第五番 円通庵(廃寺) 〜案内図はこちら

(現在法爾山天然寺、金沢区町屋5−1)


       むらをわたる まちやにたちし くわんぜおん
                       ちりにまじいる ちかひなるらん

『新編武蔵風土記稿』の町屋村の項に

  観音堂
         年貢地、道の東傍にあり、二間半に二間西向、観音は三四寸の
          立像伝教の作、六浦三分の内小名 瀬戸円通寺の持

 とあり、今の町屋町内に瀬戸の円通寺持の観音堂があって伝教太師(最
澄)作と云われる長さ3〜4寸の観音立像が安置されていたことがわかり
ますが、この像が札所第五番の観音と考えられています。
 天然寺の住職の話によると、この観音は天然寺近くの町屋の道路沿いに
あり堂と言うよりも祠のようなところにありましたが、昭和40年(1965)
頃寺は町の人たちと話し合って天然寺に移されたもので、境内には「金沢
札所第五番」の石碑もあります。観音像は長いこと祠にあったせいか、町
の人たちは円通庵の観音とは呼ばず、町屋の観音と呼んでいたようです。
 なお円通寺は明治6年(1873)の神仏分離の際、廃寺となりましたが、
寺の跡は金沢八景駅改札口を出て左側のトンネルを抜けた茅葺の家で、
門を入ってすぐ右側の建物が円通寺の客殿でした。
 天然寺は鎌倉の大本山光明寺の然誉禅芳和尚による天文年間(1532
〜54)の創建で安政5年(1858)の瀬戸千代本からの出火で類焼し、
関東大震災でも本堂が倒壊、現在の本堂は昭和56年(1981)に新築
されました。本尊は阿弥陀三尊立像です。

 吉原勉氏の「金沢三十四か所の観音を尋ねて」によると

 “町屋観音堂の観音は聖観音立像で目分量だが約一尺はあり、右手は
   説法印、左手は蓮花を持った一般的なもので、少し前のめりになって
   おり、塗られている金泥はそう古いものではなかった。後で彩色したも
   のであろうか”
 
 と述べており、風土記に記載されたものとは大きさが違っており、氏は胎
 内に伝教太師作と言われる3〜4寸のお像が納まっているのでは?とも
 想像されています。 



金沢札所第五番と刻まれた石碑

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