第十九番 赤井山正法院 〜案内図はこちら

( 真言宗御室派 金沢区釜利谷東三ー四ー二十四)


    てにむすぶ ちかひのみずに つきかげを
               かすはしらなみ やへのしほかぜ        
   
  第十八番札所(満蔵院)を出て左に進み、突き当りのバス通りを右に
 歩くと新中州橋の信号が見えます。信号を左折して道なりに進み、突き
 あたりの丁字路を右折、50メートルほど行くと左側に正法院が見えて
 き ます。

  寺の開創は寺伝などによると、一千余年の昔、弘法大師が関東を巡錫
(巡り歩くこと)されたときに、日照りのため苦しむ多くの村人のため
 に井戸を掘ったところ赤い霊水が湧き出し、この水で不動明王像を描い
 て 護摩祈祷を行ったのが正法院の始まりと伝えられています。

  新編武蔵風土記稿の赤井村の条には
 
  正法院
   免除 小名赤井にあり、赤井山と號す、真言宗、洲崎村龍源寺末、
   本堂六間四方南向、本尊觀音の立像を安置す、長二尺許、金澤札
   所の内第十九番なり 
 
 とあります。 

  寺の山号や村の名前は赤い霊水が湧き出た弘法大師が掘った井戸に由
 来するといわれます。
  当寺の本尊は当初聖観音立像で、その後不動明王、阿弥陀如来と変わ
 りましたが、札所の観音は当初の本尊聖観音立像だったようです。
  弘法大師が掘ったという井戸は本堂の左側のあり、金沢七井の一つに
 数えられてます。 

  

    赤井戸(正法院境内) 聖観音立像(正法院蔵)

新編武蔵風土記稿には次のように記載されています。
 赤井
   本堂の右の脇にあり、金澤五井の一なり、井の徑り一間許、深さ
   は量り難し、古へ弘法大師加持せし井にて、此水井中にては赤く
   見ゆれと、汲時は清水にして尋常の水に勝れりと、村名及當寺山
   號も此井に因て得たりと云、 
 
  正法院の裏山には不動堂が祀られ、毎年不動様の縁日には御開帳し
 て厄除護摩祈祷も行われ、赤井の不動様として親しまれています。
  このお不動様は、もと富岡の山奥の「滝」というところ(現在の富
 岡中学校付近)にあった「滝の不動」を、大正のはじめ頃に移転したも
 ので、「享保十六年(1731)十一月建立」と刻まれています。

金沢の七井戸
金沢の海岸線に近いところでは生活用水として塩分を含まない水は 貴重でした。湧き水の豊かな井戸は大切なものでいわゆる「金沢の 七井戸」が選ばれて有名になっていきました。 金沢七井とは御井戸(寺前町)、亀井(金沢町)、白井(釜利谷東) 、赤井(釜利谷東・正法院)、御中井(釜利谷東)、染井(谷津町)、 荒井(瀬戸)のことですが、現在では道路や住宅の建設などで大半が 見ることが出来なくなりました。 昭和のはじめ、久良岐郡金沢町と六浦荘村は、横須賀市との間に合 併話がありましたが、飲料水に悩む住民たちは「横浜水道」の恩恵を 受けたいと思い横浜市との合併を強く望み、昭和11年10月、金沢 町及び六浦荘は横浜市への編入され、横浜市の水道給水を受けること になり、昔から住民の生活を支えてきた「金沢七井」はいつしか顧み られることもなくなりました。

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