芋神様(富岡・長昌寺)
寛永の頃(約380年前)、富岡村内の慶珊寺の寺男、茂右衛門が寺のあたりで 大きな蛇を殺したので、住職の伝雅が手厚く供養してやりました。 その晩、住職の夢枕に蛇が現れ「私を祀ってくれれば、疱瘡の神として人 々をお助けしたい」と告げました。 そこで住職はお社を立て丁重に、お祀りしました。 種痘がなかった当時、疱瘡は「いもがさ」と呼ばれ恐ろしい流行病で、一 度これにかかると顔があばたになり、みにくい姿になるので大騒ぎしたも ので、治療法も予防法もなく、神様にお頼みするほかなかったので社に祀 られた芋神様はお参りの人々でにぎわいました。 芋神様は富岡の板橋(旧横浜海軍航空隊の正門付近)にありましたが、社 前の小さな池にははす芋に似た霊芋と呼ばれる芋があり、その池の水が疱 瘡に効くと噂されたことから芋明神の名が起こったとも言われます。 昭和11年(1936)ごろ旧日本海軍横浜航空隊の開設にあたり、その社地が 接収されることになり、祀られていた本尊の芋観音(楊観音)は長昌寺に 安置されることになりました。 |
東海道保土ヶ谷宿から金沢道への 分岐点には、弘化2年(1845)に建て られた 「ほうそう守り神 富岡山 芋大明神えの道 是より行程三里」 と刻まれた道標が残されており、江 戸や相模から多くの参詣者があっ たことを物語っています。 現在も御開帳の当日など、多くの 人々で賑わっています。 |