリャ、粒の大きなトウモロコシや真っ黒なトウモロコシも食べた。ちょうどペルーの大統領選挙の日で、投票終了の午後430分まではアルコールは販売できないという。しかし真っ黒のトウモロコシでできた飲み物は香りがアルコールのようだった。午後はリマの新市街と旧市街のアルマス広場などをバスで回った。1532年にピサロによって征服されてから、スペイン風の建物が建てられ、今もその面影が至る所に残っていた。夕食は日本料理のレストランでビールも解禁になった。シイタケ以外は現地の食材を使っているという。サワラ、漬物、みそ汁など、どれもおいしかった。ブドウの蒸留酒ピスコのお湯割りも楽しめた。四国巡礼を一度に歩き通した猛者の話題で盛り上がった。


ナスカの地上絵 ハチドリ
 リマ旧市街 アルマス広場と大聖堂

太陽の神殿

大聖堂

クスコ

 アンデスの田舎の家庭

聖なる泉
 

平成23年4月11日 月曜日 晴

715分にホテルニューコルパックを出て、10時リマ発の便でクスコに向かった。クスコには1115分に到着した。海抜3,400mに一気に駆け上がるので、高山病が心配だった。ガイドの指示に従って、深呼吸をしながら、ゆっくりと行動した。クスコはインカ帝国の首都だったところで、レンガ色の家が山の中腹まで建てられ、盆地の中に市街地が築かれていた。最初に太陽の神殿を見学した。土台をのぞいて、スペインの征服時に破壊され、その跡にスペインは教会を築いた。しかし地震で教会の部分は何度も壊れたが、下の土台はびくともしなかったという。剃刀の刃も入らないほどの石組みが作られた。市内を歩いて、有名な12角の石も見た。石組みの傑作だ。次に町の東方を守る要塞であったサクサイワマン城塞跡を見学した。ばらばらの大きさの巨石が三重に組まれてあった。広い広場では冬至の624日にサンティライミの祭りが行われる。昼食はレストランでフォルクローレを見ながら摂った。4人の男女が早い音楽に合わせて踊っていた。帰りのバスは、途中でアンデスの田舎の家庭に寄った。先日の豪雨の影響がまだ残っていた。作業場や炊事場を見せてもらった。土の家の中は暗く、戦争直後の日本でもあったような土間だった。再びバスで山を登り、バスを降りてからも緩やかな道を登った。アルパカの製品などを安く売る売り子がたくさんいた。日本人からするととてもリーズナブルな値段だ。しばらく登ると遺跡があった。1年中、水が湧き出ている聖なる泉もあった。そして遺跡の上に立つと3840mだという。日本国内では富士山も及ばない。ウルバンバに着いてリゾート風のホテルに泊まった。夕食はレストランで海鮮のサラダと鶏のおいしそうな料理が出たが、このときは疲れていたのか、あまり食べられなかった。

 

 

平成23412 火曜日 晴

ウルバンバのインカ・ピサクホテルを午前6時に出発した。そこからオリャンタイタンボ駅まではバスでペルーの山村地帯を走った。左手にはウルバンバ川が流れて農作物の畑が続いていた。ウルバンバ川は遠くアマゾン川に繋がって、大西洋に流れていくという。オリャンタイタンボ駅で高原列車に乗った。綺麗な青が印象的な車体で、屋根の一部がガラス窓になっていて、周辺の高い山が望めた。所どころでウルバンバ川は急流となって流れていた。列車はゆっくりと川に沿って下って、1026分の定刻過ぎにアグアスカリエンテス駅に着いた。そこから再びバスに乗って山を登り、とうとうマチュピチュの入り口にたどり着いた。天気も良かった。入り口脇のレストランで腹ごしらえをした。いよいよ遺跡に入った。ここは3時間ゆっくり見学した。まず上から遺跡の全体を見た。マチュピチュの写真でよく見る風景が広がっていた。まるで絵葉書のようだ。14世紀から15世紀にかけて600人ほどが生活していたという。スペイン人の侵略を予期して、放棄してしまい、そのままになってしまった。発見は1911年という。太陽の神殿など天文学と深い関係をもつ遺跡も多い。学者が多かったようだ。段々畑があって、遺跡の左側は断崖で下には川が流れ、鉄道が川に沿って走っていた。遺跡の右側はバスで登って来た道がくねくねと走っていた。精巧な石の組み合わせが天空の城を想像させた。最近ここで採取された遺物が米国の大学からペルーに返還された。今度はそれも見てみたい。十分堪能した後、バスに戻った。帰りはアグアスカリエンテスで市場を見学し、買い物をした。そのあとレストランでフォルクローレを聴きながらの夕食を摂った。このときに買ったCDは素晴らしい。その後バスに2時間ほど揺られて、タイピカラ・クスコ・ホテルに着いた。

 


オリャンタイタンボ駅のペルーレイル

マチュピチュ

マチュピチュの中

フォルクローレ 
 
アンデスを後に
 

平成23413 水曜日 晴

545分にホテルを出て、クスコを735分発のLA2014便でリマに向かった。リマには午前9時に着いた。リマ発は1240分のLA2604便で、ロサンゼルスに向かった。ロサンゼルスには1925分に着いた。空港のスシボーイでウドン・アンド・スシを食べた。とてもおいしかった。

 

   

平成23414 木曜日 晴

午前零時40分発の全日空機で羽田に出発した。途中サンフランシスコの夜景を見た。まばゆかった。夜間飛行で日付変更線を越えた。今回持参した佐藤勝彦著『インフレーション宇宙論』を読んで過ごした。

   

平成23415 金曜日 晴

午前5時前に羽田空港に着陸した。無事に帰れたことは何よりだった。空港で荷物をピックアップしてから流れ解散となった。楽しい旅行ができ、いい思い出になった。

Speech draft delivered at the Basics of English class under Prof. Kawakami

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