第一番 花蔵山 海岸寺(廃寺) 〜案内図はこちら

(本尊は神奈川県立金沢文庫に保管、金沢区金沢町142)


    あずまぢの ふだらく山もここなれや
         をとものきしに よするしらなみ 

 金沢札所三十四ヶ所の一番は海岸(尼)寺でしたが、明治末期に称名寺と
合併、廃寺となり本尊や三千仏画なども称名寺に移されました。
 本尊は金沢文庫に保管されている重要文化財の十一面観音像です。
 寺は鎌倉末期、嘉歴年間(1326〜)に創建され、この観音像は創建期か
らの本尊と考えられています。
 海岸尼寺は金沢北條氏に仕えた賀島氏の発願によって創建されました。
 金沢氏の菩提寺の称名寺は僧寺で、女性は親族の供養、涅槃会、仏名会
の時以外は寺に入ることを禁じられていたため、海岸(尼)寺は僧寺の称名
寺に対して尼寺の役割を果たしていました。その後戦国時代に僧寺になっ
たようです。
 明治40年(1907)に寺は廃寺となりました。明治39年の「寺院合併記」
「合併ニ対スル整理調書」などには、堂は大破し保存の見込みはなく材料
も腐敗しているので、取り壊して称名寺と合併したいとい願いが出されて
います。
 その跡地には貴族院議員で出版社博文館社長でもあった大橋新太郎(18
63〜1944)が別荘を構えました。大橋氏は当時荒廃していた称名寺の復興
にも多大の援助をし、また観音信仰に篤く、称名寺境内に石造の百観音を
造立し、西国三十三ヶ所の金箔塗木造観音像を寄進しています。
 海岸尼寺の跡地は称名寺赤門前の通りを海の公園方向に下って、「文庫
小学校入口」信号少し手前を左に入ると住宅地の中にある金沢第二公園
あたりです。 



十一面観音立像(金沢文庫像)



海岸尼寺跡地
公園に残るイヌグスの巨木が僅かに昔を偲ばせてくれる
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