第十一番 昇天山 金龍院(臨済宗建長寺派)〜案内図はこちら

金沢区瀬戸10−12


 くもをおこし あめをふらして きんりゅうの
        くどくを めぐむ とびいしのやま
   
京浜急行金沢八景駅から国道16号線を横断して右折し、3〜4分歩くと 左手奥に金龍院があります。 参道入口には享和2年(1802)建立の石碑がありますが、碑の正面に 「八景一望之地飛石」、左側に「金沢札所第十一番正観音菩薩 行基正作」 と刻まれています。 新編武蔵風土記稿には 金龍院 境内除地二段五畝、小名引越にあり 臨濟宗相州鎌倉建長寺末、昇天山と號す、 相傳ふ往古當寺に於て硯の中より、龍昇天せし故起これる名なりと、橘樹郡小机 雲松院にてもかくの如き傳えあり、もっとも疑うべし、一に飛石山とも云、本堂 五間に七間西向、本尊正観音座像二尺許、開山僧方崖永徳三年九月十六日寂す…

 とあります。

 金龍院の開創はあきらかでありませんが、開山は大本山建長寺四十七世の
方崖元圭禪師で永徳3年(1383)に入寂とされているので南北朝時代
の建立と考えらています。
 寺の本尊は像高58,2センチの釈迦如来で、札所第十一番の観音は像高3
8センチの正観音で鎌倉時代に作られた様ですが、宝暦8年(1758)
の再興像です。(風土記稿では釈迦如来を正観音と誤認したのではないか
といわれています)
正観音坐像
参道入口の石碑
 
「飛石」伝説
金龍院の本堂裏にある「飛石」は伊豆 の三島神社が御幣となって、この石の上 に飛来した”という伝説があり、その三 島神社を祀ったのが、瀬戸神社の起源だ といわれます。「飛石」は金沢四石の一 つです。
飛 石

  


 江戸時代金沢八景探勝の中心は、はじめは能見堂でしたが、その
美しい眺望も泥亀新田の埋め立てによって変わり、文化文政期の
瀬戸神社、瀬戸橋周辺の地域の活況によって八景探勝の中心は金
龍院境内に設けられた展望台の九覧亭に移りました。
 交通の便にも恵まれ、金龍院は金沢随一の観光メッカとなり、大
変賑わいました。多くの参詣人に対して金龍院は案内絵図、一望
図、案内書など多数刊行しました。なかでも初代安藤広重(17
97〜1858)の錦絵「金沢八景」(8枚組)は有名です。
これらの絵図や案内書(金沢金石録、金沢名所杖など)のうち何
点かの版木は金龍院にのこされています。

 九覧亭には多くの文人墨客、高官貴人、外国人などが訪れ風光を
絵画や写真、紀行文などに描写しています。
 九覧亭とは金沢八景に富士山の一景を加えて名づけられといわれ
ますが、今は周辺のマンション群に視界を遮られ、昔日の景観をイ
メージするのは難しくなりました。現在すり減った石段が危険なの
で、普段は入口が閉ざされており、入る場合には寺のほうに断るよ
うにとの注意書きがあります。

 九覧亭には「聖徳太子堂」があります。堂の開基は江戸の人で戒
名が金龍院の過去帳に残っています。昭和の始め、国道16号線の
開通にともなって、切り通し(泥亀庵の前)辺りから移築されまし
た。現在の堂は昭和32年に建て替えられたものです。
 
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