直木三十五 文学碑

 直木三十五は大正から昭和の初めに活躍した大衆文学作家で、その名を冠した直木賞は文壇の登竜門として芥川賞とともにあまりにも有名である。
 この文学碑は、氏の文章に基づいてその筆跡に似せて
昭和35年(1960)に横浜ペンクラブが旧直木邸の玄関わきにたてたもので、碑文は「芸術は短く、貧乏は長し」である。

この地を愛した直木三十五が昭和8年(1933)の暮れに慶珊寺裏山に建てた家が現在は橋本邸として残っている。
 直木三十五は昭和9年(1934)2月になくなったが、最後の10日間をこの家で過ごし、お墓も最初慶珊寺にあったが、本人の希望のとおり「禅宗の海の見える墓地」ということで長昌寺に移された。

           (文学碑)
    

 直木三十五(なおき さんじゅうご)(18911934) 
 本名植村宗一、大阪府生まれ、早稲田大英文科中退、昭和4年「由比根本大殺記」で注目され昭和6年「南国太平記」で不動の地位を築く。
「楠木正成」「源九郎義経」などの歴史小説のほか「日本の戦慄」「光・罪とともに」など現代小説の分野でも活躍した。
 昭和10年大衆文学の質的向上に尽くした功績を称えて「直木賞」が制定された。
            
―日本現代文学大辞典、抄―  
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           (旧直木邸)