第九番 室木庵(廃寺) 〜案内図はこちら

(現在 法爾山天然寺 金沢区町屋5−1)


 じっそうの むろのきなれば ありがたや
         いまにだいひの はなやさくらん    


 室の木庵というのは室の木にあった観音堂のことです。

「新編武蔵風土記稿」には

 觀音堂
   年貢地、小名室ノ木にあり、四間に三間半, 室木庵と號す、觀音
   は一尺三寸許の立身にて此邊札所の九番なり、堂中に彌陀の
   像あり、大寧寺持、堂後に枯樹一株あり、老木と見ゆ

  とあります。
 現在は室の木という地名はありますが、室木庵は残っていません。
 観音堂は現在の野島公園(室の木地区)の小高い丘の中腹の竹藪に
 中にある小さなお堂であったと伝えられています。
 室の木庵は野島の八番札所善応寺から距離は短いのですが、現在の
 ような橋はなく、入江を渡船で渡って巡礼を続けたことでしょう。  
  風土記稿では大寧寺持となっていますが、大寧寺が戦時中(昭和18
 年)追浜飛行場拡張にともない室の木から片吹へ強制移転させられる
 以前から天然寺へ引き取られていたようです。

  昭和50年に吉原勉氏は天然寺で室木庵の観音を確認しており、
 それによると
 「長二尺位の聖観音立像で、顔がふっくらとしていて、玉眼入り、
   唇には朱の彩色が残っているが、全体が真黒くなっていてい
   かにも古さを物語り、胴は引き締まっていて立派な像である。」
 と述べています。

 四望亭
  風土記稿には 

 四望亭
   小名室ノ木にあり、亭とは稱すれと亭舎の義にはあらず、尋常
   の高山なり、山頂嵩高にして、登臨すれば、四方にもいさゝか
   もさゝゆべきものなくして甚佳景なり、西は郡中の山々を始め
   として遠くは富獄を眺め、北も郡中の山をこへて江戸の江戸の
   かたを見わたし、東は房總にいたり南は相州の羣山畫きたる
   がごとく、又眼下には野島浦および金澤の八景を一望のうちに
   聚め、もっとも絶勝の地なり、此に圖せる處は其東南の方也な
   り

 と記されており、室の木の景勝の地として知られ、その岩上には金
沢八名木の一つ「雀ヶ浦一本松」と呼ぶ枝振りのいい松が生えてい
ましたが、太平洋戦争中に追浜飛行場を拡張するため、周辺を山ご
と削り取ったので、往時の地形は跡かたも残っていません。

  



野島公園 (室の木地区)
奥の公務員住宅mのあたりが小高い丘になっており
中腹に室木庵があったといわれます


四望亭眺望圖 (新編武蔵風土記稿)


次 へ

金沢三十四観音札所へ

トップページへ