第二十七番 南光山 福聚院(高野山真言宗) 〜案内図はこちら

(港南区港南1−3−2)


 まつもとや めぐみはふかき ふくじゅいん
         ちよもかはらず てらすつきかげ

  第二十六番正覚寺を出て左へ進むと、松影橋手前に福聚院の山門
が見えてきます。

 新編武蔵風土記稿の本牧領松本村の条には乗願寺の次に

 z謇@
   小名橋戸にあり、古義真言宗、石川寳生寺末、南光山慈願寺と號す、
   本堂六間半に四間南向、本尊如意輪觀音の坐像にて、長一尺三寸許
   なるを安置す、以上の二ケ寺、今は住職の僧なく、開山開基詳ならず  

   とあります。  


  院の由来書によれば室町時代の草創と伝えられるますが、寛政十
 二年(1800)から、八十数年間は無住の時代で近隣の寺院に於て
 法要等は兼務執行されていたと書かれています。
  このため寺は荒廃して、関係記録、文書、什物など離散紛失してし
 まいましたが、僅かに天保十二年(1832)三十三世寛光阿闍梨が
 整備した過去帳によって、十二世良貞法院(天正十六年寂)が中興
 開山と記録されていますが、その過去帳に開山阿闍梨灌伝から十
 一世住職までは不明と付記されています。

  本堂は関東大震災で倒壊しましたが、昭和2年5月に新築落成しま
 した。本堂の須弥壇上の厨子の中央には本尊如意輪観音、右に不
 動明王、左に愛染明王が安置されていますが、この三像は秘仏とし
 て閉ざされています。
  須弥壇右脇間壇上には中央に台座に座っておられる立派な等身大
 の不動明王(寄木造り)があり、昔神社にあったものをここに移したよ
 うです。

 なを『横浜市史』(昭和6年刊行)には

  z謇@
   金澤霊場觀音札所の第二十七番である。本尊は如意輪観世音坐
  像、長一尺三寸、作不詳である。
   昔は石川寳生寺末で在ったが、明治七年、増徳院に轉屬し、現在
  に及んで居る。
                   
    と記されています。


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境内入口の石碑 不動明王像( 福聚院蔵) (右から南光山、新四国東国 八十八ヶ所第六十七番霊場、 福聚院と刻まれている)


福聚院