福石と琵琶島弁財天(瀬戸・瀬戸神社)


 瀬戸神社から国道をはさんで琵琶島弁財天社に向かう参道わきに「福石」
と呼ばれる石があります。
 瀬戸神社に伝わる社伝によると源頼朝がこの地に伊豆三島明神の分霊を
祀ったとき、頼朝は海辺に降りて海水で身を清めて“みそぎ„の神事を行い
ました。その折この石に衣服を掛けたので」「服石」とか「呉服石」の名
がおこったと伝えています。
 
福石の名の由来
江の島弁財天の参道にも同じように福石がありますが、江戸時代 に杉山和一という盲人が弁財天にお参りした時、この石につまづ いて転びました。その時、偶然に拾ったのが竹の筒とその中の松 葉でした。 これにヒントを得て考案したのが「杉山式管鍼」で、これによっ てのちに将軍綱吉の病を治したことから信頼を得て、ついに[関東 総検校]という盲人最高の栄誉を与えられました。以後、出世した 杉山検校にあやかって参道の傍の石の前で何かを拾うと福が授か るという信仰が広がり、この石を福石と呼ぶようになりました。
福石(琵琶島弁天社参道脇)
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 「江戸名所図会」には福石について
“金沢四石と称するものの一つにして土人の諺に、この石の前に
て物を拾い得る事あれば、必ず有福の身となると云い伝う”
 とあります。(巻乃二 天璇の部 瀬戸」弁財天)  
ー琵琶島弁財天ー
 源頼朝の夫人北條政子も、夫にならって、日ごろ信仰する近江国の竹生
島明神を勧請し、ここに琵琶島弁財天社を建てました。
 祭神のイチキシマヒメは水の女神で江の島神社や広島県の厳島神社と同
じ神様です。
 むかし神仏は一体と考えられていた時代に仏教でいう弁財天女がやはり
水の女神であったことから、海神を祀った瀬戸神社にちなみ、瀬戸弁財天
として信仰され、また島の形が琵琶(ビワ)に似ていたので「琵琶島弁財天」
ともよばれました。
 仏教の弁財天はよどみのない水の流れから弁舌の神、学問の神、また美
しい自然のせゝらぎの妙音から音楽の神とされ、一般には琵琶を抱えた
姿が多いようですが、瀬戸の弁財天はまっすぐの立ち姿なので「立身弁財
天」として北條政子が天下の将軍源頼朝の御台所となったように、立身出
世の弁天様として信仰を集めました。
 また弁財天は財産の神としても信仰され七福神の一つともなりました。       

琵琶島弁天社(瀬戸)