第二十六番 松本山 正覚寺(浄土宗) 〜案内図はこちら
(港南区港南2−11-1)


    ひとたびは しょうかくとりし みほとけの
               かりにぼさつの ちかひたのもし 
 
  第二十五番札所光明寺を出て右に進み、野庭団地入口の信号を左折、
上大岡方面に進み、港南中学校の先を左折、松影橋を渡ると正覚寺の
参道入口に出ます。
 参道入口右角に寛政三年(1791)三月に建てられた石塔が見えます。
石塔の正面には「十一面観世音菩薩」、左側面に「金沢札所二十六番松
本山正覚寺」の文字が刻まれています。
 
 新編武蔵風土記稿の本牧領松本村の条には	
 
  正覺寺
   年貢地、小名大谷にあり、浄土宗、橘樹郡神奈川宿慶運寺末、松本山法身
   院と號す。門を入石階五十三段を登りて本堂の前に至り、本堂七間半に七
   間南向、本尊阿彌陀を安す、坐像にて長三尺餘恵心の作、外に觀音・地蔵
  ・彌陀・釋迦・勢至の畫像一軸あり、恵心の筆戸と云、開山運譽覺同は、正
   長元年七月十六日示寂すといへば、古き草創なれど、寺傳を失いたれば詳
   なることを知らず、

   稲荷社
    本堂の背後にあり、
   
   觀音堂
    本堂の左傍にあり、二間半に三間の堂にて、十一面觀音を安す、立像臺
    座共長一尺五寸許、行基の作といふ、金澤札所の内十六番なり、 




お前立ち 金澤札所第二十六番と刻ま (参道石段の途中に台座に御前立と刻ま れた石塔(正覚寺参道入口)  れた前立の観音像が祀られています)

 とありますが、札所十六番は二十六番の誤記か印刷ミスであろう
といわれ、昭和6年刊行の『横浜市史稿』にも正覚寺は金澤觀音霊
場の第二十六番札所であると記載されています。

 『港南の歴史』(昭和54年刊行)によると往昔は真言宗であっ
たけれど、正長元年(1428)相模国日野郷の領主新井若狭守の
家臣高梨林右衛門(法名淨楽院殿高誉貴繁栄信大居士)が浄土宗に
改めて開基となった古刹であって、開山載蓮社運誉正阿覚冏(正長
元年七月十六日没)で、寺号は開山の法名から、山号は村名によっ
たものとされています。
 往古、総門に近く、巨大な松の老樹があって、丁度村の中央に位
置していたので、村人の集合は、老松樹の上からホラ貝を吹いて、
松の根方に集まり、寄り合いを開いたので「松本」の地名が生まれ
山号にしたと古老の伝承がありますが、新編武蔵風土記稿の松本村
の条にも

  土人云村内正覺寺の傍に松樹一株たてり、是村名の起る所にして其木を松本
   の松と呼べり・・・

 と記されています。

  正覚寺はいつの頃か火災に罹り、過去帳、旧記の伝えを失い、正
しい沿革を知ることが出来ませんが、江戸中期以前は金山寺、来迎
寺、勢至庵、光明寺、淨願寺、報身寺、正応寺の末寺七ヶ寺を有し、
前四ヶ寺は明治維新の際廃寺となり、淨願寺は宗教法人法改正を機
会に当寺に合併、報身寺は護念寺に統合されました。 





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