第十一番 昇天山 金龍院(臨済宗建長寺派)〜案内図はこちら〜
金沢区瀬戸10−12
くもをおこし あめをふらして きんりゅうの くどくを めぐむ とびいしのやま | 江戸時代金沢八景探勝の中心は、はじめは能見堂でしたが、その 美しい眺望も泥亀新田の埋め立てによって変わり、文化文政期の 瀬戸神社、瀬戸橋周辺の地域の活況によって八景探勝の中心は金 龍院境内に設けられた展望台の九覧亭に移りました。 交通の便にも恵まれ、金龍院は金沢随一の観光メッカとなり、大 変賑わいました。多くの参詣人に対して金龍院は案内絵図、一望 図、案内書など多数刊行しました。なかでも初代安藤広重(17 97〜1858)の錦絵「金沢八景」(8枚組)は有名です。 これらの絵図や案内書(金沢金石録、金沢名所杖など)のうち何 点かの版木は金龍院にのこされています。 九覧亭には多くの文人墨客、高官貴人、外国人などが訪れ風光を 絵画や写真、紀行文などに描写しています。 九覧亭とは金沢八景に富士山の一景を加えて名づけられといわれ ますが、今は周辺のマンション群に視界を遮られ、昔日の景観をイ メージするのは難しくなりました。現在すり減った石段が危険なの で、普段は入口が閉ざされており、入る場合には寺のほうに断るよ うにとの注意書きがあります。 九覧亭には「聖徳太子堂」があります。堂の開基は江戸の人で戒 名が金龍院の過去帳に残っています。昭和の始め、国道16号線の 開通にともなって、切り通し(泥亀庵の前)辺りから移築されまし た。現在の堂は昭和32年に建て替えられたものです。 |