第三十番 霊桐山 東漸寺(臨済宗建長寺派)〜案内図はこちら〜
(磯子区杉田1−9−1)
とうぜんじ だいひのひかり かげたれて
みなみのかみも ほかならぬかな
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東漸寺の開創は釈迦堂の梁牌銘から正安三年(1301)とされま
す。
開山宏覚禅師桃渓徳悟(1240〜1306)、開基北条宗長(13
02没)とされます。桃渓徳悟は建長寺を開いた大覚禅師蘭渓道隆の
高弟で、鎌倉時代後期を代表する禅僧であり、北条宗長は貞長とも号
し、父は長頼、北条時政から数えて六代目にあたり、名越北条の
一族として富岡に住んでいました。
観音堂は明治十一年(1878)の杉田の大火で焼失してしまいま
したが、観音像は救い出されました。現在釈迦堂に安置されている十
一面観音は観音堂の観音で、札所三十番の観音様でした。
横浜市史の 東漸寺の項には
“東漸寺は霊桐山と號し・・・・・金澤觀音霊場の第三十番の札所
である”
と記され、昭和六年(1931)発行の「金沢三十四カ霊所」には
第丗番東漸寺の札所観音として十一面観世音が記載されています。
東漸寺の創建について
風土記稿や釈迦堂の梁牌銘からは東漸寺の開創は正安三年(130
1)とされますが、横浜市史稿には“寺傳に據れば、往昔の當寺は真
言宗の蜜場であったとも云われ…”とあり、寺には胎蔵曼荼羅の中台
八葉院を種子で表している古版木が一枚伝わっています。
また永仁の鐘として有名な梵鐘は永仁六年(1298)に造られて
おり、鐘の鐘銘に僧宗鑑が禅刹に改めたとあるので鐘が造られる前に
は真言宗の寺院として存在していたと思われます。
延宝伝灯録には宗艦が弘安四年(1281)に東漸寺に住んだことが
かかれており、また正安三年より20年前の弘安九年(1286)京
都建仁寺十八世の明窓宗鑑が東漸寺に住したという記事が禅宗史によ
り建仁寺文書にあることがわかり、東漸寺の創建は正安三年を相当さ
かのぼると考えられています。
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