イタリア王国の成立


 皇帝ナポレオンの時代、イタリアはナポレオン
の支配下にありましたが、ナポレオンの失脚し
たウィーン会議後は再び小王国に分かれ、オー
ストリアによる支配が強まってはいましたが、
統一の機運は高まってきました。
 1820年、カルボナリがおこしたナポリ革命は
オーストリア軍によって鎮圧され、1849年には
イタリア統一に向けて青年イタリア党がロー
マ共和国を建国しましたが、フランスの弾圧で
失敗しました。
 これら統一運動の失敗をを冷静に分析したサ
ルディニア王国のエマヌエーレ2世と首相のカ
ヴァールはフランスのナポレオン3世の領土的
な野心を利用して味方につけ、オーストリアに
宣戦、ソリフェリーノの戦いなどで勝利すると、
ナポレオン3世はサルディニアに脅威を感じ、戦
いの途中でオーストリアと単独に講和を結びま
した。
 このためサルディニアはロンバルディアしか
併合出来ませんでしたが、1860年カヴァールは
ナポレオン3世と交渉してサヴォイア、ニースを
割譲する代わりに中部イタリアの併合を認めさ
せました。
 イタリア南部には青年イタリア党に属するガ
リバルディが赤シャツ隊を率いてシチリアや
ナポリを占領してそれをサルディニア王に献上
、1861年トリノを首都としてヴェネツィア、教皇
領を除くイタリア王国が誕生しました。
 その後ヴェネツィアは1866年オーストリア・プ
ロシャ戦争に参加することで、教皇領は70年の
プロシャ、フランス戦争の際に王国に編入され
ました。


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